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ひすいを愛された妃(2)
日期:2022-12-07 23:59  点击:208
 
このはなしは、やがて、きさきのおみみにまでたっすると、きさきけても、れても、そのたま空想くうそうかんで、物思ものおもいにしずまれたのであります。おうさまは、それとさとられると、てんにも、にも、ただ一人ひとりあいするきさきのために、西国さいごく女王じょおうっていられる、あおたまにいれてあたえたい、とおもわれました。しかし、そのことは、一こくとみくしても、おそらく、西国さいごく女王じょおう承諾しょうだくることはむずかしかったのです。
「どうかして、西国さいごく征服せいふくすることはできないものかな。」と、ふじのはなくにおうさまはかんがえられました。そして、その機会きかいっているうちに、両国間りょうこくかんにちょっとした問題もんだいこりました。ついに、それをきっかけとして、戦争せんそうは、はじまったのでした。
双方そうほうとも死力しりょくをつくしてたたかいましたから、容易ようい勝敗しょうはいはつきませんでしたが、おおくの犠牲ぎせいをはらって最後さいごに、ふじのはなくにったのでした。そして、西国さいごく女王じょおうくびにかかっていた貴重きちょうなひすいは、ついにふじのはなくにきさき首飾くびかざりになったのであります。
ほどなくして、うつくしいきさき病気びょうきとなられました。おうさまは、くにじゅうの名医めいいをおびになって、なおそうとなされたけれど、命数めいすうだけは、人間にんげんちからでどうすることもできなかったのです。きさきあおいしに、かぎりない未練みれんのこして、このからってしまわれました。
おうさまは、いて、きさきをふじのはなやまのふもとにほうむられました。あとのこされたたくさんのあおたまは、むなしく御殿ごてんなかにさびしいひかりはなっていました。おうさまはくなられたきさき供養くようのために、おおきなかねることになされました。そのとき、きさき大事だいじにされた、数々かずかず宝石ほうせきをごらんになって、このあお宝石ほうせきくだいて、てつといっしょにかして、かたちをなくしてしまおうとおかんがえなされたのです。
いしも、てつも、かしてしまうためにつよがたかれました。かねるものは、おうさまの命令めいれいしたがって、仕事しごと苦心くしんをしました。そして、おおきな、おもい、あおみをふくんだかねができあがったのでありました。
そのかねは、まちからあおがれるやまうえに、鐘楼しょうろうて、そこにつるされることとなりました。あさばん、そのかねをつくときに、かねひびきは、もりえ、まち家々いえいえそらに、りわたるだろう。人々ひとびとは、そのたえなるかねくたびに、きっとわが、うつくしい、やさしかったきさきのことをおもすにちがいない。それが、すなわち、功徳くどくになるのだと、おうさまはおかんがえなされたのであります。
いよいよできあがったかねをつるすときにあたって、あまり、そのかねおもいもので、どんなつなれてしまいました。
「これは、どうしたというのだろう。」
おうさまは、おかんがえになりました。なにかこれには、子細しさいのあることかもしれない。ともすると、きさきたましいが、このたいして、ふか未練みれんをもっているからかもしれない。ひとつうらなってもらうことにしようと、おもわれたのです。
ちょうど、そのころ、どこからともなく城下じょうかへまわってきたうらなしゃがありました。とりのように諸国しょこくあるいて、人々ひとびと運命うんめいうらなう、せいひくい、ひかりするどおとこでした。
おうさまの命令めいれいによって、そのうらなしゃは、されました。うらなしゃは、やまのぼって、かねのそばにすわって、いのりをささげたのでした。そして、しばらく、瞑目めいもくしていましたが、はじめてゆめからさめたように、かおげると、
なれた、おきさきのぞまれるところでございます。どうか、千にんわかおんなかみったつなをもってかねをつるしてもらいたい。そうでなければ、けっして、うえへは、からぬとのことでございます。」ともうしあげました。
