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二番めの娘(1)
日期:2022-12-03 23:59  点击:271
 

二番めの娘

小川未明


毎年まいねんのように、とおいところからくすりりにくるおとこがありました。そのおとこは、なんでも西にしくにからくるといわれていました。
そこは、北国ほっこく海辺うみべちかいところでありました。
「おかあさん、もう、あの薬売くすりうりの小父おじさんがきなさる時分じぶんですね。」と、二ばんめのおんながいいました。
すでに、あたりは、初夏しょかひかりが、まぶしかったのであります。そして、草木くさきがぐんぐんと力強ちからづよびていました。
「ああ、もうきなさる時分じぶんだよ。」と、母親ははおやは、はたらいていながらこたえました。
その薬売くすりうりの小父おじさんというひとは、ほんとうに、やさしいいいひとでありました。いろいろな病気びょうきにきくいろいろなくすりはこなかにいれて、それをおぶって、たびからたびあるくのでありました。そして、ここへも、かならずねんに一は、ちょうど、あのつばめが古巣ふるすわすれずに、かならずあくるとしにはいもどってくるように、まわってきたのでした。
この小父おじさんは、だれにもしんせつでありました。また、どんな子供こどもをもかわいがりました。だから、子供こどもも、この薬売くすりうりのかおると、
小父おじさん、小父おじさん。」といって、なつかしがりました。
今年ことしも、なにか小父おじさんは、ってきてくださるかしらん。」と、二ばんめのおんなは、とおくをあこがれるようなつきをしていいました。
この一は、あまりゆたかではありませんでした。父親ちちおやがなくなってから、母親ははおや子供こどもたちをやしなってきました。しかし、みんなすこやかにそだったので、いえうちは、まずしいながら、つねににぎやかでありました。めったに、薬売くすりうりの小父おじさんのってきた、くすりむようなことはなかったけれど、小父おじさんは、こちらにくればきっとりました。そして、みんなのすこやかなかおて、こころから、よろこんでくれるのでした。姉弟きょうだいうちでも、二ばんめのおんなは、もっともこの小父おじさんをしたったのでした。ひとのいい小父おじさんも、たびたたくさんの子供こどもなかでも、またいちばんこのをかわいらしくおもったのでありましょう。
「これをおまえさんにあげる。」といって、あおたまをくれました。それはちょうどかんざしのたまになるほどのおおきさでした。
おんなは、このあおたまて、ひとり空想くうそうにふけったのであります。
西にしくにへいってみたらどんなだろう……。そこに、小父おじさんはんでいなさるのだ。」とおもいながら、あおたまにとってながめていますと、はるかにたかそらいろが、そのたまうえにうつってみえるのでありました。
はたして、薬売くすりうりの小父おじさんは、なつのはじめにやってきました。そして、こんどはお土産みやげに、二ばんめのおんなに、あかたまをくれました。ほかのには、西にしくにまち絵紙えがみなどをくれました。
「みなさん、いつもお達者たっしゃでけっこうですね。わたしも、もうとしをとって、こうしてあるくのが、おっくうになりました。わかいときから、はたらいたものですが、こののち、もう幾年いくねん諸国しょこくをいままでのようにまわることはできません。それに、わたしには、子供こどもというものがないのですから、さびしくて、たのしみがないのであります……。」と、薬売くすりうりの小父おじさんは、母親ははおやはなしました。
「まあ、あなたには、お子供こどもさんがないのですか?」と、母親ははおやは、それは、さだめしさびしかろうというようにいいました。
「こうして、はたらいて、かねをのこしましても、やるものがないので、ばあさんと、つまらないといいくらしています。」と、たび薬売くすりうりの小父おじさんはいいました。
小父おじさん、また、来年らいねんになったらくるの?」と、子供こどもたちはいいました。
「ああ、また、来年らいねんになったらやってきますよ。みんな、おかあさんのいうことをよくきいて、達者たっしゃでおいでなさい……。」と、薬売くすりうりの小父おじさんはいいました。そして、はこをばふろしきでおぶって、いずこをかさしてったのであります。
あか夕焼ゆうやけのするなつがすぎて、やがてあきとなり、そして、ふゆは、北国ほっこくはやくおとずれました。ゆきって、やまめてしまい、それがえると、黄昏時たそがれどきながはるとなりました。そのあいだあねや、いもうとや、おとうとらは、よくははのいうことをいて、この一は、むつまじくおくってきたのであります。
