四
人々は、巫女の魔術に驚かされた。中には娘の死んでからの
行先を聞いたものがある。巫女は死んでからは、
何の人も平等に同じい幸福を受けるものだ。而してその幸福の国は、何の人も経験するのであるから知ろうと思う必要がないということを告げたのである。
この娘の母は、奇蹟を行う巫女はこの世界に
稀に現われて来る魔神の使であるといった。而して、人間の身の上に関することでこの女に聞いて分らないものはない。
若し疑う人があるならここから五十里
許ある南方のXの町へ行って巫女に
遇って聞いて見れ、巫女は過去、未来、現在のことを言い当てると言った。巫女はそのXの町に住んでいる……。
彼は、やはり娘の母親に遇ってこの話を聞かされた。そればかりでないXの町へ行って見れと勧められたのであった。
彼はX町へ旅立しようか、何うしようと惑っていた。人間が死んでしまってから、果して国というような名のつくものがあるだろうか。霊魂はどういうように生活するものだろうか。死んだ母と、見た凶夢とに関係があっただろうか……などといろいろ目に見えない心の疑問があった。
彼は、遂にXの町へ旅立することに決心した。燕が南の国に帰りかけた頃、彼も
亦南の方を指して旅をつづけていた。
余程旅した後であった。道を行く人にXの町を聞いた。或者は、まだ遠いと言った。或者は曾て聞いたことのない町だといった。彼は、或る町で老婆にXの町を聞いた。その老婆は彼を家に泊めてくれた。その夜、老婆はXの町について教えてくれた。
此処からまだ三十里南にある町だ。而して若い巫女のことも話したのである。その町に昔からの豪家があった。その家に一人の娘がある。生れた時から蛇や、鳥の啼声を聞き分け、よく人の生死を判じたのである。家の周囲は繁った深林であって、青い鳥や、赤い鳥が常に枝から枝へと飛び渡っていた。娘は、また生れつき蛙を食べたり、蛇を食うことが好きであった。家の人は、この娘が普通の人間でないのを怖れて、世間にこのことを
秘そうとした。而して外に出して、勝手に生きた蛇や、蛙を食うのを止めようと思った。けれど娘は人の目を盗んで外の林や森の中に入って、鳥に物を言ったり、蛇を見て笑ったり、蛙を掌の上に載せて面白がったり、さながら狂人のような真似をしたのである。
その家では、世間の人が娘の噂を立てるのを怖れた。またこの家には余程いろいろの秘密が隠されているものと見えて、他人の家に入ることを怖れた。
それで一人の
老翁を日夜、家の門に立たせて護らせている。この老翁は利巧な老人であった。智識にかけてはこの町の人の
誰れよりも
優って困難な問いを考え、また複雑な謎を解した。老人は長い月日の間にいろいろの経験をしたのである。だから忍耐強くて、物の悟りが速かった。
老翁は、一日眤として門を護っていたのである。しかし体の衰えは争われなかった。門に立っていて折々居眠りをすることもあった。けれど決して鼠
一疋といえども其処を通ったものは
覚らずにはいない。それ程、彼の霊魂は
聡くあった。老人自身でもよくいうのに、肉体が衰えれば精神はそれだけ
敏くなるものだと。……而して老人は常に手に太い棒を持っていた。けれどそれは何の役にも立つものでない。何となれば若かった昔は
強力で容易にその棒を振り廻わすことが出来たけれど、今は、それを振り廻すだけの力がないのである。ただ、その棒を持って立っているのが老人にとって
漸くの力といってもよかったのである。
彼は、老婆からこの話を聞いているうちに、幼い時分に聞いた昔の物語りを思い出した。その不思議な寓意の物語りの筋が、ちょうどこのようなものであった。
勿論筋の大体は違っているようだけれど、やはり
斯様な老人が出て来るように覚えている。こう思って、彼は、老婆を眺めた。燈火の光りが当って老婆の白い頭髪は銀のように輝いている。老婆は、下を向いて眼を細く
閉って、
尚おも語りつづけている。
然るに或日のこと、この豪家の娘は門を逃げ出した。その夜は非常な嵐が吹いて、雨が降りしきった。家の周囲に繁っている林の木は
悉く
呻いた。雨は草木の葉を洗って、風は小枝を揉んで荒々しく揺った。暗い夜の天地は、さながら雨と風と草木との戦場のように思われた。
森の梢に
棲を造っている小鳥は、夢を驚かされて、雌鳥は雛鳥を
慰わって巣の上にしがみ付いた。雄鳥は、慌しく巣の周囲を飛び廻って叫び立てた。
是等幾百の小鳥は、森と林の中に飛び廻り、雨と嵐を突き破って
行衛もなく
駆け騒いでいる。この時、娘は雨戸を繰って身を縮めて庭の闇の中に飛び下りた。
「鳥よ、もっと
喧ましく啼き立てておくれ。
妾の足音が聞えぬように。
鳥よ、鳥よ、けれどあんまり啼き立てて家の人の眼を醒してくれては厭だよ。」
と言った。而してその姿は、
何処にか消え失せてしまった。
その夜に限ってこの利巧な老人は、決して油断したのでない。また安心して居眠りしたのでもない。彼は常の如く落付いて門を見張っていた。しかしなぜ娘の足音を聞き付けなかったろうか。必ず聞き付けたに相違ない。けれどこの足音を犬の足音と聞違えたのかも知れなかった。また立騒ぐ小鳥の翼の音と聞違えたのかも知れなかった。気まぐれに森を離れて飛び来った小鳥が門の前を過ぎたのかとも思ったのであろう……。
その娘は、なんでも諸国を巫女になって歩いているといい、また、家に連れ帰されて座敷牢の中に入れられてあるともいう。
何れにせよXの町のこの豪家には、必ず老人の番人がいるに相違ない。而して誰が訪ねて行くとも決してその大きな青い門から中へ入れない。いかなる強情な人でも、この老人の智識あることに怖れて、その命令に
背いて入るものがないということだ……。
と、或る老婆は語って聞かせたのであった。
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