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南方物語(1)
日期:2022-12-03 23:59  点击:269
 

南方物語

小川未明



きたほうまちでは、つばめがいえなかをつくることをいいことにしています。いつのころからともなく、つばめは、まち人々ひとびとをおそれなくなりました。このりこうなとりは、どのいえが、朝早あさはやきて、けるか、またどのいえには、どんな性質せいしつひとんでいるか、また、このいえは、規律きりつただしいかどうかということを、よくぬいていました。それでなければ、安心あんしんして、いえなかに、はつくれなかったからです。また、大事だいじ自分じぶんたちのどもをもそだてられなかったからです。
つばめのいいとおもったいえは、ほんとうにいいいえであったから、をつくるのは、無理むりもなかったのでしたが、もう一つこれには、まちひとが、なぜこんなにつばめをあいするかというはなしがあります。
それは、むかしのことでした。この海岸かいがんちかまち人々ひとびとは、ふねって、おきりょうをしていました。
あるのこと、いくそうかのふねは、いつものごとくあお波間なみまかんで、りょうをしていたのです。すると、天気てんきがにわかにかわって、ひどい暴風ぼうふうとなりました。いままでしずかであった海原うなばらは、さながら、しろくにえかえるようになり、かぜは、きにきすさみました。たちまち、いくそうかのふねは、くつがえってしまった。そして、そのなかの、ただ一そうのふねは、とおとおおきほうながされてしまったのです。
暴風ぼうふうがやんだときに、この一そうのふねは、まったくひろびろとしたうみうえに、あてもなく、ただよっていました。どちらがきたであり、どちらがみなみであるかさえわからなかった。
このふねっている三にんのものは、たがいにかお見合みあって、ためいきをつきました。せいも、も、運命うんめいにまかせるよりほかに、みちがなかったからです。
ふしぎにふねは、くつがえりもせず、なみにゆられてかぜのまにまに、すでに幾日いくにちとなくうみうえをただよっていました。三にんは、つねに、こうしたときの用意よういにしまっておいたかつおぶしや、こんぶなどをとりして、わずかにえをしのいだのでした。
今日きょうは、ふねあわないか、明日あすになったら、どこかのはまかないかと、むなしいのぞみをいだいて、ただ、うみからのぼった太陽たいようをながめ、やがて、あかしずんでゆく太陽たいよう見送みおくったのです。
「どうかして、すくわれたいものだな。」
ひとたびは、覚悟かくごしたものが、こうして毎日まいにち、おだやかなうみるうちに、どうかしてきたいという希望きぼうえたのでした。
のろわしいかぜも、いまは、やさしくかれらのみみにささやき、ほおをいたのであります。ふねは、あてもなくただよって、ただ、かぜがつれていってくれるところへかなければなりませんでした。
うみうえに、うすくきりがかかって、一にちは、むなしくれてゆく時分じぶんでした。あちらに、あか火影ほかげをみとめたのです。
だ、だ。」
にんは、じっと、それをながめました。きゅうに、元気げんきがわいて、かじをって、そのほうへいっしょうけんめいにふねすすめるのでした。は、だんだんちかくなりました。ちいさな燈台とうだいのようでした。
「いったい、ここはどこだろう。」
よるそらをすかしてると、熱帯植物ねったいしょくぶつがこんもりとっていました。そこは、大洋たいようなかにあった、ちいさなしまであることがわかったのでした。
「なんだか、ゆめのようだな。」と、一人ひとりがいいました。
幽霊島ゆうれいとうでないかしらん。」
「どこでもかまったことはない。なるほど、このあたりは、いわおおいようだ。おきているふねもいるとみえて、あのあかがついているのだろう。」と、もう一人ひとりがいいました。
にんは、いつまでもこうしていては、たすからないとおもいましたから、いのちがけの冒険ぼうけんをするで、十ぶん注意ちゅういしながら、いわいわあいだをこいで、そのしま上陸じょうりくしました。
屋根やねひくいえが、ところどころにありました。おおきな植物しょくぶつが、こんもりとして、うみほうからいてくるかぜに、うちわをふるように、はたはたと夜空よぞらおとをたてています。そして、どこからともなく、らんのはなのいいかおりがながれてきました。
にんは、らないしまがりました。不安ふあんこころをおさえながら、一けんいえまど近寄ちかよってのぞいてみますと、かみながうつくしいをした少女しょうじょが、りょうはだをぬいで、したいてかいをみがいていました。
人種じんしゅこそちがっているけれど、けっしてこのしまひとは、わるいひとたちでないとわかると、三にんはやっと安心あんしんをして、しまなかをぐるぐるとあるきはじめたのです。そのうちに、しまひとたちは、三にんつけて、めずらしそうに、まわりにあつまってきました。
もとより言葉ことばは、たがいにわからなかったけれど、まねで、やっと三にんが、とおきたほうから、暴風ぼうふうのために、幾日いくにち漂流ひょうりゅうして、このしまいたことがわかったのでした。
にんは、数日間すうじつかんというもの、しまひとたちに、いろいろともてなされました。そのあいだに、つかれたからだをやすめて、勇気ゆうきをとりもどすことができたので、ふたたび、とお故郷こきょうをさしてかえることにしました。
しまひとたちは、三にんふねをなおして、あたらしいってくれたばかりでなく、食物しょくもつや、また、みずなどの用意よういもしてくれたのです。うつくしいむすめたちは、自分じぶんたちが、かいでつくったボタンを二つずつ三にんに、わけてくれました。そして、無事ぶじに、故郷こきょうくようにといのってくれました。言葉ことばはわからなかったけれど、人情にんじょうにかわりはありませんでした。しまひとたちのまごころは、三にんむねつうじて、永久えいきゅうわすれられないものでした。また三にんこころからの感謝かんしゃは、しまひとたちにとどいて、かれらがふねってわかれるときには、むすめたちは、なみだながして見送みおくっていたのであります。
 

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