おうさまは、ふかかなしみのうちに、うらなしゃ言葉ことばかれました。いとしいきさきのぞみとあれば、せめて、この最後さいごのぞみをもかなえてやりたいものだとおもわれたので、このことをくにじゅうに布令ふれされますと、わかおんなたちは、むすめも、女房にょうぼうも、どうか加護かごにあずかりたいとおもって、自分じぶんかみしげもなくって、たてまつったのであります。
ならずして、ふとおんなかみつくられたつなができました。にぎやかな儀式ぎしきおこなわれたあとで、そのつなかねげましたところ、やすやすと鐘楼しょうろうにつるされたのでした。
これをた一どうのものは、いまさらながら、こと不思議ふしぎなのに感心かんしんされたのであります。
それで、ひすいを見分みわけるために、御殿ごてんされた老人ろうじんは、きさきくなられると、もはや、仕事しごとがなくなったのでひまされました。一は、おうさまにも、きさきにも寵愛ちょうあいされて、あついもてなしをけ、いばっていたものが、御殿ごてんされると、ふたたび、さすらいのたびのぼらなければなりませんでした。
老人ろうじんは、以前いぜんとちがって、すでにぜいたくにれてしまったから、むかしのように、やまたり、野原のはらすことができなかった。老人ろうじんは、こんどは、西国さいごくへいって、女王じょおうつかえようとおもって、とぼとぼとやってきました。
しかし、西国さいごくでは、それどころでありません。女王じょおうは、老人ろうじんると、たいそうおいかりになりました。
「おまえが、つまらないことをいったばかりに、ふじのはなくに戦争せんそうをするようになってしまった。このくにでは、ひすいばかりでない。いっさいのあおいし禁物きんもつである。もう、おまえには、用事ようじがない。」と、いわれたのであります。
このくにからもわれた老人ろうじんは、その、どこへいったか、るものはなかったのでした。そして、いつしか、ひすいにたいする異常いじょう流行りゅうこうは、やんでしまいました。
*   *   *   *   *
そのときから、幾世紀いくせいきは、やまをゆくくもながれとともにたったのであります。ふもとのまちは、田畑たはたとなり、やまうえ鐘楼しょうろうは、むかし形見かたみとして、半分はんぶんこわれたままながあいだのこり、そこには、あおさびのかねが、雨風あめかぜにさらされてかかっていたけれど、だれも、それをらすものがない。たまたま見物けんぶつに、やまのぼってゆくひとはありましたけれど、みちくさにうもれてえかかっていました。ただ、当年とうねんわりのないのは、初夏しょかのころになると、ふじのはなが、ところどころ、みごとにいてやまかざっていたのでした。
「このかねなかには、ひすいがかしんであるというはなしだが、あおいろが、なんとなく底光そこびかりがしてえるな。」と、旅人たびびとは、こわれかけた鐘楼しょうろうにたどりいたときに、見上みあげながられのものにはなしたのでした。ひとが、やまくだると、あたりは寂然せきぜんとしました。みつばちが、はねらして、ふじのはなうえあつまっています。小鳥ことりは、つくるために、鐘楼しょうろうまって、かねをつるしてあるつなかみをつついては、きちぎって、どこへかくわえてんでゆきました。
あるのことであります。ここからとおはなれたまちにあった、鉄工場てっこうじょう主人しゅじんは、このかね雨風あめかぜにさらされているということをいて、しいものだとおもいました。やすあたいで、かねけて、ひともうけしようとおもって、わざわざやまにきました。
すると、いつちたものか、かねをつるしてあったつなれて、かねは、したころがっていました。主人しゅじんは、まゆをひそめて、子細しさいかね検分けんぶんしましたが、もうふるてつは、ぼろぼろになっていて、なんのやくにもたちそうでなく、まったく自分じぶんの、くたびれぞんわったことをりました。
――一九二八・四作――
 

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