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花と人間の話(2)
日期:2022-12-05 23:59  点击:279
 
あるのこと、近所きんじょんでいる金持かねもちが、みせさきへはいってまいりました。
「まことにみごとな常夏とこなつだな、どうかわたしに、これをゆずってくださらぬか。」といいました。
おじいさんは、それどころではありませんでした。
「いえ、これは、わたし大事だいじ常夏とこなつです。ることはできません。」とこたえました。
金持かねもちは、しかたなく、みせからてゆきました。しかし、よほど、このはなにいったとみえて、それから、二、三にちすると、また、金持かねもちは、やってきました。
わたしは、三えんします。どうか、このはなってくださらぬか。」といいました。
「せっかくのおたのみですけれど、これは、わたし大事だいじはなです。おゆずりすることはできません。」と、おじいさんは、こたえました。
おばあさんは、三えんになれば、ってもよさそうなものにと、いわぬばかりのかおつきをして、おじいさんをていました。
そのも、金持かねもちはしかたなくかえりました。そのあとで、おばあさんは、おじいさんにかって、
「三えんのおかねをこのみせでもうけるのはたいへんなことだ。おりなさればよかったのに。」といいました。
わたし丹精たんせいかんがえてみるがいい。いくらかねになったって、この常夏とこなつは、れるものではない。」と、おじいさんは、あたまってこたえました。
金持かねもちは、よほど、そのはなにいったものとみえます。また、四、五にちするとやってきました。
「どうか、この常夏とこなつってくださらぬか。五えんさしあげますから。」といいました。
おばあさんは、こんなことが、またとあるものではない。ったほうがいいと、そばでおじいさんに、ちいさなこえですすめました。おじいさんは、なるほど、かんがえてみれば、このみせで、それだけのかねをもうけるのは、たいへんなことだとかんがえたから、つい、その金持かねもちに、常夏とこなつってしまいました。
金持かねもちは、よろこんで、常夏とこなつかかえてうちかえりました。そのあとで、おじいさんは、大事だいじ子供こどもうばわれたように、がっかりしました。もはやさびしいいえのうちを、どこをたずねても、真紅まっかないきいきとした、はなかげられなかったのです。おじいさんは、また、まえのたよりない、さびしい生活せいかつかえってしまいました。
金持かねもちは、うちっていって二、三にちは、かず、そのはなをながめていましたが、そのうちに、だんだん青々あおあおとしたが、よわって、はながしおれてきました。金持かねもちは、みずをやったり、肥料こやしをやったり、てたりしましたが、はなは、ちいさなときから、したしく、れた、おじいさんのはなれてしまったので、万事ばんじ調子ちょうしわったとみえて、しだいに、いけなくなってしまったのです。
「また、そのうちに、常夏とこなつつからぬものでない。つかったら、いくらたかくても、ってくることにしよう。」といって、金持かねもちは、だんだんよわってゆく、はなきもせず、にわさきへしておきました。
あわれなおじいさんは、そののちも、はなのことをおもしていました。
「あの常夏とこなつは、どうなったろう?」といって、さびしがりました。
そのうちに、おじいさんは病気びょうきにかかりました。おばあさんは、はじめて、あのとき、常夏とこなつ金持かねもちにらなければよかったとさとったのであります。なぜならおじいさんは、なぐさめられるものがなく、そののちは、さびしそうにられたからです。
おばあさんは、金持かねもちが、なんとなくうらめしくなりました。自分じぶんたちの幸福こうふくうばっていったようにさえおもわれたのでした。「ああ、おかねがなにになろう?」と、おばあさんは、せっかくおじいさんの丹精たんせいしたはなを、かねのためにったことにたいして後悔こうかいしました。
ある、おばあさんは、五えんかねって金持かねもちのところへやってきました。
「まことにおそれいりますが、いつかおゆずりしました、常夏とこなつをまたわたしどもにおゆずりしてくださるわけにはなりますまいか。」といってたのみました。これをくと、金持かねもちは、から、からとおおきなこえわらいました。
「あの常夏とこなつは、れかかっている。ほしければにわさきにあるから、ってゆきなさい。おかねはいらないから。」といいました。おばあさんは、いたましいがして、かげもない常夏とこなつをもらってうちかえりました。そして、おじいさんにせながら、
「こんなにするなら、ゆずってやるのでなかった。」と、おばあさんはいいました。
おじいさんは、自分じぶん子供こどもが、きずついて、にかかってかえってきたようにおもいました。
「まあ、かわいそうに、わしはなれては、ほかのひとでよくなりっこがない。」といって、なみだぐみながら、とこからがって、つちあたらしくしてえてやりました。そして、そのあくるから、おじいさんは、はじめて、常夏とこなつから丹精たんせいしたときのように、自分じぶん気分きぶんわるいのをわすれて、手入ていれをしてやりました。すると、常夏とこなつは、だんだんみずげて、かえってきたのです。
おじいさんは、そのさまると、うしなわれたたのしみがられたのでした。
「このぶんならだいじょうぶだ。せいして、よくしてやろう。もう、これからは、けっして、どんなことがあっても手離てばなすものでない。」と、かたこころおもいながら、てたり、みずをやったりしました。
おじいさんに、希望きぼうができると、いつしか病気びょうきもなおってしまったのです。おじいさんは、ふたたび、真紅まっかな、いきいきとしたはなが、たのしみにしているのであります。
 

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