いつしか、ほうせんかはすっかり
散ってしまいました。そして、
園には、とうがらしが
赤く
色づきました。
山には、くりが
紫色に
熟すときがきました。
秋になったのであります。
秋になると、
母親はいっそう、
遠くへやった
娘のことを
思い
出しました。それでなくてさえ、
虫の
声が、
戸の
外の
草むらのうちにすだくのでした。
ある
夜のこと、
母親は、二
番めの
娘が
帰ってきた
夢を
見ました。
「おまえは、どうして
帰ってきたか?」と、
母親は
喜びと、
驚きとで
戸口へ
飛び
出しました。
「お
母さんは、いったら、
我慢をして
家へ
帰りたいなどと
思ってはいけないと、おっしゃったけれど、
私、どうしても
帰りたくて、
帰りたくてならないので、
帰ってきました……。」と、
娘は
泣きながら
訴えたのです。
「あ、よく
帰ってきてくれた!
私は、おまえがいった
日から、一
日でも
胸の
休まった
日とてなかった。いくら
貧乏しても、
親子はいっしょに
暮らします。もう、けっして、おまえをどこにもやりはしない。」と、
母親はいいました。
ふと、
目がさめると、
娘はそこにいませんでした。そして、いってから、いまだに
便りとてなかったのです。
「
夢であったか……。それにしても、
娘は、いまごろどうしたであろう。」と、
母親は、
思っていました。
すると、このとき、かすかに、すすり
泣きするような
音が、
戸の
外できこえたのであります。
母親は、
驚いて
床の
中から
起き
上がりました。ほんとうに
娘が
帰ってきて、もしや
家にはいれないで、
庭さきにでも
立って
泣いているのでなかろうかと
思ったのでした。
彼女は
雨戸を
開けて、わざわざ
外へ
出てあたりをながめてみました。
外は、いい
月夜でありました。
昼間のように
明るく、
木立の
姿はうす
青い
月の
光に
照らし
出されていました。しかし、どこにも
娘の
姿は
見えませんでした。そして、はるかかなたから、
波の
音がすすり
泣くようにきこえてきました。
さすがに、
秋になると、
宵々に、
荒海に
打ち
寄せる
波の
音が、いくつかの
村々を
過ぎ、
野を
越えて、
遠くまできこえてくるのであります。
娘の
泣き
声と
思ったのは、その
波の
音であったのでした。
姉や、
弟も、二
番めの
娘のことをいいくらしていました。
冬がきました。こがらしは、
空に
叫び、
雪はひらひらと
舞って
飛び、
山も、
林も、やがて
真っ
白となって、
雪の
下にうずもれてしまいました。この
時分になると、もはや、
汽船の
笛の
音もきくことができませんでした。
荒浪は、ますます
荒れて、
暗い
空の
下に、
海は、
白くあわだっていたからであります。
山にすんでいる
獣や、
鳥は、
餌を
探すのに
困ったのであります。ある
日のこと、
姉や
弟が、
窓から
外を
見ていますと、四、五
羽のからすが、
鳴きながら、
野原の
方から
飛んできて、
圃の
中の
木立に
止まり、
悲しそうに
鳴いていました。それは、
親子のからすのように
見えました。やはり
雪のために、
餌を
探しに
里の
方へやってきたのだと
思われます。
子供たちは、これを
見ると、なんとなくかわいそうに
思いました。それで、あわもちがあったからそれを
小さくして、
圃の
方へ、
窓から
投げてやりました。すると、からすは、
目ざとくそれを
見つけて、一
羽のからすが
降りて、
雪の
中から、もちぎれを
拾いあげると、また
立ち
上がって
木の
枝に
止まりました。
子供らはどうするだろうかと
見ていますと、そのからすは、
自分で、それを
食べずに、
下の
枝に
止まっていた、からすのくちばしにそれをいれてやったのです。
餌を
拾ったからすは、
母親であって、それを
食べさしてもらったのはその
子供であると
思われました。
「まあ、なんとやさしいもんでないか?」と、
子供たちといっしょにそれを
見ていた、
母親がいって
感心しました。これを
見るにつけて
母親は、二
番めの
娘の
身の
上を
案じました。
「あのしんせつな、
人のよさそうな
小父さんのことだから、
娘は、しあわせに
暮らしているにちがいなかろうが、どんなにか、あの
遠方に
離れているのでさびしかろう……。」
と
思い、
涙ぐまずにはいられませんでした。
「お
姉ちゃんは、どうしたろうね?」と、
弟は、
思い
出して
聞くと、一
家の
内は、
急にしんみりとするのでした。
そのあくる
年の
春のことでした。
娘のところから、はじめてのたよりがありました。それには、たいへんいいところで、
気候も
暖かであれば、
町も
美しく、にぎやかで、
自分は、しあわせに
暮らしているから
安心してもらいたいと
書いてありました。
このとき、
母親をはじめ、
姉弟たちは、どんなに
喜んだでありましょう。そして、
姉や、
弟は、
自分たちも二
番めの
娘のいっている
国へいってみたいと
憧れました。
けれど、この
時分には、まだこの
地方には
汽車というものがありませんでした。どこへゆくにも、
荒海を
汽船でゆかなければならなかったのです。
西の
国へ、もらわれていった、二
番めの
娘は、
大事にされていたので
幸福でした。
小父さんの
家は、
町での
薬屋でありました。
小父さんは、
薬を
売って
諸国を
歩いていましたが、
留守には、おばあさんが
薬屋の
店にすわっていたのであります。
二
番めの
娘は、こうして
幸福であるにつけて、
故郷の
姉や
弟や、また
恋しい
母親を
思い
出さずにはいられませんでした。
「いまごろは、お
母さんはどうしておいでなさるだろう……。」と
思いました。
「
