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はてしなき世界(2)
日期:2022-12-05 23:59  点击:279
 
かあさんは、それでもそらあかるくなると、エプロンは、どこへんでいったろうといえのまわりをさがしました。すると、あかちゃんのにくらしくおもったエプロンは、どぶなかちて、みずなかにうずまっていました。
「まあまあ、こんなにきたなくなってしまったから、ててしまいましょう。」と、おかあさんはいわれました。
かあさんは、エプロンをごみばこなかててしまいました。こうして、あかちゃんのきらいであったエプロンは、永久えいきゅうに、もうあかちゃんのからえないところにいってしまったのです。
その翌日よくじつから、あかちゃんは、いえうちにエプロンをませんでした。けれど、おかあさんはやはり、いつでも自分じぶんといっしょにあそんだり、ねころんだりしてはいられませんでした。あのこまかいこうしじまのわりに、おかあさんは、どこからかしろなエプロンをってきてはたらいていたのです。
あかちゃんには、もうどうしたらいいかわからなくなりました。そして、ついに、自分じぶん大好だいすきなおかあさんは、(いつでも自分じぶんはおかあさんといっしょにいたいのだけれど、)自分じぶんといるものでないということをりました。そして、そのことはあかちゃんにとって、いいようのないさびしさをおぼえさせたのであります。
このあかちゃんは、いつしか日数ひかずをへて、かわいらしいぼっちゃんとなりました。
ぼっちゃんは、もうそのころから、自分じぶんは、ただ一人ひとりであるというような、さびしさをかんじたのであります。みんなからはなれて、ぼんやりとみちうえってとおくのくもをながめたり、また、そらをはてしなくんでゆくとりかげ見送みおくったりして、かんがえんでいるようなことがおおうございました。
あるなつ晩方ばんがたのことでありました。このかんぶか子供こどもみちうえにたたずんで、いつものようにあたまうえんでゆくとりをながめていました。もうあたりはだんだんとくらくなりかけていました。けれど、とりんでゆくかなたのそらだけは、あかるい、なんとなくなつかしいいろを、ひとみえいじたのでありました。
「ああわたしとりになりたい。そして、あっちのあかるいくにんでゆきたいものだ。」と、子供こどもはいいました。
すると、どんなものにたいしても注意深ちゅういぶかく、またみみざといとりしたほういて、すぐに子供こどもつけて、そのいうことをすっかりいたのでありました。
ぼっちゃんは、わたしといっしょにあっちへゆきたいのですか。だけれど、それはできません。わたしのゆくところは、たいへんにとおいところなのであります。わたしは、ぼっちゃんに、わたしっているようなと、わたしむね宿やどっているようなたましいけてあげますように、かみさまにおねがいしましょう。そうすれば、ぼっちゃんは、いつもわたしたちとおなじように、ほかの人間にんげんにはわからないような、不思議ふしぎなきれいなひかりたり、また、かすかなとおおとくことができます。」といって、とりはこの子供こどもあたまうえでないて、また、とおたびをつづけてゆきました。
それから、子供こどもはひとり、そらとりかげばかりでなく、はなや、いしや、や、なににたいしてもじっと見入みいって、ふかくものをおもうようになったのであります。
けれど、この子供こどもが、だまって、じっとものに見入みいっているのをて、こころうちに、どんなことをかんがえているか? やはり、だれもそのことをるものはなかったでありましょう。
なか大人おとなは、てんでにあたまなかで、かねもうけのことや、らしきのことなどをかんがえて、さっさとみちうえあるいています。そして、だれもなかにうずもれた、かすかなひかりがあっても、それに注意ちゅういけるものはありませんでした。
「ガラスびんのかけらだろう。」
みんな、そんなようにおもっていたのでありました。
そのとき、この子供こどもは、とおくから、この紫色むらさきいろひかりつけて、わざわざそのところまでやってきました。そして、ちいさなで、棒切ぼうきれでもってなかから、そのひかいししました。
青黒あおぐろいろをしたちいさないしでありました。このいしは、子供こどもがじっとそのいしつめたときに、
ぼっちゃん、よくあなたは、わたしつけてくださいました。わたしは、ながあいだ、このなかにうずめられて、かすかなひかりはなって、だれか、わたししてくれるのをっていました。しかしだれも、わたしをば注意ちゅういしませんでした。たまたま注意ちゅういしたものも、わたしのそばまでやってきて、じっとますと、わたしが、ぜにでなかったので――そのひとは、わたしぜにちているとおもったのでした――わたしあたまって、さっさといってしまいました。そして、わたしは、たよりなく、不幸ふこうでした。わたしは、いつ、また、ぼっちゃんのからてられるかしれません。けれど、ぼっちゃんがわたしにとって、しばらくでも大事だいじにしてくださいましたごおんは、けっしてわすれはいたしません。ぼっちゃんは、きっとわたしおなじいいろのものを、このなかで、しかも人間にんげんなかられることがあります。そのときこそ、ほんとうに、ぼっちゃんがよろこびなさいますときですよ。」と、そのちいさないしが、ものをいっているようにおもわれました。
はたして、このいし気遣きづかったように、このいし子供こども大事だいじにしておいたけれど、いつとなくどこへかなくしてしまいました。
「どこへなくしてしまったろう?」と、子供こどもいしさがしました。けれど、見当みあたりませんでした。しかし、そのいしあおいろは、いつまでも子供こどもなかのこっていました。なんというなつかしみのふかい、あおいろであったろうか?
こうして、子供こども追懐ついかいにふけるということをおぼえました。子供こどもっている前方ぜんぽうには、かがやかしい野原のはらがありました。そして後方うしろには、うすあおそらがはてしなくひろがっていました。
 

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