はととりんご
小川未明
二人の少年が、竹刀をこわきに抱えて、話しながら歩いてきました。
「新ちゃん、僕は、お小手がうまいのだぜ。」
「ふうん、僕は、お胴だよ。」
「お面は、なかなかはいらないね。」
「どうしても、背の高いものがとくさ。正ちゃん、いつか仕合してみない。」
新吉は、お友だちの顔を見て、にっこりと笑いました。
「まだ、君と、やったことがないね。だが、新ちゃんを負かすと、かわいそうだからな。」
「だれが、正ちゃんに負けるものか。」
新吉は、自信ありげに肩をそびやかして、前方をにらみました。
「僕は、新ちゃんに負けない。」
「僕も、正ちゃんに負けない。」
二人は、道の上で、竹刀を振りまわしながら、仕合のまねごとを始めたのです。
「お小手。」
「お面。」
「おや、あぶのうございますよ。」
ふいに、どこかのおばさんが声をかけました。おばさんは、道の端の方へ体をさけていました。
「新ちゃん、あぶないからよそうや。」と、正二がいいました。
「ああ、よそう。」
二人は、往来で、こんなことをしてはよくないことに気がついて、ふたたびおとなしく、肩を並べて歩いていました。さっきのおばさんは、いきかけてから、ちょっと立ち止まって、振り向いて笑いました。
「正ちゃん、僕のはと、ねこにとられてしまった。」
「えっ、とられた。」
「どらねこがとったのだよ。君、知らない。尾の長い三毛ねこだ。はとが遊びから帰って、箱のトラップへはいるのを見ていたのだね。後からついてはいって、二羽とも食べてしまったのさ。出ようとしても、トラップの口があかないだろう。ねこのやつ、箱の中でじっとして、目を細くして眠っていたのだよ。」
「悪いやつだね。それからどうした。」
正ちゃんは、足を止めて、新ちゃんの顔を見ました。
「僕、どうしてやろうかと思って、おねえさんを呼んだのさ。おねえさんも二階へ上がってきて、『悪いねこだから、ひどいめにあわせておやり。』というから、僕、太いステッキを持ってきて、なぐろうと思ったのさ。箱の中から引き出そうとしても、お腹が大きくて、トラップの口から出そうもないのだよ。」
新吉は、そのときのことを思い出して、息をはずませました。
「なぐった。」
「だって、箱の中へはいっているのだろう。上からなぐれないし、僕、困ったのだよ。」
「ねこは、どうしていた。」
「悪いやつだね、目を細くして、知らないふうをしているのさ。」
「あばれなかったの。はははは、だまそうと思ったのだね。」と、正ちゃんが笑いました。
「じっとしているから、おねえさんに箱のふたをはずしてもらって、僕が、なぐってやろうとしたのだ。」
「なぐった。」
新吉は、ねえさんが注意しながら、ふたをはずしたのを思い出しました。そのとき、ねこはあまえるようにして、体をねえさんにこすりつけたので、自分は、振り上げた手をどうしようかと、ちょっとためらった瞬間に、ねこが矢のように逃げ出したので、はっと思って、すぐなぐったが、ただ、はげしく、ステッキが地面を打っただけでありました。
「打ちそこねて、おしいことをしたのさ。」
「だめだな、新ちゃんは、そんなの打てなくてどうするのだい。僕なら、きっと、たたき殺してやったのに。」
正二は、今度、仕合をしても、自分は、じゅうぶん勝てる、といわぬばかりの調子でありました。
「僕、あんなやさしいねこの姿を見なければ打てたのさ。」
日ごろ、犬やねこをかわいがる新吉は、まったく、そのとき、手もとがくるったのであります。
「だめだなあ、敵を討つとき、かわいそうもなんにもないだろう。」と、正二がいいました。正二のいったことは、たしかに、新吉を深く考えさせました。
「だが、ねこは、鳥をとるのを悪いと思っていないだろう。」
「君、はとのほうが、よっぽどかわいそうだろう。」
「それは、そうだ。」
「みたまえ、箱の中はどんなだったい、血だらけでなかった。」
「ああ、血がそこらについて、毛が散らばっていた。」
「それだのに、君は、はとの敵を討つのに、かわいそうだなんて思ったのか。」
正二は、新吉をなじりました。新吉は、じっと下を向いて歩いていました。そして、つくづくと自分の勇気がなかったのを感じ、ねこをなぐらなかったのを後悔しました。
交叉点のところへかかると、まだ、青赤の信号燈がまにあわぬとみえて、ばたんばたんと、ゴーストップの機械をまわして、見張りの巡査がピリッピリッと、そのたびに笛を鳴らしていました。
ばたんと赤が出ると、一方からくる車がみんな止まって、いままで、じっとしていた車が、流れるように続きました。また、ばたんと機械がまわって、ピリッピリッと鳴ると、ゴウッと走ってきた車が急に止まって、止まっていた車が走り出すのです。台の上に立って、ピリッピリッと笛を鳴らすおまわりさんは、あるときは、やせて背の高い人のこともあれば、ときには、太って腹をつき出した赤ら顔の人のこともありました。
