日语学习网
とびよ鳴け(1)
日期:2022-11-28 23:41  点击:240
 

とびよ鳴け

小川未明


自転車屋じてんしゃやみせに、古自転車ふるじてんしゃが、幾台いくだいならべられてありました。タイヤはよごれて、車輪しゃりんがさびていました。一つ、一つに値段ねだんがついていました。わりあいにやすかったのは、もうこのさきながくは、使用しようされないからでしょう。
はらっぱであそんでいた、たつ一は、なにをおもしたか、して、自転車屋じてんしゃやまえへきました。そして、ならんでいるふるくるまなかの、一つにじっとをとめていました。
「ああ、まだある。どうか、このつきすえまでれないでいてくれ。」と、こころで、いったのであります。
かれは、やっと安心あんしんして、はらっぱへかえしてきました。ともだちとおにごっこをしたり、ボールをげたりして、しばらくあそんだのです。しかし、いつまでもあそんでいることはできなかった。夕刊ゆうかん配達はいたつしなければならぬからです。
その自転車じてんしゃには、物屋ものや徳蔵とくぞうさんがっていたのでした。
「あいているときは、使つかいな。」と、やさしい徳蔵とくぞうさんは、よくたつ一にいいました。たつ一は、りて、このはらっぱをはしりまわったことがあります。また、とおくまでってあそびにいったこともありました。あるときは、学校がっこうからかえって、ぼんやり往来おうらいっていると、うしろでふいにチリン、チリンというおとがするので、おどろいてくと、徳蔵とくぞうさんが、自転車じてんしゃってまっていました。
「うしろへらないか。」
たつ一は、よろこんで、徳蔵とくぞうさんの背中なかにつかまって、荷掛にかけにこしをかけ、あしをぶらんとげました。
あしをつけな。」
さびしい田舎道いなかみちほうまで、自転車じてんしゃはしらせて、二人ふたりは、散歩さんぽしました。徳蔵とくぞうさんは、たつ一にとって、じつにいさんのようながしました。
去年きょねんれ、徳蔵とくぞうさんに、召集令しょうしゅうれいくだりました。たつ一は、そらくもって、かぜに、はたりながら、氏神うじがみさまへおくっていったことをわすれることができません。
万歳ばんざい! 万歳ばんざい!」とさけびながら、どうか、めでたく凱旋がいせんしてきてください。そのときは、また
こうしてむかえにるからと、ひとりでいったのでした。
徳蔵とくぞうさんが、戦死せんしされたというらせがとどいたのは、ほたるのはじめるなつのころでした。そして、それがじつに悲壮ひそうなものであったことは、このほど帰還きかんした兵士へいしくちからくわしくつたえられたのであります。その兵隊へいたいさんは、おな部隊ぶたいで、徳歳とくぞうさんのことをよくっていました。
出征しゅっせいさいは、○○えきから、徳蔵とくぞうさんは、出発しゅっぱつしたのです。兵隊へいたいさんをせた汽車きしゃとおると、国防婦人こくぼうふじん制服せいふくおんなたちは、線路せんろのそばにならんで、はたりました。おくれたおんなひとは、はたりながら、田圃道たんぼみちはしってきました。また、工場こうじょうまどからはあおふく職工しょっこうさんやしろいエプロンの女工じょこうさんたちが、かおして、ハンカチをるもの、げるもの、とおくからこちらまでひびくように、
万歳ばんざい! 万歳ばんざい!」と、さけんでいました。汽車きしゃまどから、兵隊へいたいさんたちも、これにこたえていました。なかには山奥やまおくむらからきたものもありました。徳蔵とくぞうさんのそばにいた兵士へいしは、はじめて、うみて、
おおきなかわだなあ。」と、いって、おどろいたそうです。
うみだ、かわではないよ。太平洋たいへいようなんだ。」
徳蔵とくぞうさんは、おしえました。
「あっ、これがうみで、太平洋たいへいようか。」と、その兵士へいしは、をまるくして、あおなみていました。そのときが、くちのききはじめで、徳蔵とくぞうさんと、この兵士へいしとは、そのたがいになんでもはなすようにしたしくなりました。徳蔵とくぞうさんは、細長ほそながかおをしていましたが、その兵士へいしは、角張かくばったかおつきをしていました。そして、その兵士へいしには、年老としとった母親ははおやがあって、いえるとき、母親ははおやは、つえをつきながら、停車場ていしゃばまで見送みおくって、
いえのことは、心配しんぱいしなくていいから、おくにへよくご奉公ほうこうするだぞ。」と、いったそうです。兵士へいしは、母親ははおやのいったことをおもして、ときどき、なみだぐんでいました。
うみわたふねなかで、兵士へいしは、

分享到:

顶部
11/16 01:33