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初夏の空で笑う女(2)
日期:2022-12-05 23:59  点击:280
 
そのから、うちなかで、あお着物きもの少女しょうじょはうたい、あか着物きものむすめは、花弁はなびらかぜかれくるうごとくおどるのでありました。
あるのことです。りっぱな、おじょうさまの馬車ばしゃもんまえまると、おじょうさまは、黒髪くろかみ両方りょうほうのふくよかなかたみだした、半裸体はんらたいわかおんなをつれて、おうちなかへはいられました。
あお着物きもの少女しょうじょも、あか着物きものむすめも、このあやしげなおんなて、まるくしてびっくりしていました。
「このひとは、魔術使まじゅつつかいなのよ。今日きょうから、このうちで、いっしょにらすことになったの。」と、おじょうさまは、おどろいている二人ふたりかっていわれました。
黒目勝くろめがちな、くちびるあかい、まゆい、かみながおんなは、だまって、二人ふたりかってあたまげました。魔術使まじゅつつかいのおんなは、おしなのでした。
「おまえさんには、くろ着物きものがよく似合にあうようだ。」といって、おじょうさまは、魔術使まじゅつつかいのおんなには、くろ着物きものをきせました。
そのおんなは、なんでも、魔術まじゅつをインドじんからおそわったということです。人間にんげんをはとにしたり、からすにしたり、また、はとをさらにしたり、りんごにしたりする不思議ふしぎじゅつっていました。いままで、いいこえうたっていたあお着物きものむすめが、魔術まじゅつにかかってからすになったり、いままであか着物きものをきておどっていたむすめが、たちまちのあいだにはとになるかとおもうと、うつくしい、はなやかな着物きものをきて、わらって、それをばごらんになっていたおじょうさままでが、どこへか姿すがたえてしまったり、最後さいごに、魔術使まじゅつつか自身じしんも、しろけむりをたててなくなってしまったりするかとおもうと、まえへ一ぽんくさし、それがすぐおおきくなってはなき、そのなかから人間にんげんまれる――それが、おじょうさまであったり、また、はとが、まれかわってはこなかからるときは、いつのまにか、あか着物きものをきたむすめになったりするような、それは不思議ふしぎなことばかりでありました。
「もっとおもしろいなにかげいをするむすめさんたちが、あつまってこないものかね。」と、おじょうさまは、その劇場げきじょうへいってみられたけれど、それからおんなは、平凡へいぼんなものばかりでした。
「おねえさま、きっとたびたらおもしろいことがあるとおもいます。」と、あお着物きものをきた少女しょうじょがいいました。
「わたしも、そんなことをおもっていたのよ。もうこのまち生活せいかつにもきましたから、四にんたびて、ゆくさきざきの劇場げきじょうで、わたしたちのげいをしてみせたら、かえっておもしろいかもしれない。」と、おじょうさまはいわれました。
そこで、四にんは、たびたのであります。そして、ゆくさきざきでいろいろのげいをしてみました。四にん年若としわかおんなたちは、いずれもうつくしいかおで、人々ひとびとをうっとりとさせました。なかでもおとこたちは、かつて、こんなにうつくしいおんなたことがないといって、感歎かんたんしました。そして、まれには、結婚けっこんもうんでくるものもありましたけれど、四にんは、けっして、それらのひとたちには、いませんでした。魔術使まじゅつつかいのおんなはおしではありましたけれど、かおのどこかに、いちばんおおひとするちからをもっていました。
なつのはじめになると、北国ほっこくうみ青々あおあおとしてえていました。彼女かのじょらは、この海岸かいがんちいさなまちにはいってきて、そこの劇場げきじょうおどったり、うたったり、また魔術まじゅつ使つかったりしてみせました。まだまったくひらけていない土地とち人々ひとびとだけに、どんなにおどろいたつきをして、このうつくしいおんなたちをながめたでありましょう。
着物きものをきて、はなのようにおどる。」といって、よろこびました。
「あのくろ着物きものをきたおんなは、なんというすごいほどうつくしいおんなだろう。そして、魔術まじゅつ使つかう。」といって、おどろいてうわさをしました。
また、まちおとこも、おんなも、うつくしいおじょうさまについて、また、かぜのあたるみどりはやしおもわせるような、うた上手じょうずうた少女しょうじょについて、いろいろの評判ひょうばんをしました。そのうちに、彼女かのじょらは、このちいさな北国ほっこくまちにもわかれをげて、とお西にしくにして、旅立たびだたなければならぬがきました。
彼女かのじょらの、このまちってしまうということは、たのしみと色彩しきさいとぼしいこのあたりの人々ひとびとに、なんとなくさびしいことにかんじられたのであります。そこで、いよいよそのがくると、若者わかものたちは、そと彼女かのじょらのつのを見送みおくっていました。
にんうつくしいおんなたちは、あか馬車ばしゃりました。あか馬車ばしゃは、あおうみ左手ひだりてにながめながら、海岸かいがんはしっていったのであります。
初夏はつなつひかりらされて、そのあか馬車ばしゃは、いっそうあざやかに、いろえてられました。そして、あおうみいろ反映はんえいして、うつくしかったのでした。馬車ばしゃはしって、はしっていきました。海岸かいがんみちは、しだいにけわしくなりました。
ぽうやまで、としたようになって、一ぽうふかふかがけであります。そのがけしたには、おおきななみせていました。
あか馬車ばしゃは、どうあやまったものか、いきおいよくはしってゆくと、そのがけからまっさかさまにうみなかへと四にんおんなたちをせたままちてしまいました。そして、いままで、あかえついたように、はしっていった馬車ばしゃかげは、もはや、どこにもえませんでした。太陽たいようは、そのことをってか、もしくはらずにか、すこしのわりもなく、しろみちらし、あおうみおもてらしていました。
たまたま、馬車ばしゃがけからちたのをていたものがあって、大騒おおさわぎになりました。人々ひとびとはそこへいってみました。けれど、うまも、ひとも、またあかはこも、なにひとつ名残なごりをとどめていないので、みんなはそのことをはなはだ不思議ふしぎおもいました。
魔術使まじゅつつかいのっている馬車ばしゃだから、どんな魔術まじゅつ使つかって、姿すがたしたのかもしれない。」といったものもありました。
その、このはなしは、この海岸かいがん不思議ふしぎはなしとなりました。
くらばんに、北国ほっこくうみ航海こうかいするふねが、たまたまこのあたりをとおりますと、どこからともなく、わかおんなうたこえが、こえてくることがあるといいました。また、ある漁船ぎょせんは、よるあめなかをさびしくこいでいると、あちらから一そうの小舟こぶねがやってきて、おともなくすれちがう。そのふねなかには、あか着物きものをきたおんながただ一人ひとりすわって、いているのをたというものもありました。
毎年まいとし初夏はつなつのころのことであります。この海岸かいがんに、蜃気楼しんきろうかびます。あか着物きものをきたおんなおどり、あお着物きものをきたおんなや、くろいからすのかげなどが、そらえるかとおもうと、しばらくして、えてしまい、れわたった、かがやかしい太陽たいようしたで、かおかたちえないで、おんなわらこえがきこえる……。こんな神秘的しんぴてき現象げんしょうをこの海岸かいがん人々ひとびとは、いままでいくたびもたり、いたりしたということであります。
――一九二五・三――
 

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