種子を
持ってきてまいたほうせんかが
咲いたが、ふるさとの
前の
圃にもたくさん
咲くことであろう……。そして、いまごろになると、うす
紅く
色どられた
沖の
方の
空を
望んで、なんとなく、
遠いところに
憧れたものだが、やはりあちらの
空は、
今宵も
美しく
色づくことであろう……。」などと
思いました。
冬になっても、
娘のきた
地方は、
雪も
降りませんでした。いつもあたたかないい
天気がつづいて、
北国の
春の
時節のような
景色でした。
彼女は、
吹雪のうちにうずもれている、
故郷のさびしい
村を
目に
描いて、そこに
住む
哀れな
母や、
姉弟を
思ったのであります。
このせつない
心をする
思いにくらべて、
故郷で、みんなといっしょに
暮らすことができたらば、どんなに
幸福なことであろうと
思われました。
どうかして、
彼女は、もう一
度ふるさとに
帰ってお
母さんや、
姉や、
弟に、あってきたいと
思いました。けれど、このころから、
小父さんは、
体がだんだん
弱ってきて、
彼女は、
年寄りたちを
独り
残して、
遠い
旅にも
出ることはできなかったのです。
小父さんが、ああして、
薬の
箱を
負って、
諸国を
歩いていた
時分に、もっと
南の
船着き
場で、
外国から
渡ってきた、
草の
種子を
手にいれました。それは、
黄色な
大きな
輪の
花を
開き、
太陽の
移る
方に
向いて、
頭を
動かす、
不思議な
花でありました。
当時、ひまわりの
花は、この
地方にすら
珍しいものに
思われました。また、この
花の
種子から、
薬が
造られるというので、
小父さんは、それを
持って
帰って、
自分の
家のまわりにまいたのであります。
このひまわりの
花が、そのときちょうど
赤ん
坊の
頭ほどもありそうな
大きな
輪に
開いていました。
娘は、この
黄金色をした
花をじっと
見ていますうちに、いつしか、その
花が
自分と
同じような
思いで
生きていることを
感じました。
花は、
自分が、
母親を
恋い
慕うように、つねに
太陽のありかを
慕っていたからです。
彼女は、いつからともなく、ひまわりの
花が
好きになりました。
一
日、
彼女は、
店さきにすわって、
街の
上を
飛んでいるつばめの
影をぼんやりと
見守っていました。そのとき、四十
前後の
男の
巡礼がはいってきて、すこし
休ませてくださいといいました。
巡礼は、
体のぐあいがわるく、それに、
疲れていました。
彼女は、さっそく、
薬を
与えました。しばらくすると、
巡礼は、
元気を
恢復しました。そして、
厚くお
礼を
述べて、これから
諸国の
神社仏閣を
参拝するとき、あなたの
身の
上をもお
祈りしますといいました。
娘は、この
巡礼が、
遠い
諸国をもまわるのだとききましたから、もしや
自分の
故郷へもゆくことはないかと
問いました。
「
来年の
春のころには、あなたの
故郷の
方へもまいります。」と
答えました。
彼女は、
考えていましたが、ひまわりの
種子を
紙に
包んで、すこしばかり
持ってきました。
「もし、
私の
家の
前をお
通りなさることもありましたら、この
種子を
私だと
思ってくださいといって、
母に
渡し、
姉や、
弟に、よろしくいってください。」といって
頼みました。
巡礼の
男は、それを
受け
取って、
「たしかにお
渡しいたします。ありがとうございました。」と、
礼をいって
立ち
去りました。
「お
達者に。」といって、
娘は、
巡礼を
見送りました。
巡礼は、
遠ざかってゆきました。
彼女は、あの
青い、
青い
海を、
汽船で
幾日も
揺られてきた
時分のことを
思い
出しました。いまの
巡礼は、
山を
越え、
河を
渡り、
野原を
過ぎ、
村々をいって、
自分の
故郷に
着くには、いつのころであろうと
考えられたのです。おそらく、
木々の
葉がちってしまい、さびしい、
寒い
冬をどこかですごして、
来年のことであろうと
思われました。
今日も、
夕日は、
町の
白壁を
染めて、
静かに
暮れてゆきました。
小父さんが
亡くなられて、その
後は、おばあさんと
娘とで
暮らしましたが、
娘はだんだんと
大人となってゆきました。しかし、その
時分となっても、
彼女は
故郷に
帰ることはできなかったのです。
娘と
約束をした
巡礼は、たしかに、その
約束をはたしました。ある
日のこと、
巡礼は、
娘の
生まれた
家の
前を
過ぎて、そこに
立ち
寄って、
娘の
渡した、
紙に
包んだひまわりの
種子を
渡し、「お
娘さんは、
達者でいられます。これを
私と
思ってくださいといって
渡されました。」といいました。
一
家のものは、どんなにか、この
巡礼をなつかしがってながめたでありましょう。そして、
娘にあったときのようすや、その
家や、また
町の
有り
様などをもたずねたでありましょう……。
母親は、
年寄りになり、
姉や、
弟も、
大きくなり、
姉は、
近くの
村に
嫁にゆきました。そして、
娘の
家の
前には、
毎年、
夏になると
脊の
高い、ひまわりの
花がみごとに
咲きました。
西の
国から、はじめてきたこの
花は、そのころこのあたりでは
珍しいものでした。ひまわりの
花が、
日に
向かって、
頭をうつすのを
見ると、二
番めの
娘が
故郷を
恋しがっているのだと、一
家のものは
悲しく
思いました。
年とった
母親は、ほうせんかの
種子の
飛ぶのを
見ては、二
番めの
娘を
思い
出して、いつも
涙ぐんだということであります。
――一九二五・八作――
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