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波荒くとも(4)
日期:2022-11-29 02:19  点击:364
 


ここは、まちちか郊外こうがいでした。ある長屋ながやの一けんでは、ちちかえりをっている少年しょうねんがありました。いつもいまごろは、弁当箱べんとうばこげて会社かいしゃからもどってくる父親ちちおや姿すがた彼方あちらみちうえるのであるが、今日きょうは、まだそれらしい姿すがたえません。
はやかえっていらっしゃればいいに、さぶちゃんが、病気びょうきできているのになあ。」と、少年しょうねんをもんでいました。仕事しごと都合つごう二電車ふたでんしゃばかりおくれた父親ちちおやは、くろ外套がいとうに、鳥打帽とりうちぼうをかぶっていそいできました。むかえにているせがれつけると、
吉雄よしおっていたのか、さあ、さむいからおうちはいんな。」といいました。
さぶちゃんが、病気びょうきになってきてているよ。あさ自転車じてんしゃはしっているうちに、気分きぶんがわるくなって、たおれたんだって。」
「なに、みちでたおれたんだって? どんなぐあいだ、医者いしゃてもらったか。」と、父親ちちおやは、おどろきました。
工場こうば医者いしゃてもらったのだって、おくすりびんをってきたよ。」
ねつたかいか。」と、父親ちちおやは、んできました。
「おかあさんがこおりまくらをしてあげたら、すこしがったようだ。いま、よくねむっている。」
小僧こぞうさんは、工場こうばているところがないので、叔父おじさんのいえかえされたのです。叔父おじさんのいえは、やはりろくろくるところもないせまいえでありました。そして、まずしいらしをしていました。小僧こぞうさんの三郎さぶろうといって、田舎いなかから、この叔父おじさんをたよってきたのです。そして、いまの製菓工場せいかこうじょう見習みなら小僧こぞうはいったのでした。しかし叔父おじさんも、叔母おばさんもやさしいひとであったし、二つ年下としした吉雄よしおくんもすぐなかよしになったので、三郎さぶろうは、公休日こうきゅうびには、かならず叔父おじさんのいえかえるのが、なによりのたのしみだったのです。叔父おじさんは、玄関げんかんがると、
三郎さぶろう病気びょうきで、きているってな。」といいました。
流感りゅうかんらしいんですね。肺炎はいえんになるといけないから、いま湿布しっぷをしてやりました。」と、叔母おばさんが、こたえました。
あささむいのに自転車じてんしゃはしったからだ。大事だいじにしてやれば、はやくなおるだろう……。」
人中ひとなかていますと、使つかって、がまんをしますし、まだとしのいかないのに、かわいそうです。」
「なにしろこういうなかだから、からだも、こころも、よほどつよくなければってはいかれない。」
さぶちゃんは、親戚しんせきだけど遠慮えんりょしていまして、いじらしいんですよ。」と、叔母おばさんがいいました。
叔父おじさんは、足音あしおとをたてぬようにして、三郎さぶろうているへやへはいりました。三じょうのへやには、すみのほう吉雄よしおつくえいてあって、そこへとこいたので、病人びょうにんのまくらもとには、くすりびんや、洗面器せんめんきや、湯気ゆげたせる、火鉢ひばちなどがあってあしのふみもないのです。しかし、ここばかりは、ふゆともおもえぬあたたかさでありました。叔父おじさんは心配しんぱいそうに、病人びょうにんかおをのぞきこみました。よくねむっています。
顔色かおいろはいいようだ。これならだいじょうぶだ。」
叔父おじさんは、へやからると、こういいました。
昨日きのうあたりから、あたたかなかぜが、きはじめました。もうはるがやってくるのです。吉雄よしお学年試験がくねんしけんわって、来月らいげつからは六年生ねんせいになるのでした。三郎さぶろうは、また病気びょうきがなおって、これも来月らいげつのはじめから、工場こうばかえることになりました。二人ふたりは、ここ数日間すうじつかんたのしくあそぼうと緑色みどりいろつつみうえまで、てきたのでした。
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