今日は、その太ったおまわりさんで、胸を張って、元気よく合図をしていました。
ピリッピリッと笛が鳴りました。このときと思って、二人があちらへ道を横切っていきかかると、
「おい、君。」と、おまわりさんは、後ろから、二人を呼び止めました。新吉も正二も、びっくりして、おまわりさんの方を見返りました。
「ちょっと、きたまえ。」と、おまわりさんは、大きな声でいいました。
あちらの歩道を歩いている人たちまでが立ち止まって、なんだろうと、こちらを見たのです。
「僕たちは、なにをしかられるようなことをしたろうか。」
二人は、顔を見合ったが、おまわりさんが手を上げて招くので、その前へいきました。その間も、おまわりさんは休まずに、ばたんばたんと機械をまわしながら、ピリッピリッと笛を鳴らしました。そして、一方からくる車は、それによって、ゴウッと走り出し、一方からくる車は、それによって、ぴたっと止まりました。
おまわりさんは、いつもここを通る二人の顔を知っているとみえて、
「いま帰るのか、おそいな。」といいました。なるほど、短い冬の太陽は、もう西にかたむきかけていました。
「撃剣のおけいこをしてきたのです。」と、正二が答えました。
「君、それで、ひとつ、この小僧を打ってくれ。」と、おまわりさんは、わきを振り向きました。二人は驚いて、そちらを見ると、かごを自転車に乗せた小僧さんが、じっとして立っていました。(きっと、合図を見ないで、走り抜けようとしたのだ。)と思いました。
「ひとつ、うんと打ってくれ。」と、おまわりさんは、今度、新吉の方に向き直っていいました。
「僕、いやです。」と、新吉は答えました。
「許しておやりよ。」と、正二が、おまわりさんの顔を見上げていったのです。
「いや、一つ打てば許してやる。それでなければ、一時間も立たせておく。」
これを聞くと、正二は、一時間も立たされるのは、かえって小僧さんを苦しめることだから、(打とうかな。)と考えました。
彼は、竹刀を持ち直して、小僧さんの方を見たのでした。早くもそれを知った新吉は、
「えいっ。」といって、正二の顔を自分の竹刀で、一つ軽くたたいて、あちらへかけ出しました。
「やったな。」と、正二は頭をおさえて、すぐに新吉の後を追いかけました。おまわりさんは、大きな腹を抱えるようにして、
「わっ、ははは。」と笑いました。止まった車から見ている人たちまで、こちらを見て笑いましたが、ピリッピリッ、ぎい、ばたんばたんと機械がまわると、もう一瞬間前のことは忘れて、みんな走り出しました。二人の少年の姿は、見えなくなってしまったのでした。そのつぎのピリッピリッを鳴らし、機械をまわすと、巡査は、
「これから気をつけろ。」と、小僧を許してやりました。小僧は、幾度も頭を下げて、ほかの車といっしょに走り去りました。
町からはなれた野原の草は、毎夜降る霜のために、黄色く枯れていました。新吉は、一人、道の上で、夕焼けのうすれた西の空をのぞんで、雪のきた、遠くの山のけしきをながめていました。すきとおるような空の色は、ちょうど冷たいガラスのように、無限にひろがっています。そして、刻々と紫色に山の姿が変わっていくのでありました。
彼は、じっと目をこらして、うす紅色の空から、二羽のはとが、いまにもぽつんと黒い点のようにあらわれて、こちらへかけてきて、だんだん大きくなるような気がしたのです。
けれど、いつまでたっても、それはむなしいのぞみであって、なつかしい影は、あらわれませんでした。
「正ちゃんのいったように、あのとき、ねこをひどいめにあわせてやるのだったな。」
帰らぬことを思っていると、チリチリチンと鈴の音がして、八百屋の小僧さんが、やさいを乗せて、自転車を走らせてきました。そして、新吉の前を過ぎるときに、ふと小僧さんは、こちらを向いて、かごの中から、一つ紅いりんごを取り出して、新吉の立っている足もとの草の上へ投げていきました。
はっと思って、新吉は見送ると、小僧さんは振り返りながら、手を上げてしっけいをしました。
「あっ、さっきの小僧さんだ。小僧さん。」
すでに自転車は遠くなって、こちらを向く顔だけが、白く見えました。新吉は、りんごを拾い上げると、にっこり笑って、その冷たい紅いくだものを自分のほおに押しあてて、あくまで、北国の畠に生まれた、高いかおりをかごうとしたのであります。
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