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百姓の夢(2)
日期:2022-12-07 23:59  点击:213
 
しょうはらがすいてくるし、からださむくなって、をいくらおおきくけても、だんだんあたりはくらく、えなくなってくるばかりでした。
かれは、どうなるかとおもいました。みちまよって、小川おがわなかにでもんだなら、うしといっしょにこごんでしまわなければならぬとおもいました。
しょうは、まったくきたくなりました。ことに、
「ほんとうに、今日きょうこなければよかった。来年らいねんはるまで、このうしっておくことに、最初さいしょからきめてしまえばよかった。あのとしとった博労ばくろうのいったのはほんとうのことだ。いま、このさむさにかって、他人たにんわたすのはかわいそうだ。」
こうおもうと、百しょうは、いて、うしろからだまってついてくるくろうして、かわいそうにおもいました。うし脊中せなかにも、つめたいしろゆきがかかっていました。
来年らいねんはるまではいてやるぞ。だが、今夜こんやこの野原のはらでふたりがこごにをしてしまえば、それまでだ。おれは、もう、もう一足ひとあしあるけない。おまえはみちがわかっているのか? たびたびこのみちとおったこともあるから、もしおまえにわかったなら、どうかおれせて、うちまでつれていってくれないか?」
しょうは、うしたのみました。
かれは、最後さいごうしたすけをりるよりほかに、どうすることもできなかったのであります。
うしは、百しょうせて、くらみちをはうようにゆきなかあるいていきました。けてから、うしは、門口かどぐちにきてまりました。百しょうは、はじめてきた心地ここちがして、あかるいあたたかないえうちはいることができたのでした。
しょうは、そのばんうしにはいつもよりかたくさんにまぐさをやりました。自分じぶんさけんで、とこなかはいってねむりました。
くるになると、もう、百しょうは、昨夜さくやくるしかったことなどはわすれてしまいました。そして、これからもあることだが、ああしてみちまよったときは、なまなか自分じぶん手綱たづなかずに、うしうまにまたがって、つれてきてもらうのがなによりりこうなやりかただとおもいました。
かれは、あのとき、こころうしちかったことも、わすれてしまいました。そして、どうかして、はや年若としわかうしれたいとおもっていました。
ちょうどその時分じぶんおなむらんでいる百しょうで、うしをいいったというはなしをききました。まちへどんどんうしおくられるので、まちへきている博労ばくろうが、いい手当てあたりしだいにっているというはなしいたのであります。
かれは、さっそく、その百しょうのところへかけていきました。
「おまえさんのうしうしは、いくらでれたか。」とききました。すると、その百しょうは、
「なんでも、おおきなうしほどになるようだから、おまえさんのうちうしとしをとっているが、からだおおきいからいいになるだろう。」といいました。
かれは、もし自分じぶんうしられていったら、どうなるだろうといううし運命うんめいなどはかんがえませんでした。ただ、おもっているよりはいいになりさえすれば、いまのうちにうしってしまって、かねにしておくほうがいいとおもいました。そして、来年らいねんはるになったら、わかい、いいうしえば自分じぶんはもっとしあわせになるとおもいました。
さっそく、かれは、まちうしいていってることにいたしました。
こうして百しょうは、ふたたびぬかるみのみちうしいて、まちほうへといったのです。おそらく、今度こんどばかりは、ふたたび、うしはこのうちかえってくるとはおもわれませんでした。
しょうは、みちあるきながら、「あのうちうしでさえ、それほどにれたのだから、あのうしよりはずっとおおきいおれうしは、もっといいれるだろう。」とかんがえていました。
そのとき、うしは、何事なにごとらぬふうに、ただだまって、百しょううしろから、ついてあるいていきました。
まちきました。そして、百しょうは、博労ばくろうにあって、自分じぶんうしりました。ほんとうに、かれおもったよりは、もっといいれたのであります。百しょうは、かねると、長年ながねん苦労くろうを一つにしてきたうしが、さびしそうにあとのこされているのを見向みむきもせずに、さっさとていってしまいました。
おおもうけをしたぞ。」と、かれは、こおどりをしました。
しょうは、これがうしと一しょうのおわかれであることもわすれてしまって、なにか子供こどもらに土産みやげっていってやろうとおもいました。それで、小間物屋こまものやはいって、らっぱに、ふえにおうまに、太鼓たいこいました。二人ふたり子供こどもらに、二つずつけてやろうとおもったのであえいます。
このも、またさむでありました。百しょうは、たびたびはいった居酒屋いざかやまえとおりかかると、ついかねっているので、一ぱいやろうという気持きもちになりました。
かれは、居酒屋いざかやののれんをくぐって、ベンチにこしをかけました。そして、そこにきあわしているひとたちを相手あいてにしながらさけみました。しまいには、した自由じゆうにまわらないほど、ってしまいました。
そとさむかぜいていました。いつのまにかれてしまったのであります。
今日きょうは、うしいていないから世話せわがない。おれ一人ひとりだから、のろのろある必要ひつようはない。いくらでもはやあるいてみせる。三や四みちは、一走ひとはしりにはしってみせる。」と、自分じぶん元気げんきをつけては、はやかえらなければならぬこともわすれて、さけんでいました。
かれは、燈火あかりがついたのでびっくりしました。しかしっているので、あくまでおちついて、すこしもあわてませんでした。
やっと、かれは、その居酒屋いざかやからそとました。ふらふらとあるいて、まちはずれてから、さみしい田舎道いなかみちほうへとあるいていきました。
うしってしまって、百しょうは、まったく身軽みがるでありました。しかし、いままでは、たとえかれみちでないところをいこうとしても、うしあやしんで、まったままあるきませんでした。いまは、かれみちまよっても、それをおしえてくれるものはなかったのであります。

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