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初夏の空で笑う女(1)
日期:2022-12-05 23:59  点击:281
 

初夏の空で笑う女

小川未明


あるところに、おどることのきなむすめがありました。いえのうちにいてはもとよりのこと、そとても、くさかぜかれてうごくのをては、自分じぶんもそれと調子ちょうしわせて、あしうごかしたり、からだをしなやかにげるのでした。
また、かがやした花園はなぞので、はなびらがなよなよとそよかぜにひらめくのをると、たまらなくなって、彼女かのじょは、いっしょになってダンスをしたのであります。
両親りょうしんは、自分じぶんむすめをもてあましてしまいました。母親ははおやは、ダンスなどというものは、きらいでありましたから、
「もう、これほどまでいって、それでもかないで、おどりたいなら、おまえはうちにいないほうがいいから、かってにゆきたいところへいって、おどりたいだけ、おどったらいい。」と、母親ははおやはいいました。
母親ははおやは、むすめ裁縫さいほうおしえたり、また行儀ぎょうぎならわしたりしたいとおもったからです。けれどむすめは、それよりか、自分じぶんかってにおどりたかったのであります。
「おかあさん、わたしは、もっとたびへいって、おどりのけいこをいたします。そして、それでをたてたいとおもいますから、どうぞ、おひまをください。」とたのみました。
両親りょうしんは、いつか、むすめ自身じしんがつくときがあるであろうとおもって、なみだながらに、それをゆるしました。
むすめは、あるときは、くもながれるほうかってあるいていきました。また、あるときは、みずながれるほうかって、たびつづけました。そして、白壁しらかべや、あか煉瓦れんがなどのえる、気持きもちのいいまちきました。
彼女かのじょは、まちなかあるいていますと、ちいさな劇場げきじょうのようなところがあって、そこにはうつくしいはなかざりがしてあり、はたなどがててありました。そして、看板かんばんに、「どなたでも、おどりたいとおもひとは、おどりなさい。うたいたいとおもわれるひとは、うたいなさい。そのかわり、上手じょうずでなければ、人々ひとびとわらいます。」と、いてありました。
彼女かのじょは、この劇場げきじょうまえってかんがえました。
おどりたいには、おどりたいが、上手じょうずおどれるだろうか? 下手へたおどって、人々ひとびとからわらわれやしないだろうか?」
しかし、彼女かのじょは、べつにたよっていくところのきまったでもありませんから、上手じょうず下手へたはそのときの運命うんめいおもって、とにかくおどることにしました。
彼女かのじょは、みんなのまえおどりました。
くさおどり」
あかはなのダンス」
こうした、二つのおどりは、みんなに不思議ふしぎかんじをあたえました。みんなは、よろこびました。拍手はくしゅしました。彼女かのじょは、あたかも、なよなよとくさかぜにもまれるように、やわらかにからだ波打なみうたせておどりました。また、真紅まっかみだれたはなが、かぜかれて、いまにもりそうなようすを、り、あしうごかし、からだをひねって、してみせたのであります。
「なんというおもしろいおどりだろう……。」と、みんなは口々くちぐちにいいはやしました。
ここに、金持かねもちのおじょうさまがありました。おとうさんや、おかあさんは、たくさんのおかねのこして、このなかからられたので、おじょうさまはりっぱな、おおきないえになに不自由ふじゆうなく、ひとりでらしていられました。
このおじょうさまが、ちょうど劇場げきじょうにきて、むすめおどりをていられましたが、おどりばかりでなく、このむすめがたいそうにいられました。
「おまえさんは、わたしのうちへきませんか。」と、おじょうさまは、おどりがえると、むすめにあってはなされました。むすめはおじょうさまにかって、
わたしは、ただおどりたいのです。わたし自由じゆうおどらせてくださればまいります。」といいました。
「わたしは、おまえさんから、そのおどりをならいたいのですから、そんな、気兼きがねはすこしもいりません。」と、おさまさまはこたえられました。
むすめは、そのから、おじょうさまのいえむことになりました。
じょうさまのいえは、りっぱなおうちでした。そして、あお着物きものをきた、もう一人ひとりうつくしいむすめがいました。そのむすめは、いいこえで一にちうたうたっているのでした。
「このむすめさんは、おまえさんとちがってうたうことがきなんです。それで、こうして、きなうたをうたっているのですよ。おまえさんは、今日きょうからかってに、このうちおどりなさるがいい。」と、おじょうさまは、いわれました。
むすめは、自由じゆうなところだとおもいました。そして、はじめて、ながあいだのぞみがかなったようにおもいました。いいこえで、うたっていた少女しょうじょは、ぶどうのような、うるんだでじっと、あたらしく、ここへきたむすめながら、
「あなたは、くさや、あかはなから、おどりをおそわったとおねえさまからきましたが、わたしは、またうた小鳥ことりから、あのみみずから……かぜから、いろいろなものからならいましたの。わたしあお着物きものて、こうしてうたっていると、ちょうど自分じぶん小鳥ことりのようながして、それは、うれしいんですよ……。」
あお着物きもの少女しょうじょが、おじょうさまをねえさんといいますので、彼女かのじょもまた、おじょうさまのことをねえさんということにしました。
このうたうたうことのきな少女しょうじょは、やはり自分じぶんうちにいる時分じぶん朝晩あさばんうたっていましたので、うたをきらいな、むずかしいおとうさんは、むすめをしかって、どこへでもいってしまえといいました。それで少女しょうじょは、いえて、やはり、このまちにやってきました。そして、劇場げきじょうまえとおりますと、
うたいたいものは、だれでも、はいって遠慮えんりょなくうたいなさい。まずければ、ひとわらわれます。」と、このときも、看板かんばんいてありました。
少女しょうじょは、こずえにまって、小鳥ことり自由じゆうにさえずるときの姿すがたおもしました。また、なつ晩方ばんがたねむそうに、うたうたっているみみずのふしおもしました。それが、みんなの喝采かっさいはくしました。このときも、おじょうさまは、ここにきていて、この少女しょうじょうたかれました。そして、少女しょうじょをおうちへつれてかえられたのでした。
はなおどりには、あか着物きものるといい。」と、おじょうさまはいって、このおどりのきなむすめには、うつくしい花弁はなびらのような着物きものを、つくってくださいました。

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