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日没の幻影(1)
日期:2022-12-03 23:59  点击:268
 

日没の幻影

小川未明


〔人物〕
第一の見慣れぬ旅人
第二の見慣れぬ旅人
第三の見慣れぬ旅人
第四の見慣れぬ旅人
第五の見慣れぬ旅人
第六の見慣れぬ旅人
第七の見慣れぬ旅人
白い衣物きものを着た女
〔時〕
現代
 
遥かに地平線が見える。広い灰色の原には処々ところどころに黄色い、白い、赤い花が固って、砂地に白い葉を這って、地面から、浮き出たように、古沼に浮いているように一固ひとかたまずつ其処此処そこここに咲いている。少し傾斜して一軒の小舎こやがこの広い野原の左手に建っている。ちょうど赤錆の出た箱のようで、それに付いている蓋の錠が錆び付いて鍵はいつしか失われたもののように、一つの窓があるが、閉っている。夕日はその閉った窓の上に、その赤黒い小舎の上に落ちている。

第一の見慣れぬ旅人 この広い、はてしのない沙原すなはら。疲れているように、物憂ものういように、あのゆるい波の如く、病的の発作のように波動をしている地平線を見よ。ああ曲線の果なくつづいている地平線の彼方へ、私は歩いて行くのだ。幾日も、幾日も、ただ独りで話しするものもなければ、また眼を楽しますものもない。(足許あしもとを見廻して)この黄色な花、何という色の褪せたような花だろう、この白ちゃけた沙原に咲いて、沈黙のうちに花を開いて、やがてはしぼんでしまう花だもの、誰がこの花を心して見るものがあろうか。空を飛ぶ鳥も、稀に小さな黒い影をこの沙原に落すことがあっても何等の音もしない。ああ、この白い花、硫黄いおうさらされて、すべての色の死んでしまった後の白い抜殻のようだ。ああ、この紅い花、私は、鶏の肝臓を切った時に出る血の色を思うような赤い色をしている。或時は、全く是等これらの草花も咲いていない、沙原ばかりを歩いて来た。
第二の見慣れぬ旅人 私もやはり、そうであった。して、遥かに黒い物を見た時は、それがんであるか分らなかった。日の光りが弱って、沙原の上を黄色く染めていた。ちょうど熱病を患った時、セメンを飲んで、天地が黄色く見えるその時のように、悩ましげに見えた。その弱い日の光りの中に黒い物を認めた時、最初私は木立であるかと思った。
第三の見慣れぬ旅人 木立……あの、夢のように立っている黒い杉の木か……いや杉の木か何んだか分らない。まあ杉の木のように、もっと葉のやわらかなような、色の緑色のほうきを立てたように鬱然こんもりとした、而して日の弱い光りを浴びてろうのような、りんの燃えるような、或時は尼が立っているとも見え、或時は、人が立って黙想にふけっているとも思われ、或時は、薄気味悪い杉の木の立っているようにも思われた……(第二の旅人の顔を覗く。力なげな様子である。)
第二の見慣れぬ旅人 そうであった。私も、そのような木立を見た。筆を立てたような、さながらたましいでもあって、この疲れた沙漠を歩いている魔物のような、しかし、静かに、音を立てずに抜足ぬきあしして歩いているような木立であるかと思った。
第一の見慣れぬ旅人 私もそのような木立を見た。(頭を廻らして)あ、日が大分遠くなった。此処では、そのような黒い木立を認めることも出来ない。
第三の見慣れぬ旅人 しかし此処は窪地である。少し高い処へ上がったら、きっとあのような黒い杉の木が、うねりうねってゆるやかな波をうっているような沙漠の中に処々立っているのが見えるだろう……(足先にて立って)こうやったら見えるか知らん……。
第二の見慣れぬ旅人 ハハハハ。(と笑う。その声も広い沙漠の中で時ならぬ沈黙を破るように聞えた。)其様そんななことで、この沙原の遠方が見えると思われるのか……。
第三の見慣れぬ旅人 こういう沙漠にあっては三寸の高さでも余程違うものだ。たとえて見れば(彼方を指して)あの沙の小高くなっている蔭になって一寸ちょっと、黒い木立の頭が覗いていたとする。吾等われらは、何とも思っていない。それが一足高い処に上ると、はっきりと木立の根許まで見えるようなことがある。誰でもこういう沙原を旅した人の経験する所である。だから、変化のないようで、やはりこの疲れた沙原にも変化を求めれば、何等なんらか求められるものだ。けれど、こういうような変化を求めても、人は黙って心のうちでうなずき、承知しているばかりで口に出して言うものでない。何となれば言うのが物憂いのだ。
第二の見慣れぬ旅人 そういうことは誰にもある。心に思っていて、どうしても口に出して言うには、余りに物憂過るようなこともあるものだ。ことにこうやって毎日単調な旅をつづけている吾等には……。
第一の見慣れぬ旅人 (第二の旅人に向って)まあ、その話は、それとして、あなたは、その黒い物が木立であるまいかと思ったといわれた……それが……。
第二の見慣れぬ旅人 ああ、私は、まさしく地平線に日の光りを浴びながら、憂鬱の色をあらためずにいる黒い木立であると思いました。而してそれを目標に疲れた足を早めました。すると黒い物が漸々だんだん近づいて、それがやはり人間であるように思われた。私は、それで、ず大声を立てて呼んで見る気になった。其処で呼んで見た。(第一の旅人の顔を見守って)あなたも随分疲れている。……あなたは、大海原に向って呼んで見たことがありますか。波が岩を打つ音と石を転して、引き退る潮の音とが不断に響いている海岸に立って、大声で叫んで見たことがありますか。
第一の見慣れぬ旅人 あります。而して胸の苦悶を晴そうとしたことがあります。
第二の見慣れぬ旅人 その声は大きく立ちましたか。
第一の見慣れぬ旅人 海というものは盲目ですね。無神経ですね。私は、その時そう思いました。小さな人間の努力が何になりましょう。私は腹立しくなりました。而して海をののしってやりました。けれどまたそれが何の役に立ったとも思いません。ただ私の咽喉のどが痛んで、声が立たなくなったに過ぎません。
第二の見慣れぬ旅人 やはり、この大きな広い沙原に対してもその通りです。海は、動いて、とどろいて、騒々しくて、人間の叫ぶ声が聞えませんが、この広い沙漠の裡にあっては、沈黙が人間の声を吸い取ってしまうのです。怖しい沈黙!
第三の見慣れぬ旅人 ああ、吾等は何処どこへ行くのだろう……。(溜息す。)
第二の見慣れぬ旅人 (第一の旅人を見て)あなたは私の声を聞き付けずにいられた。
第一の見慣れぬ旅人 けれど遂にいっしょになった。
第三の見慣れぬ旅人 私は、あなた方が休んでいる間に追い付くことが出来た。
第一の見慣れぬ旅人 三人は何等の約束もなしにこの沙原で出遇であった。
第二の見慣れぬ旅人 そしてこの不思議な窓の閉っている小舎の前に立った。
第一の見慣れぬ旅人 ああ日が暮れる。地平線が黒くなって、空が黄色くなった。

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