なくなった人形
小川未明
冬でありましたけれど、その日は、風もなく穏やかで、日の光が暖かに、門口に当たっていましたので、おみよは学校から帰りますと、ござを敷いて、その上で、人形や、おもちゃなどを出してきて遊んでいました。すこし前まで、近所のお友だちがきて、いっしょに遊んでいたのですが、お友だちはちょっと用ができて家へいったので、後には、まったくおみよ一人となったのでした。けれども、彼女はすこしもさびしいとは思いません。かわいい人形がそばにありますから、それを抱いたり、下にすわらせたり、またそれにものをいったり、おもちゃのお膳や、茶わんや、さらなどに、こしらえたごちそうを入れて、供えてやったりしていますと、けっしてさびしくもなんともなかったのであります。
その人形は、今年の春、田舎から叔父さんが出てこられたときに、叔父さんといっしょに、町へいって買ってもらった、好きな、たいせつにしている人形でありました。
日は、だんだん西の方へまわりましたけれど、まだそこには、暖かな日が当たっていました。
「さあ、こんどはなにをおまえにこしらえてあげようかね。」と、おみよは人形に向かって、独り言をもらしたのです。
そのとき、あちらのさびしい路のほうから、こちらにやってきた、哀れなふうをした、七つか八つになったくらいの乞食の女の子がありました。どこへゆくのでしょうか、ふと、この家の前を通りかかりましたが、乞食の子は、おみよが、いま人形にごちそうをこしらえてやろうとして、菊の花や、山茶花の花弁を、小さな刃物で、小さなまないたの上に載せて刻んでいるのを見て、思わず歩みを止めて、しばらく我を忘れてじっとながめていました。
乞食の子は、まだ産まれてから一度も、そんな美しい人形や、おもちゃ道具を手に持って、遊んだことがなかったのです。乞食の子は、おみよの幸福な身の上をうらやみました。なんで自分も、あの方のように生まれてこなかったのだろう。自分はいつになったら、あんなかわいらしい人形や、おもちゃを持つことができるだろうと、真におみよの身の上をうらやましく思ってながめていたのです。
乞食の子は、いつしか自分というものを忘れてしまって、そのかわいい人形の顔や、姿に見とれてしまったのです。なんというかわいいかわいい人形だろう。まあ、あの人形は私の顔を見て、笑っているのじゃないかしらん。あれ、ほんとうに私の顔を見て笑っている。私はちょっとのまでいいから、お嬢さんにお願いして、あの人形を抱かしてもらおうかしらん。ほんのちょっとのまでいいから、あのかわいい人形を手に取って、よく顔を見たいものだ、ただ一度でいいから顔を見たいものだ。それで、もう私はたくさんだから……そういってお嬢さんにお願いしてみようかしらんと、乞食の子は一人胸のうちで想い煩っていましたが、いやいや、なんでこんな汚いふうをして、ほかの人々から平常乞食の子! 乞食の子! と、呼ばれているいるものを、なんで、この家のお嬢さんが私に人形を抱かしてくださるものか、かえって、そんなことをいっていやな顔をされるより、黙って、こうしてここで見ていたほうがいいと、小さな胸で想い返しました。そして、乞食の子は、いつまでも垣根のきわに立って、こちらを見ていたのです。
おみよは、人形になにか別のごちそうをこしらえてやろうと思って、外へ青い葉か、色の変わった菊の花を探してこようと思って、ござから立ち上がりますと、そこの垣根のそばに、哀れな乞食の子がたたずんでこちらを見ていました。まだ年もゆかないのに、そして、こんな寒空なのに、身には汚れた薄い着物を着て、どんなに寒かろうと思いました。おみよは乞食の子より二つ三つ年上であったのです。
乞食の子は、いま、お嬢さんがどこへかいかれて、見えなくなったこのまに、ちょっとそのかわいい人形を抱いてみようと思って、おそるおそる近づいて、なんの深い考えもなしに、人形を手に取りあげてつくづくながめますと、それはかわいい人形でありましたから、
「私はいつもいつもお友だちもなくて、ただ一人でさびしくてならないの。私といっしょに遊んでくれないの。そして、私の仲のよいお友だちになってくれないの。」といって、乞食の子は人形の顔をのぞきました。すると、人形は優しく微笑んで、
「私はお友だちになってあげます。」といったように、乞食の子には思われました。乞食の子は喜んで、かわいい人形のほおに接吻いたしました。
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