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扉(5)
日期:2022-11-28 23:41  点击:241
 


夜の色が黒い鳥の翼のように、だんだん低く灰色の家の上に垂れかかった。闇のうちに風の声が鋭く叫んで星が隠れた。何物をも硝子を通して認めることが出来なかった。
Kは、じっとこらして闇の中を覗き込んでいた。折々バサバサと鳴って硝子窓に当るものがあった。風に散る木の葉の音より大きかった。乾き切った地面じべたから舞いあがる黄色な埃でなかった。なんだか生きているものが当る音だ。
鳥でないか?
鳥にしては白い鳥でない。ランプの光りは弱いながら、窓の口までは泳ぎ着いている。白い色なら見える筈だ。雪のように白くなくとも、古綿のように垢染あかじみた色でも見える筈だ。
黒い鳥であろう? 黒い鳥に相違ない!
なんで黒い鳥がこの窓に来て当るのだろう。また、バサバサと鳴った。たしかに翼の音に相違ない。しかしその当る力は衰えていた。大空をける鳥の翼の力にしては弱っていた。
病気の鳥ででもあるか知らん?
翼をいためた鳥ででもあるか知らん?
それともこの闇に道を失った鳥であろう。帰るべき道を迷っている鳥であろう。ただこの広い野中に、ただ一つ真夜中に点っているこの室の燈火ともしびを認めて、さながら大海の中に漂う船が命の光りを見出したようにけて来たのだ。そして来る間に翼が弱ったのだ。
ガタ、ガタと嵐が窓に当った。次第に嵐は激しくなった。黒い鳥は突き当るのに間が置いた。
それともこの嵐に妨げられて、飛ぶことが出来ないのでないか?
もう黒い鳥の音がしなくなった!
怪物のような建物は平地に横たわっていた。嵐は思い思いに叫んでその周囲まわりを廻った。頭の上をけた。蹴った。突き当った。怪物の赤いまなこは一つ、一つ失せて、ただ一つ残ったのが赤くただれて活きている。
Kは神経質の眼を、まだ闇の中に突き入れていた。
ランプの飴色の光りは、赤いネクタイ、黒い洋服の縞の目にくぐり込んだ。青いインキは金ペンのさきに留って、それにランプの光りが沈んで眠げに見えた。
青い曲折きょくせつの多い複雑な線は、行列を造って、死んだ花弁はなびらのような白い、紙の上で笑ったりおののいたりしていた。
重なり合っている紙の、上から六枚目では、早く遠い国へ行きたい。にぎやかな国へ行きたい。陰気なこの建物から逃れたいといっている。
「それはどこの国だ。何という国だ。」
「名は知らない。」
「南の方か?」
「南の方だ。」
「いつその国を知った。」
「ある時町へ出て、好い香りのする石鹸を買った。その包袋に、真紅な花が咲いていた。美しい裸体らたいの女が、緑の葉の繁った中の湖水に浴しているのがいてあった。その時、これはどこで出来たのかと小さな金文字を見ると、※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、283-13]Paris, と書いてあった。」
十三枚目には、青い線が殊に身慄みぶるいしたように曲折している。
「Kは悪魔だ、黒い洋服を着たKは魔法使だ。――とても抵抗が出来ぬ。駄目だ。駄目だ。悪魔! 悪魔!」

*      *      *

Kはうなずいた。彼の長い体は夜の色より黒かった。彼は、ポケットに手を差し入れると顔が青くなった。インキの色より青くなった。この時嘲笑あざわらうように、嵐が窓の外で叫んだ。
バサ、バサと鳴った。それは地面に散っていた枯葉が、風に吹き上げられて窓に当った音であった。
Kは突立ったまま、この怪しげな音に耳を傾けた。彼は、慌しげに室の中を歩き始めた。
黒い夜が、窓に迫った。大きな翼を拡げ始めた。
真夜中であった。
先刻、三人の友は死んだBの扉の外で語り合った。
Aは、コツ、コツとこぶしで扉を叩いた。
「B君! B君!」
けれど、何の音もしなかった。
考え込んでいたCは、鍵を探した。そして、ポケットから小さな光るのを、錠に当てて見たがまらなかった。
Aは、また叩いた。
「B君! B君! 開けたまえ。」
Sは、愁然しゅうぜんとして、こういった。
「聞えないのだ。Kがこの鍵を持っているに相違ない。」
AとCは、互に顔を見合った。
「Kはどういう人物だろう。」とAがいった。
「さあ……分らない。」とCの眼が怪しく光った。
「Kが殺したのだろう。」とSが言った。
「いや決してそんなことはない。」とAが打ち消した。
「夜が明けたら分る。」とCが言った。
「僕らは余りKを信じ過ぎていた。Bは平常Kを嫌っていた。僕はKを余り好かない。用心しなければならぬ。」とSがいった。
「夜が明けたら分るだろう。」
といって、A、C、SはBの扉の前を去った。
嵐は、益々ますます募った。
白い床の上に、闇の中にBが横たわっていた。全くこの室には微かな音すらなかった。青腫あおぶくれのした肥った体が半分床の外に出ていた。彼はしっかりと小さなびんを握っていた。
それはコロロホルムの入っていた罎であった。その罎をしっかりと握っていた手は床の外に出ていた。
嵐の音が益々激しくなった。この怪物の家がゆるぎ始める。
灰色の漠然とした大きな影! 目もない、口もない、鼻もない巨人がBの枕許まくらもとに立った。つて、Bが、Kの室に入りかけた時、後方うしろに立った影であった。
「早く、その罎を隠せ!」
音なく、冷やかに、闇の中に横たわっていた体と、その手が動いた。そしてその罎を隠した。沈黙を破った鍵の音!
音なく、闇の中に更に暗い穴が開いた。間もなく、また穴が閉じて闇は一色に塗られた。パッと青い光りが出た。狭い室の中が真青に燃えた。同時に黒い服を着たKの窪んだ眼が光った。彼は懐中電気を握ったまま、しばらく耳をすましてたたずんだ。
何の音もしない。
彼は、慌しげに室の中を探し始めた。……Kの顔色は、Bの死んだ顔色と同じく真青だ。
「ない!」
再び、窓に当る翼の音。バサ! バサ! バサ!
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