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百姓の夢(1)
日期:2022-12-07 23:59  点击:212
 

百姓の夢

小川未明


あるところに、うしっている百しょうがありました。そのうしは、もうとしをとっていました。ながとしあいだ、その百しょうのためにおもをつけてはたらいたのであります。そして、いまでも、なおはたらいていたのであったけれど、なんにしても、としをとってしまっては、ちょうど人間にんげんおなじように、わか時分じぶんほどはたらくことはできなかったのです。
この無理むりもないことを、百しょうはあわれとはおもいませんでした。そして、いままで自分じぶんたちのためにはたらいてくれたうしを、大事だいじにしてやろうとはおもわなかったのであります。
「こんなやくにたたないやつは、はやく、どこかへやってしまって、わかいじょうぶなうしえよう。」とおもいました。
あき収穫しゅうかくもすんでしまうと、来年らいねんはるまで、地面じめんは、ゆきや、しものためにかたこおってしまいますので、うし小舎こやなかれておいて、やすましてやらなければなりません。この百しょうは、せめてうしをそうして、はるまでやすませてやろうともせずに、
ふゆあいだこんなやくにたたないやつを、べさしておくのはむだなはなしだ。」といって、たとえ、ものこそいわないけれど、なんでもよく人間にんげん感情かんじょうはわかるものを、このおとなしいうしをひどいめにあわせたのであります。
ある、うすさむのこと、百しょうは、はなしに、うまいちが四ばかりはなれた、ちいさなまちひらかれたということをいたので、よろこんで、小舎こやなかから、としとったうしして、わかうし交換こうかんしてくるためにまちへとかけたのでした。
しょうは、自分じぶんたちといっしょに苦労くろうをした、このとしをとったうしわかかれるのを、格別かくべつかなしいともかんじなかったのであるが、うしは、さもこのうちからはなれてゆくのがかなしそうにえて、なんとなく、あるあしつきもにぶかったのでありました。
昼過ひるすぎごろ、百しょうはそのまちきました。そして、すぐにそのいちっているところへ、うしいていきました。すると、そこには、自分じぶんしいとおもわかうまや、つよそうなうし幾種類いくしゅるいとなくたくさんにつながれていました。方々ほうぼうから百しょうたちが、ここへせてきていました。なかには、たかいりっぱなうまって、よろこんでいてゆくおとこもありました。かれは、うらやましそうに、そのおとこうし姿すがた見送みおくったのです。
自分じぶんは、うまにしようか、うしにしようかとまどいましたが、しまいには、このれてきたとしとったうしに、あまりたくさんのかねたなくて交換こうかんできるなら、うしでも、うまでも、どちらでもいいとおもったのでした。
あちらにいったり、こちらにきたりして、自分じぶんにいったうまや、うしがあると、その値段ねだんを百しょういていました。そして、
たかいなあ、とてもおれにはわれねえ。」と、かれは、あたまをかしげていったりしました。
「おまえさん、よくいままで、こんなとしをとったうしっていなさったものだ。だれも、こんなうしに、いくらおまえさんがかねをつけたってよろこんで交換こうかんするものはあるめえ。」と、黄銅しんちゅうのきせるをくわえて、すぱすぱたばこをすいながら、さげすむようにいった博労ばくろうもありました。
そんなときは、百しょうは、いてうしろに首垂うなだれている、自分じぶんうしをにくにくしげににらみました。
「そんなざまをしているから、おれまで、こうしてばかにされるでねえか。」と、百しょうおこっていいました。
また、かれは、ほかの場所ばしょへいって、一とうわかうしゆびさしながら、いくらおかね自分じぶんのつれてきたうしにつけたら、えてくれるかといていました。
その博労ばくろうは、もっと、まえおとこよりも冷淡れいたんでありました。
「おまえさん、ここにたくさんうしもいるけれど、こんなにおいぼれているうしはなかろうぜ。」とこたえたぎりで、てんでいませんでした。
しかたなく、百しょうは、としとったうしきながら、あちらこちらとまよっていました。しまいには、もうどんなうしでも、うまでもいいから、このうし交換こうかんしたいものだ。自分じぶんうしより、よくないうしや、うまは、一とうだって、ここにはいないだろうとおもったほど、自分じぶんうしがつまらなくおもわれたのであります。
れかかると、いつのまにか、市場いちばあつまっていた百しょうたちのかげってしまいました。そのひとたちのなかには、ってきたかねより、うしや、うまたかいのでわなくてかえったものもあったが、たいていは、しいとおもったうしや、うまって、いていったのであります。
ひとり、この百しょうだけは、まだ、まごまごしていました。そして、最後さいごに、もう一人ひとり博労ばくろうっていました。
おれは、このわかうましいのだが、このうしに、いくらかねったらえてくれるか?」と、百しょうはいいました。
その博労ばくろうは、百しょうよりもとしをとっていました。そして、おとなしそうなひとでありました。しみじみと、百しょうと、うしろにかれてきたうしとをながめていましたが、
「いまえたのでは、両方りょうほうそんがゆく。かねさえたくさんつけてもらえば、えないこともないが、このふゆ、うんとまぐさをわしてやすませておやんなさい。そうすれば、まだ来年らいねんはたらかされる。だいいち、これまで使つかって、このふゆにかかって、らねえひとわたすのはかわいそうだ。」といいました。やむをず、百しょうは、またうしいてかえらなければならなかったのです。
「ほんとうに、ばかばかしいことだ。」
しょうは、ぶつぶつくちなかでこごとをいいながら、うしいてゆきました。
あさのうちからくもった、さむであったが、晩方ばんがたからかけて、ゆきがちらちらとりだしました。百しょうは、れかかるし、みちとおいのに、ゆきっては、あるけなくなってしまう心配しんぱいから、気持きもちがいらいらしていました。
「さあはやあるけ、このやくたたずめが!」とどなって、うしのしりをつなはしで、ピシリピシリとなぐりました。うしはいっしょうけんめいにせいしてあるいているのですけれど、そうはやくはあるけませんでした。ゆきはますますってきました。そして、みちうえがもうわからなくなってしまい、一ぽうにはがまったくれてしまったのであります。
「こんなばかなめをるくらいなら、こんなてくるのでなかった。」と、百しょうは、気持きもちがいそぐにつけて、つみもないうしをしかったり、つなったりしたのであります。
このまちから、自分じぶんむらへゆくみちは、たびたびあるいたみちであって、よくわかっているはずでありましたが、ゆきると、まったく、あたりの景色けしきわってしまいました。どこが、やら、はたけやら、見当けんとうがつかなくなりました。そして、くらくなると、もう一足ひとあしあるけなかったのです。
しょうは、こうなると、うしをしかる元気げんきなくなりました。たとえ、いくらうしをしかってもなぐっても、どうすることもできなかったからであります。
「さ、こまってしまった。」といって、ぼんやり手綱たづなにぎったまま、百しょうみちうえにたたずんでいました。いまごろ、だれもこのみちとおるものはありませんでした。
天気てんきわるくなると、かえひとたちはいそいで、とっくにかえってしまいました。また、あさのうちから天気てんきわりそうなのを気遣きづかって、ひと見合みあわせていたので、れた原中はらなかでは、一人ひとりかげえなかったのであります。

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