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百姓の夢(3)
日期:2022-12-07 23:59  点击:212
 
しょうは、あちらへふらふら、こちらへふらふらとあるいているうちに、ちがったみちほうへいってしまいました。そのうちに、一ぽんおおきなもとにつまずきました。
「やあ、なんだい?」といって、百しょうはほおかぶりをしたかおあおぎますと、おおきなくろ星晴ほしばれのしたそらっていました。ふところはいっている財布さいふや、こしにつけている子供こどもらへの土産みやげとしてはならないと、っていながら、かれいくたびもこころなかおもいました。そして、たしかにとした気遣きづかいはないとおもうと、安心あんしんして、そのままこしをかけてしまいました。
かれは、ほんとうにいい気持きもちでありました。
ほおをかぜも、さむくはなかったのであります。あたりをまわすと、いつのまにか、晩春ばんしゅんになっていました。
まだ、野原のはらにはのこったはなもあるけれど、一めんにこのなかみどりいろつつまれています。なかでは、かえるのこえゆめのようにきこえて、はたけはすっかりたがやされてしまい、むぎはぐんぐんびていました。
かれは、このごろれたわかうしのことをかんがえながら、土手どてによりかかってそらをながめていますと、のはてのほうから、おおきなつきがりかけました。そらは、よくれていて、つきはまんまるくて、昼間ひるまのように、あたりをらしています。
「まあ、あんなにわかい、いいうしは、このむらでもっているものはたくさんない。みんなおれうしては、うらやまないものは一人ひとりもない……。」と、かれは、いい機嫌きげんひとごとをしていました。
すると、たちまち、あちらのほうから太鼓たいこおとがきこえ、ふえがして、なんだか、一ににぎやかになりました。
不思議ふしぎだ、もうれたのに、なにがあるのだろう?」と、かれおもって、そのほう見守みまもっていました。
むらじゅうのひと総出そうでで、なにかはやしたてています。そのうち、こちらへくろいものが、あちらのもりなかからげるようにやってきました。ると、自分じぶんうちうしであります。うしは、いつのまに小舎こやなかからもりたものか、その脊中せなかには二人ふたり子供こどもたちがって、一人ひとり太鼓たいこをたたき、一人ひとりふえいていました。
「いつのまに、子供こどもたちは、あんなに上手じょうずになったろう?」と、かれ感心かんしんして、みみかたむけました。
「きっと、子供こどもらは、おれさがしにやってきたのだろう。いまじきにおれつけるにちがいない。そして、ここへきて、おれまえで、太鼓たいこち、ふえいてみせるにちがいない。おれは、子供こどもらがつけるまで、だまってねむったふりをしていよう……。」とおもいました。
太鼓たいこをたたいたり、ふえいたりしている、二人ふたり子供こどもたちの姿すがたは、つきがいいので、はっきりとわかりました。
やがて、うしは、かれのいるまえへやってきました。子供こどもたちが、自分じぶんつけて、いまにもりるだろうとおもっていましたのに、うし子供こどもたちをせたまま、さっさと自分じぶんまえとおりすぎて、あちらへいってしまいました。
とおくに、いけえていました。いけみずは、なみなみとしていて、そのうえに、つきひかりあかるくかがやいていました。わかうしは、ずんずん、そのほうかってあるいてゆきました。
かれは、おどろいてがりました。なにようがあって、子供こどもたちは、いけほうあるいてくのか? 自分じぶんはここにいるのに!
「おうい、おうい。」
かれは、うしめようとしました。しかし、二人ふたり子供こどもたちがふえいたり、太鼓たいこをたたいたりしているので、かれごえは、子供こどもたちにはわからなかったのです。
しょうがこのごろれたばかりの、わかくろうしは、みずおくせずにずんずんといけなかかってはしるようにあるいていきました。
このとき、百しょうは、後悔こうかいしました。これがまえとしとったうしであったら、こんな乱暴らんぼうはしなかろう。そして、自分じぶんがこんなに心配しんぱいすることはなかったろう。あのとしとったうしは、一くらゆき自分じぶんたすけたことがあった――あのうしなら、子供こどもせておいても安心あんしんされていたのに――とおもいながら。かれは、おおいにをもんでいました。
かれは、もはや、じっとしてていることができずに、そのあとっていきました。すると、すでに、うしは、自分じぶん子供こどもせたままいけなかへどんどんとはいっていきました。
「どうするだろう。」
しょうは、たまげてしまって、さっそくはだかになりました。そして、自分じぶんいけのふちまではしっていったときは、もうどこにもうしかげえなかったのであります。
かれは、のどがかわいて、しかたがありませんでした。くさけていけみずにすくって、いくたびとなくみました。
このとき、太鼓たいこおとと、ふえは、とおく、いけして、あちらのつきしたしろいもやのなかからこえてきました。
あのうしは、どうして水音みずおともたてずに、このいけおよいでいったろう? 百しょうは、とにかく子供こどもたちが無事ぶじなので、安心あんしんしました。
かれは、また、そこにうずくまりました。すると、心地こころちよいはるかぜは、かおたって、つきひかりが、ますますあたりをあかるくらしたのであります。
やっとけました。百しょうおどろきました。ちいさな、かわなかからだ半分はんぶんちて、自分じぶんみちでもないところにたおれていたからです。おびけて、財布さいふはどこへかなくなり、子供こどもたちの土産みやげってきたふえ太鼓たいこは、なかまっていました。
少々しょうしょうへだたったところには、たかおおきなまつがありました。うえ冬空ふゆぞらは、ゆきゆきがはやくて、じっと下界げかいおろしていました。百しょういえは、ここからまだとおかったのです。
 

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