左ぎっちょの正ちゃん
小川未明
正ちゃんは、左ぎっちょで、はしを持つにも左手です。まりを投げるのにも、右手でなくて左手です。
「正ちゃんは、左ピッチャーだね。」と、みんなにいわれました。
けれど、学校のお習字は、どうしても右手でなくてはいけませんので、お習字のときは妙な手つきをして、筆を持ちました。最初、鉛筆も左手でしたが、字の形が変になってしまうので、これも右手に持つ癖をつけたのです。
お母さんは、困ってしまいました。
「はやく、右手で持つ癖をつけなければ。」と、ご飯のときに、とりわけやかましくいわれました。すると、お父さんが、
「左ききを無理に右ききに直すと、盲になるとか、頭が悪くなるとか、新聞に書いてあったよ。だから、しぜんのままにしておいたほうがいいのじゃないか。」と、おっしゃいました。
こう、話が二つにわかれると、正ちゃんは、いったいどうしたらいいのでしょうか。それで、つまり、学校で字を書くときには、鉛筆や、筆を右手に持ち、またお弁当をたべたり、お家でみんなといっしょに、お膳に向かってご飯をたべるときは、はしを左手で持ってもやかましくいわぬということになったのです。そして、もとより、原っぱで、まりを投げるときは、左ピッチャーで、威張ってよかったのでした。
なんにしても、正ちゃんは、指さきですることは、不器用でありました。鉛筆もひとりでうまく削れません。女中のきよに削ってもらいます。きよは、お勝手のほうちょうで削ってくれます。
「じょうずに、けずっておくれよ。」と、正ちゃんは、自分がけずれないくせに、こういいます。
「はい。」と、きよは、やりかけている仕事をやめて、ぬれた手で、丁寧に、けずってくれました。しかし、そんなときには「ありがとう。」というのを、正ちゃんはけっして忘れませんでした。
もう一つ、手の不器用なことの、例をあげてみましょうか。それは、鼻をかむときでした。
「正ちゃん、ひとりで、鼻をかんでごらんなさい。」と、お母さんが、おっしゃいますと、正ちゃんは、紙を持ってきてかみますが、かえって鼻水をほおになすりつけるのでした。こんなとき、もしお姉さんが見ていらっしゃると、すぐに立ってきて、きれいにかみ直してくださいました。
ある日のこと、正ちゃんは、大将となって、近所の小さなヨシ子さんや、三郎さんたちといっしょに原っぱへじゅず玉を取りにゆきました。そして、たくさんとってきて、材木の積み重ねてある、日のよく当たるところで遊んだのです。
「白いのもあるし、紫色のもあるね。」
「これは、緑色だろう。」
「そう、こんな黒いのもあったよ。」
洋服のポケットや、前垂れのポケットの中にいれて、チャラ、チャラと鳴らしていましたが、いつのまにか、ヨシ子さんの姿が見えなくなりました。
「ヨシ子さん、帰ったの。」と、正ちゃんが、ききました。
「お家へ糸を取りにいったんだろう。」と、三郎さんが答えました。
あちらから、ヨシ子さんが、かけてきました。見ると、糸と針を持ってきたのです。
「わたし、頸にかけるのだから、正ちゃん、これを糸にとおしてね。」と、いって、小さなヨシ子さんが頼みました。
ここにいる中で、正ちゃんがいちばん大きかったのです。そして、あとのものは、みんなまだ学校へいっていません。だから、正ちゃんは、大将でした。大将が、下のものに頼まれて、できないということは、いえませんでした。
「ああ、とおしてあげる。」と、いって、正ちゃんは、材木の上に腰をかけながらヨシ子さんの持ってきた、糸と針を、自分の太くて、短い指に受け取りました。
「なんだ、まだ針に糸がとおしてないのか、はやく、これをとおしておくれよ。」と、いって正ちゃんは、糸と針を、ヨシ子さんに返したのです。
いちばん小さなヨシ子さんは、もとより針のみぞに糸をとおすことができませんでした。
「じゃ、わたし家へいって、とおしてもらってくるわ。」と、ヨシ子さんは、またかけ出してゆきました。
「三ちゃん、針に糸をとおすことができる。」と、正ちゃんが、ききました。
「できない、正ちゃんは、じゅず玉をとおすことができるの。」と、三郎さんが、ききました。
「ああ、できるよ、ここんとこを通せばいいんだろう。」と、正ちゃんは、じゅず玉の頭をいじっていました。
そこへ、ヨシ子さんが、針に糸をとおしてもらって、もどってきました。
不器用な正ちゃんが、これから、いくつも、いくつも、針でじゅず玉をとおさなければならないのです。鼻をぐすぐす鳴らしながら、下を向いて、短い、太い指で、やっと三つ、四つとおしました。
「あ、いたい。」と、正ちゃんは、叫びました。
「指をさしたの。」と、ヨシ子さんがのぞきました。
「もう、あぶないから、およしよ。」と、三郎さんが、いいました。
けれど、正ちゃんは、だまって下を向いて、じゅず玉を通していました。
「正ちゃん、横ちょを通してはいや、まんなかをとおしてね。」と、ヨシ子さんが、じゅず玉のまんなかを通すように、注意しましたけれど正ちゃんは、きわめて不器用でした。
この間に、あちらの往来をチンチン、ガンガンと鳴り物をならして、ちんどん屋がとおりました。三郎さんも、ヨシ子さんも、いってみたかったのだけれど、正ちゃんが、いっしょうけんめいで、じゅず玉をとおしているのでゆくことができませんでした。
そのつぎには、カチ、カチと拍子木を鳴らして紙芝居が、原っぱへ屋台をおろしたのです。
たくさん子供たちが、わいわいと集まってきました。ヨシ子さんも、三郎さんも、我慢がしきれなくなって、とうとう、そっちへかけ出していってしまいました。
しかるに、正ちゃんだけは、そんなことも耳にはいらないように、じゅず玉をとおしていました。
じゅず玉の輪ができ上がると、正ちゃんはよろこんで躍り上がりました。
「できたよ、ヨシ子さん、できたよ!」
じゅず玉の輪を頭の上でふりまわしながら、みんなのいる方へ、自分もかけてゆきましたが、ふと、なにを思ったか、正ちゃんは、かけるのをやめて、立ち止まりました。
「僕、これを、うちへ持っていって、お母さんや、お姉さんに、見せてやろうかしらん。そして、あとで、ヨシ子さんにやればいいのだ。」
しかし、正ちゃんには、もう、自分で美しいじゅず玉の輪が造れる自信ができました。
「もっと、もっと、きれいなのを造って、お姉さんにあげるからいい。」と、また、かけ出しました。
* * * * *
そこで、私は、正ちゃんのために、いいます。
「正ちゃんは、小さいヨシ子さんに頼まれて、とうとう、美しいじゅず玉の輪を造ったのです。このつぎのときには、もっと美しくできるにちがいありません。これから、正ちゃんを不器用などといって、笑ってはいけませんよ。」
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