ある
日のこと、
近所に
住んでいる
金持ちが、
店さきへはいってまいりました。
「まことにみごとな
常夏だな、どうか
私に、これを
譲ってくださらぬか。」といいました。
おじいさんは、それどころではありませんでした。
「いえ、これは、
私の
大事な
常夏です。
売ることはできません。」と
答えました。
金持ちは、しかたなく、
店から
出てゆきました。しかし、よほど、この
花が
気にいったとみえて、それから、二、三
日すると、また、
金持ちは、やってきました。
「
私は、三
円出します。どうか、この
花を
売ってくださらぬか。」といいました。
「せっかくのお
頼みですけれど、これは、
私の
大事な
花です。お
譲りすることはできません。」と、おじいさんは、
答えました。
おばあさんは、三
円になれば、
売ってもよさそうなものにと、いわぬばかりの
顔つきをして、おじいさんを
見ていました。
その
日も、
金持ちはしかたなく
帰りました。その
後で、おばあさんは、おじいさんに
向かって、
「三
円のお
金をこの
店でもうけるのはたいへんなことだ。お
売りなさればよかったのに。」といいました。
「
私の
丹精を
考えてみるがいい。いくら
金になったって、この
常夏は、
売れるものではない。」と、おじいさんは、
頭を
振って
答えました。
金持ちは、よほど、その
花が
気にいったものとみえます。また、四、五
日するとやってきました。
「どうか、この
常夏を
売ってくださらぬか。五
円さしあげますから。」といいました。
おばあさんは、こんなことが、またとあるものではない。
売ったほうがいいと、そばでおじいさんに、
小さな
声ですすめました。おじいさんは、なるほど、
考えてみれば、この
店で、それだけの
金をもうけるのは、たいへんなことだと
考えたから、つい、その
金持ちに、
常夏を
売ってしまいました。
金持ちは、
喜んで、
常夏を
抱えて
家へ
帰りました。その
後で、おじいさんは、
大事な
子供を
奪われたように、がっかりしました。もはやさびしい
家のうちを、どこを
探ねても、
真紅ないきいきとした、
花の
影は
見られなかったのです。おじいさんは、また、
前のたよりない、さびしい
生活に
帰ってしまいました。
金持ちは、
家へ
持っていって二、三
日は、
飽かず、その
花をながめていましたが、そのうちに、だんだん
青々とした
葉が、
弱って、
花がしおれてきました。
金持ちは、
水をやったり、
肥料をやったり、
日に
当てたりしましたが、
花は、
小さなときから、
親しく、
慣れた、おじいさんの
手を
離れてしまったので、
万事調子が
変わったとみえて、しだいに、いけなくなってしまったのです。
「また、そのうちに、
常夏が
見つからぬものでない。
見つかったら、いくら
高くても、
買ってくることにしよう。」といって、
金持ちは、だんだん
弱ってゆく、
花を
振り
向きもせず、
庭さきへ
投げ
出しておきました。
あわれなおじいさんは、その
後も、
花のことを
思い
出していました。
「あの
常夏は、どうなったろう?」といって、さびしがりました。
そのうちに、おじいさんは
病気にかかりました。おばあさんは、はじめて、あのとき、
常夏を
金持ちに
売らなければよかったと
悟ったのであります。なぜならおじいさんは、なぐさめられるものがなく、その
後は、さびしそうに
見られたからです。
おばあさんは、
金持ちが、なんとなくうらめしくなりました。
自分たちの
幸福を
奪っていったようにさえ
思われたのでした。「ああ、お
金がなにになろう?」と、おばあさんは、せっかくおじいさんの
丹精した
花を、
金のために
売ったことに
対して
後悔しました。
ある
日、おばあさんは、五
円の
金を
持って
金持ちのところへやってきました。
「まことにおそれいりますが、いつかお
譲りしました、
常夏をまた
私どもにお
譲りしてくださるわけにはなりますまいか。」といって
頼みました。これを
聞くと、
金持ちは、から、からと
大きな
声で
笑いました。
「あの
常夏は、
枯れかかっている。ほしければ
庭さきにあるから、
持ってゆきなさい。お
金はいらないから。」といいました。おばあさんは、
傷ましい
気がして、
見る
影もない
常夏をもらって
家へ
帰りました。そして、おじいさんに
見せながら、
「こんなにするなら、
譲ってやるのでなかった。」と、おばあさんはいいました。
おじいさんは、
自分の
子供が、
傷ついて、
死にかかって
帰ってきたように
思いました。
「まあ、かわいそうに、
私の
手を
離れては、ほかの
人の
手でよくなりっこがない。」といって、
涙ぐみながら、
床から
起き
上がって、
土を
新しくして
植え
変えてやりました。そして、そのあくる
日から、おじいさんは、はじめて、
常夏を
芽から
丹精したときのように、
自分が
気分の
悪いのを
忘れて、
手入れをしてやりました。すると、
常夏は、だんだん
水を
吸い
上げて、
生き
返ってきたのです。
おじいさんは、その
有り
様を
見ると、
失われた
楽しみが
得られたのでした。
「このぶんならだいじょうぶだ。
精を
出して、よくしてやろう。もう、これからは、けっして、どんなことがあっても
手離すものでない。」と、
堅く
心に
思いながら、
日に
当てたり、
水をやったりしました。
おじいさんに、
希望ができると、いつしか
病気もなおってしまったのです。おじいさんは、ふたたび、
真紅な、いきいきとした
花が、
咲く
日を
楽しみにしているのであります。
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