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なつかしまれた人(1)
日期:2022-11-29 02:10  点击:258
 

なつかしまれた人

小川未明


まち運輸会社うんゆがいしゃには、たくさんのひとたちがはたらいていました。そのなかに、勘太かんたというおじいさんがありました。まことに、ひとのいいおじいさんであって、だれにたいしてもしんせつであったのであります。
わかいものたちがいいあらそったりしたときは、いつもおじいさんがなかにはいって仲裁ちゅうさいをしました。
「まあ、すこしのことでそんなにおこるものでない。ここにはたらいているものは、いわば兄弟きょうだいおなじことだ。たがいにちからになり、たすうのがほんとうだのに、あらそうということはない。すこしくらいはらがたつことがあってもわすれて、なかよくしなければならない。」といいました。
おじいさんに、やさしくいわれると、だれでもなるほどとおもわずにはいられませんでした。そして、自分じぶんたちのしたことがまちがっていたとづくのでありました。
おじいさんは、また仲間なかまが、病気びょうきにでもかかると、しんせつにしてやりました。自分じぶんうちはなれて、他人たにんなか病気びょうきにかかっては、どんなに心細こころぼそいことだろう、そうおもって、できるだけしんせつにしてやったのであります。
こうした、おじいさんのしんせつは、みんなにかんじられたので、いつか自分じぶんおやのようにおもったものもあれば、またいちばんしたしいひとのごとくかんがえたものもあったのでした。
「おじいさんのまれたくには、どこですか。」といって、いたものがあります。けれど、おじいさんは、こたえずに、ただとおくにだとばかりいっていました。
また、おじいさんには子供こどもや、身頼みよりのものがいるかしらんと、そのことをいたものもあります。すると、おじいさんは、さびしくわらいながら、
「やはり、おまえさんくらいな、いいせがれがあるが……。」と、こたえたのでした。
そんないいせがれがあるのに、どうして、こんないいおじいさんがたびているのだろう、なぜおやがいっしょにらすことができないのか……。おじいさんは、このとしになって、自分じぶん故郷こきょうはなれていたら、さびしかろうとおもったものもありました。
「おじいさんは、なぜこうしてたびへなどているんですか。」と、若者わかものなかの、一人ひとりは、その理由りゆうりたいとおもっていました。
おじいさんは、自分じぶんうえのことについては、なにをかれても、ただ笑顔えがおせて、あまりかたらなかったのであるが、
自分じぶん手足てあしがきいて、はたらかれるあいだは、だれの世話せわにもなりたくないとおもってな……。子供こどもたちのそばにいてはたらいたのでは、子供こどもたちが、心配しんぱいするとおもって、それでたびてきたのだ。」と、いったのでありました。
みんなは、はじめておじいさんの心持こころもちがわかったようながしました。子供こどもたちにたいしても、そうしたやさしいこころをもつのであるから、自分じぶんたちにたいしても、やはりこうしてやさしいのであろうとおもいました。
「じゃ、おじいさんは、いつかまたくにかえんなさるときがあるんですね。」
「それはあるにはあるが、そうすると、こうしてなかよくしているみんなにわかれなければならぬ。かんがえると、そのことがつらいのじゃ。」と、おじいさんは、ながあいだ苦辛くしんをしてきた、にやけて、しわのったかおをしゃくるようにして、ちいさなをしばたたいたのです。やぶれた鳥打帽子とりうちぼうししたからえるかみは、もう灰色はいいろになっていました。
この言葉ことばをきくと、わかいものたちも、ほっと歎息たんそくをつきました。
おれは、自分じぶん父親ちちおやのようにおもっているのだが、おじいさんとわかれるのはつらいな。」と、いったものがあります。
「ほんとうにそうだ。まあ、おじいさん、いつまでもおれたちといっしょにいてください。」と、いったものもありました。
こうして、勘太かんたじいさんは、この会社かいしゃはたらいているわかひとたちから、あいされていました。
おじいさんは、よくはたらきました。みんなのあいだにまじって、いっしょになっておもはこべば、またかついだりしました。たとえ、としをとっていても、仕事しごとのうえで、わかいものにけることはなかったが、わかいものは、なるたけ、このとしをとった、しんせつなおじいさんをいつもいたわっていたのであります。
こうして、はたら人々ひとびと社会しゃかいには、うつくしい人情にんじょうながれる、あかるいところがありました。そして、またこうしてしんせつなおじいさんが、だれか一人ひとりわかいもののなかにいなければならなかったのは、ちょうど、人間にんげん社会しゃかいばかりでなく、獣物けものあつまりのなかでも、経験けいけんんだ、年寄としよりがいて、野原のはらから、野原のはらへ、やまから、やまたびするときには、そのとしとったのが道案内みちあんないとなって、みんなが、あとからついてゆくのとおなじでありました。
勘太かんたじいさんは、毎日まいにち、みんなといっしょにはたらいていました。しかし、ついに、みんなからわかれていかなければならぬときがきました。しかも、それは不意ふいであったのです。
おじいさんの息子むすこが、田舎いなか成功せいこうをして、はるばるおじいさんをむかえにきたのでありました。
「おじいさん、ながあいだ苦労くろうをさせましてもうしわけがありません。わたしは、このほど、ようやく仕事しごとのほうが都合つごうよくいくようになりましたから、もうこののちおじいさんに苦労くろうをかけることもないとおもって、むかえにまいりました。おとうとや、いもうとたちは、はやくおじいさんのかおたいとっていますから、どうかすぐにわたしといっしょにかえってください。」といいました。
おじいさんは、息子むすこ成功せいこうをしたというのをいて、どんなによろこばしくおもったかしれません。どんなに、ひさしぶりで、子供こどもや、まごたちにあわれるのをうれしくおもったかしれません。けれど会社かいしゃにいるみんなから、しんせつにされているのを、わかれてかえらなければならぬかとおもうと、またかぎりなくかなしかったのであります。
「それは、まあなによりうれしいことだ。」と、くちには、いいながら、おじいさんは、自分じぶんている半纒はんてんや、よごれてつちなどのついている股引ももひきをながら、すぐにかえろうとはいわずにちゅうちょしていました。
息子むすこはもどかしがって、
「おじいさん、さあはやかえりましょう。会社かいしゃ汽車きしゃにまにあわせたいものです。なにをかんがえていなさるのですか。こんなによごれた半纒はんてんや、やぶれた帽子ぼうしや、つちのついた股引ももひきなどは、もうようがないのですからおぎなさい。そして、わたしがここにってきた、あたらしい着物きものにきかえて、はやくここをかけましょう……。」といいました。
おじいさんは、ながあいだ自分じぶんにつけていた仕事着しごとぎ未練みれんしそうにぎながら、
「せっかくそういって、むかえにきてくれたのだから、どうしてもかえらなければなるまい。おれはまだ、もうすこしくらいはここにいて、はたらいていたいのだけれど……。」と、ひとごとのようにもらしていました。
おじいさんは、あたらしい着物きものにきかえて、自分じぶんのいままでにつけていた半纒はんてんや、股引ももひきや、やぶれた帽子ぼうしをひとまとめにして、そばにあった、貨物自動車かもつじどうしゃうえせておきました。
「さあ、おじいさん、仕度したくがすんだら、すぐにかけましょう。」と、息子むすこはいいました。

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