子供こどもたちは、薬売くすりうりの小父おじさんのくれた絵紙えがみしてたりしました。そのには、白壁しらかべいえがあり、やなぎがあり、まちがあり、はしがありかわながれていました。
「こんなところへいってみたいこと。」と、一人ひとりがいいますと、
「ずっととおいところだから、幾日いくにちもかからなければゆくことができない……。」などと、一人ひとりはなしをしたのでした。
そのとしなつもまた、としとったたび薬売くすりうりはやってきました。かれ母親ははおやかって、
わたしは、今年ことしもこうしてきましたが、じつは、あなたのところのむすめさんをもらいたいとおもってやってきたのです。わたしには、子供こどもというものがありませんので、さびしくてなりません。はたらいて、ためましたかねも、またうち財産ざいさんもやるものがないのでかなしくおもっています。もしあなたのおうちむすめさんをもらうことができましたら、どんなにうれしいかわかりません。大事だいじにして、わたし子供こどもとしてそだてて、お婿むこさんをもらって、うちあとがしたいとおもいますが、どうかわたしに、むすめさんをくださいませんか……。」といって、ねんごろにたのみました。
むすめ母親ははおやは、ながあいだまずしい生活せいかつをしてきました。それは、自分じぶんうでひとつではたらいて、たくさんの子供こどもそだてなければならなかったからです。
そして、みんな、自分じぶんうちにいつまでもけるものでない。いつかは、よそへやらなければならない。どうせそうならば、このひとのいい薬屋くすりやさんにやって、りっぱに、幸福こうふくそだててもらったほうが、どれほど、当人とうにんにとってもいいことかしれないとかんがえました。
あわれな母親ははおやは、二ばんめのむすめをやることにきめました。そして、そのことをむすめはなしますと、さすがにむすめは、こいしい母親ははおやのもとをることをかなしみましたが、やさしい小父おじさんであり、また、ごろからとお西にしくに景色けしきなどをえがいて、あこがれていましたから、ついいってみるにもなったのでありました。
あねや、おとうとは、彼女かのじょのまわりにあつまって、いまさらわかれてゆく、むすめのためにかなしみました。ちょうど、うちまえには、赤々あかあかとした、ほうせんかが、いまをさかりにみだれていました。このはなを二ばんめのむすめはことにあいしていました。それで、あさとなく、ゆうべとなく、みずをやったりしたので、
「ああ、このあかはなにも、わたしわかれてゆかなければならない。せめて、このはな種子たねってまいりましょう……。」といって、むすめは、ほうせんかの種子たねを、かみつつんで、それをふところなかにいれたのでした。
それは、なつわりにちかづいた、あるでありました。むすめは、薬売くすりうりの小父おじさんにつれられて、みんなとわかれて、門出かどでをしたのであります。母親ははおやなみだをもって見送みおくりました。あねや、おとうとは、むらのはずれまでおくってゆきました。そして、むすめは、うしろがみかれるようにりかえり、りかえりいってしまったのであります。
これは、ほんとうに、にも、あねや、おとうとにも、またこいしい母親ははおやにも、ながい、ながわかれでありました。
薬売くすりうりの小父おじさんは、そのよいみなとから汽船きせんって、むすめをつれて、とおい、とおい、西にしうみしてはしっていったのであります。
北国ほっこくそらは、いつものごとく、ほんのりとやまあかいろづいて、おきほうあかるく、れかかりました。
ほうせんかが、うちまえいているのをるにつけて、母親ははおやは、二ばんめのむすめうえあんじました。ふねっていったのであるが、もういたであろうか。そうおもっては、門口かどぐちって、ぼんやりとおきほうそらをながめていました。
あねや、おとうとは、いなくなった二ばんめのむすめのことをおもして、いつもいっしょになってあそんだので、いままでのように、はしゃぐこともありませんでした。
は、一にちにちとたってゆきました。けれど、いったむすめは、もうかえってくることもなかったので、ははは、いまさらのごとく後悔こうかいをしました。
「なんで、とおいところへなどやってしまったろう?」といって、よるも、ろくろくねむらずに、おもかすこともあったのです。
今年ことしは、二ばんめのねえちゃんがいないから、さびしいな。」といっておとうとは、青々あおあおとしてみわたったそらんでゆく、とり行方ゆくえ見送みおくりながら、ひとごとをしたのでありました。

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