けれど、
殿さまは、
毎日お
食事のときに
茶わんをごらんになると、なんということなく、
顔色が
曇るのでごさいました。
あるとき、
殿さまは
山国を
旅行なされました。その
地方には、
殿さまのお
宿をするいい
宿屋もありませんでしたから、百
姓家にお
泊まりなされました。
百
姓は、お
世辞のないかわりに、まことにしんせつでありました。
殿さまはどんなにそれを
心からお
喜びなされたかしれません。いくらさしあげたいと
思っても、
山国の
不便なところでありましたから、さしあげるものもありませんでしたけれど、
殿さまは、百
姓の
真心をうれしく
思われ、そして、みんなの
食べるものを
喜んでお
食べになりました。
季節は、もう
秋の
末で
寒うございましたから、
熱いお
汁が
身体をあたためて、たいへんうもうございましたが、
茶わんは
厚いから、けっして
手が
焼けるようなことがありませんでした。
殿さまは、このとき、ご
自分の
生活をなんという
煩わしいことかと
思われました。いくら
軽くたって、また
薄手であったとて、
茶わんにたいした
変わりのあるはずがない。それを
軽い
薄手が
上等なものとしてあり、それを
使わなければならぬということは、なんといううるさいばかげたことかと
思われました。
殿さまは、百
姓のお
膳に
乗せてある
茶わんを
取りあげて、つくづくごらんになっていました。
「この
茶わんは、なんというものが
造ったのだ。」と
申されました。
百
姓は、まことに
恐れ
入りました。じつに
粗末な
茶わんでありましたから、
殿さまに
対してご
無礼をしたと、
頭を
下げておわびを
申しあげました。
「まことに
粗末な
茶わんをおつけもうしまして、
申しわけはありません。いつであったか、
町へ
出ましたときに、
安物を
買ってまいりましたのでございます。このたび
不意に
殿さまにおいでを
願って、この
上のない
光栄にぞんじましたが、
町まで
出て
茶わんを
求めてきます
暇がなかったのでございます。」と、
正直な百
姓はいいました。
「なにをいうのだ、
俺は、おまえたちのしんせつにしてくれるのを、このうえなくうれしく
思っている。いまだかつて、こんな
喜ばしく
思ったことはない。
毎日、
俺は
茶わんに
苦しんでいた。そして、こんな
調法ないい
茶わんを
使ったことはない。それで、だれがこの
茶わんを
造ったかおまえが
知っていたなら、ききたいと
思ったのだ。」と、
殿さまはいわれました。
「だれが
造りましたかぞんじません。そんな
品は、
名もない
職人が
焼いたのでございます。もとより
殿さまなどに、
自分の
焼いた
茶わんがご
使用されるなどということは、
夢にも
思わなかったでございましょう。」と、百
姓は
恐れ
入って
申しあげました。
「それは、そうであろうが、なかなか
感心な
人間だ。ほどよいほどに、
茶わんを
造っている。
茶わんには、
熱い
茶や、
汁を
入れるということをそのものは
心得ている。だから、
使うものが、こうして
熱い
茶や、
汁を
安心して
食べることができる。たとえ、
世間にいくら
名まえの
聞こえた
陶器師でも、そのしんせつな
心がけがなかったら、なんの
役にもたたない。」と、
殿さまは
申されました。
殿さまは、
旅行を
終えて、また、
御殿にお
帰りなさいました。お
役人らがうやうやしくお
迎えもうしました。
殿さまは、百
姓の
生活がいかにも
簡単で、のんきで、お
世辞こそいわないが、しんせつであったのが
身にしみておられまして、それをお
忘れになることがありませんでした。
お
食事のときになりました。すると、
膳の
上には、
例の
軽い、
薄手の
茶わんが
乗っていました。それをごらんになると、たちまち
殿さまの
顔色は
曇りました。また、
今日から
熱い
思いをしなければならぬかと、
思われたからであります。
ある
日、
殿さまは、
有名な
陶器師を
御殿へお
呼びになりました。
陶器店の
主人は、いつかお
茶わんを
造って
奉ったことがあったので、おほめくださるのではないかと、
内心喜びながら
参上いたしますと、
殿さまは、
言葉静かに、
「おまえは、
陶器を
焼く
名人であるが、いくら
上手に
焼いても、しんせつ
心がないと、なんの
役にもたたない。
俺は、おまえの
造った
茶わんで、
毎日苦しい
思いをしている。」と
諭されました。
陶器師は、
恐れ
入って
御殿を
下がりました。それから、その
有名な
陶器師は、
厚手の
茶わんを
造る
普通の
職人になったということです。
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