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とびよ鳴け(2)
日期:2022-11-28 23:41  点击:240
 
「いっしょにたたかって、いっしょににたいものだ。」と、徳蔵とくぞうさんに、いいました。もとよりあたたかな、まことなさけをった徳蔵とくぞうさんですから、
「ほんとうに、そうしよう。」と、いって、その兵隊へいたいさんのを、かたにぎったのであります。
上陸じょうりくすると、すぐに、かれ部隊ぶたいは、前線ぜんせん出動しゅつどうめいぜられました。そこでは、はげしい戦闘せんとう開始かいしされた。大砲たいほうおと山野さんやあっし、銃弾じゅうだんは、一ぽんのこさずくさばしてあめのごとくそそいだ。そして、最後さいごは、火花ひばならす、突撃戦とつげきせんでありました。てき散々さんざんのめにあわして潰走かいそうさしたが、こちらにもおおくの死傷者ししょうしゃしました。戦闘せんとうあとで、徳蔵とくぞうさんは、あの兵士へいしは、無事ぶじだったかとあるきました。けれど、その姿すがたが、つかりませんでした。
「やられたか、それともきずってたおれてはいないか?」と、戦場せんじょうあとてきかばねえて、さがしてあるきました。すると、その兵隊へいたいさんが、やぶのなかたおれているのをいだしたのです。けれど、そのときは、すでにいきえかかっていました。
「おい、しっかりせい。おれだ! いっしょに約束やくそくをしたのに、さきにいったな。よし、かならずかたきってやるぞ。おれも、花々はなばなしくたたかって、じきにあとからいくからっていろ。」と、徳蔵とくぞうさんは戦友せんゆう死体したいいだこして、なみだとしたのです。
そののちのこと、ぐんは、かわをはさんでてき対峙たいじしたのでした。その結果けっか敵前上陸てきぜんじょうりく決行けっこうしなければならなかった。なにしろ、てきはトーチカにじこもり、機関銃きかんじゅう乱射らんしゃして、頑強がんきょう抵抗ていこうするのです。ついに、決死隊けっしたいつのられました。我先われさきにともうたので、たちまちのあいだ定員ていいんたっしたのです。このひとたちは、全軍ぜんぐんのために犠牲ぎせいとなるのを名誉めいよおもって、よろこいさんですぐ仕度したくにとりかかりました。
このとき、蒼白あおじろかおをして、一人ひとり兵士へいしが、部隊長ぶたいちょうまえすすて、自分じぶんもぜひこのなかくわえてくださいといったのです。それは、徳蔵とくぞうさんでした。
あとから、おまえ一人ひとりれると、ほかのもののもうゆるさなくてはならぬ。」と部隊長ぶたいちょうは、言葉ことばにそういいながら、いずれおとらぬ忠勇ちゅうゆう決死けっしの、兵士へいし精神せいしん感心かんしんしました。だが、徳蔵とくぞうさんの熱心ねっしんは、その一言ひとことひるがえされるものではありません。戦死せんししたともとのちかいをげたので、ついに部隊長ぶたいちょうゆるしたのでした。
決死隊けっしたいが、てきると、てきはそれをがけて、弾丸たま集中しゅうちゅうしました。かわなかほどまでたっするころには、人数にんずうえてっていました。りくまで、もう一息ひといきというところで、無念むねんにも弾丸たまけて、徳蔵とくぞうさんは、
天皇陛下てんのうへいか 万歳ばんざい!」とさけぶとともに、みずあけめてえなくなったのでした。
たつ一は「殉国じゅんこく英霊えいれいいえ」と、ふだのしてあるいえまえとおるたびに、あつなみだをためて、丁寧ていねいあたまげました。
「どうしても、あの自転車じてんしゃうのだ。あと、一週間しゅうかんばかり、れなければいいが。」
ある自転車屋じてんしゃやまえへいってみると、その自転車じてんしゃえなかった。たつ一は、びっくりして、おじさんにきいてみると、昨日きのうれたというのです。
「なに、あれくらいのくるまなら、またますよ。」と、なにもらない自転車屋じてんしゃやのおじさんは、ちからとしているたつ一をて、そういったのでありました。
そののことです。たつ一は、おともだちと、キャッチボールをやっていて、ふと戦死せんしした徳蔵とくぞうさんのことをおもすと、きゅう目頭めがしらあつくなりました。
ぼく自転車じてんしゃにのせて、このはらっぱをはしってくれたことがあったなあ。」と、いろんなことが、こころかんでくるのです。
「あの自転車じてんしゃはだれがったろうか。たしか、七えんふだがついていたが、しいことをした。おとうさんが自分じぶんはたらいたかねってもいいといったのに。」
かれげるたまがだんだんねつってくるのでした。
たっちゃん、すげえたますなあ。」
ているともだちまでが、をみはって、いいました。そのたま勇吉ゆうきちも、かおあかくして、ひたいあせばんでいました。つよたまで、なかなかほねがおれるからです。
きみ、いいたますね。しっかり勉強べんきょうすると、ピッチャーになれるぜ。」
さっきから、そばでていた、角帽かくぼうかぶった学生がくせいらしい青年せいねんが、いいました。
たつ一は、ほめられたので、ちょっとはずかしかったのです。
ぼくら、毎日曜まいにちよう午後ごごから××ので、けいこをしているから、きみもぜひやってきたまえ。そのうちにこの方面ほうめんのものだけで、チームをつくろうとおもっているのだ。」と、青年せいねんは、たつ一にいったのであります。
たつ一は、そういわれると、なにかきゅうあかるく、ちからづけられたような気持きもちがしました。
(ほんとうかしらん、おれは、ピッチャーになれるだろうか。)
「ありがとう。」といって、たつ一は、青年せいねんあたまげました。そうだ、おれは、徳蔵とくぞうさんのことをかんがえればいつだって気持きもちがしゃんとして、どんないいたまでもしてみせるぞと、こころさけんだのです。
十二がつ日曜日にちようびでした。かぜのないしずかなお天気てんきであります。たつ一は、午後ごごから、××のへいってみようとおもいました。
「あの学生がくせいさんは、きょうも野球やきゅうをやっているかな。」
自分じぶんまちから、だいぶそこまではなれていました。へいくと、今度こんどひろ道路どうろとおるので、多数たすう家屋かおくりはらわれたあとでありました。
あたりをると、まだ半分はんぶんこわされたままになって、土台どだいのあらわれているいえもあったし、すでに、一ぽうはしでは、あたらしく建築けんちくにかかったいえもあります。わたすかぎりの広場ひろばなかは、いろいろの風景ふうけい雑然ざつぜんとしてられました。

たつ一は、むねそこからこみげてくる感激かんげきを、どうすることもできなくてさけびました。
 

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