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花と人間の話(1)
日期:2022-12-05 23:59  点击:280
 

花と人間の話

小川未明


あるところに、おじいさんと、おばあさんとがんでいました。そのうちまずしく、子供こどもがなかったから、さびしい生活せいかつおくっていました。
二人ふたりは、駄菓子だがしや、荒物あらものなどを、そのちいさなみせさきにならべて、それによって、その、そのらしていたのです。
あるとき、おじいさんは、どこからか、ちいさな常夏とこなつをもらってきました。それをはちえてみずをやり、また、毎日まいにちあたりにして生長せいちょうするのをたのしみに丹精たんせいをいたしました。
によらず、くさによらず、またひとによらず、すべてちいさなときから、おおきくなるには、容易よういのことでありません。いろいろのなやみや、苦痛くつうや、ほねおりがそれにともなうものです。
おじいさんは、常夏とこなつおおきなあめてないようにしました。また、かぜつよは、そとさないようにしました。こうして、一夏ひとなつすぎましたけれど、常夏とこなつはそうおおきくはなりませんでした。ちいさなつぼみを一つ、二つつけましたけれど、それがかないうちに、あきとなり、ふゆとなってしまいました。おじいさんは、しもにあててはならないとおもって、うちなかへいれておきました。そして、たるときだけ、まどぎわにしてやりました。けれど、とうとうそのつぼみはひらかずにしまいました。
おじいさんは、来年らいねんはるになるのをったのです。ついに、そのはるがきました。すると、常夏とこなつは、ぐんぐんとおおきくなりました。はじめは、ほそえだが、二ほんしかなかったのが、たちまちのうちに、三ぼんになり、四ほんとなり、こまかながたくさんついたのであります。そして、なつのはじめのころには、真紅まっかはなが、いくつもきました。
「おばあさん、こんなに、常夏とこなつがよくなった。」と、おじいさんは、いいながら、みずをやって、常夏とこなつはちみせさきにかざっておきました。
しかし、これほどの常夏とこなつは、ほかにいくらでもありました。まだ、たいしてりっぱな常夏とこなつということができません。
ちょうが、どこからかんできて、はなうえへとまりました。最初さいしょは、それは、おじいさんのよろこばしましたのですけれど、ちょうがたくさんのたまごんでいって、あとから、あお裸虫はだかむし無数むすう孵化ふかして、やわらかなや、べることをりますと、おじいさんは、についたむしってやったり、また、ちょうがんできてまろうとするのをったりして、それは、ひとらぬ苦心くしんをして、はなをいたわってやったのであります。
こうして、おじいさんのひととおりでないほねおりによって、常夏とこなつは、ますますみごとに生長せいちょうをいたしました。
ねんめには、それは、ほんとうに、みごとな常夏とこなつになりました。みせさきにいてあったのをとおりすがりのひといてゆくようになりました。
「なんというりっぱな常夏とこなつだろう。」
と、まえとおひとが、いってゆきました。
いえうちにいて、おじいさんは、これをくと得意とくいでありました。
「そうとも、わしが、子供こどもそだてるように、大事だいじにして、おおきくしたのだったもの。」と、おじいさんは、たばこをすいながら、ひとりごとをしました。
その翌年よくとしには、ますます常夏とこなつは、みごとになりました。くきふとのようになり、ちいさなえだは、幾筋いくすじとなくはちのまわりにがって、そのどんなちいさなさきにも、かわいらしいつぼみがついたのであります。
もう、こんなにみごとな常夏とこなつは、そう世間せけんにたくさんあるものでありませんでした。人々ひとびとが、このはなて、いろいろいってほめるのをくと、おじいさんは、まるで、自分じぶん子供こどもがほめられるように、うれしがりました。
「この常夏とこなつは、わしうちたからだ。」
と、おじいさんはわらいながらいったのです。
なるほど、このまずしいみせさきをまわしても、このうつくしい、いきいきとしたあかはなはちよりほかに、をひくようなものはありませんでした。
おじいさんは、常夏とこなつはなるときは、すべてのさびしさも、かなしさも、たよりなさも、いっさいわすれてしまいました。おばあさんは、また、おじいさんの毎日まいにちうれしそうなかおつきをるのが、なによりのたのしみでありました。

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