それで、
正坊は、まさしくこの
人だと
思いましたから、その
男のすすめるままに、いってみようと、
即座に
決心しました。
男は、
自分の
脇に
正坊を
乗せて、
馬にむちを
当てました。その
馬の
脚は
速かったのです。
森や、
川や、
丘を
過ぎてゆくと、いろいろの
美しい
花の
咲いた
野原に
出ました。はるか、あちらを
見ると、
町の
屋根が
地平線に
浮き
上がって
見えたのです。
「あ、いつかびんの
口から、のぞいて
見た
景色だ!」と、
正坊は、
思いました。
「おじさん、どこへゆくの……。」と、
正坊はたずねた。
「あの
町へゆくのだ。」と、
男は、
答えました。
やがて
町へはいろうとすると、
建物の
間から、
青黒い
海が
見えました。
町へはいって、しばらく
走ると、
馬は、ひさしの
深く
差し
出た、
昔ふうの
家の
前へきて
止まりました。
男は
馬から
降りて、
内へ
向かって
声をかけました。すると
脊の
低い
老人が、
腰を
曲げて
出てきました。
「お
父さん、ようやく、あなたが、もう一
度見たいとおっしゃられたびんを
持ってきました。これでございましょう……。」
老人は、
歯の
抜けた
口をもぐもぐさしていましたが、
細い、しわだらけの
手を
出して、びんを
受け
取りました。そして、びんのまわりをなでまわしていましたが、その
口に
目をあてて
正坊がするように、
太陽に
向かって
仰いだのです。
「あ、これ、これ、これにちがいない!」と、
老人はうれしそうにわめきました。
「
私は、やっと、このびんにめぐりあった。もはや、一
生のうちに、めぐりあわないかと
思っていた。しかし、おまえのおじいさんは、
死になされたとみえる……。」
老人は、びんを
持って、
暗い
家の
内へはいりました。しばらくたつと
老人は、びんの
中へ、ほんとうにわずかばかりの
油をいれて
二人の
前へあらわれました。
「
永年しまっておいた
油は、もうこればかしになってしまった。もうすこし
長く
月日がたったら、
油は、一
滴もなくなってしまっただろう……。
私が、
海の
上で
生活をしていた
時分、
兄弟の
約束をした
仲間があった。
二人は、たがいに
助けつ、
助けられつした。そして、
別れる
時分に、
二人は、もう一
度たずね
合ってあいたいというまじないから、インドの
魔法使いからもらったびんと
中身の
油とを
別々に
持って
帰った。こうすれば、いつか、びんと
油は、かならずめぐりあうといった
魔法使いの
言葉を
信じたのだ。
子供! おまえのおじいさんは、
黒い
板を
持っていなされたろう……。この
油をともして、その
板を
見るがよい……。」といって、
油のはいったびんを
正坊に
渡したのでした。
正坊は、この
町と、このおじいさんと、この
家をよくおぼえておこうと
熱心にながめていました。
男は、ふたたび、
正坊を
馬に
乗せてくれました。そして
自分も
乗り、
馬にむちを
当てると、
馬はきた
時分の
道を
走り
出しました。
日は、いつしか
海に
沈んで、
野原に
咲いている
赤い
花も
黒ずんで
見えたのであります。そして、
月が
大空に
上がり、その
下を
流れている
川の
水が、
一筋の
銀の
棒を
置いたように、
白く
光って
見えたのでした。
二人を
乗せた
馬は、
村の
往来までくると
止まりました。そこからは、もう、
正坊のお
家がじきだったのです。
「さあ、もうここからなら、ひとりで
帰れるだろう。」といって、
男は、
正坊を
馬の
脊から
下ろしてくれました。
「おじさん、あの
町は、なんというの?」と、
正坊は、
振り
返って
問いました。
「…………」と、
男は、いい
残して、
馬にむちをあてて
去りました。
正坊は、
男のいった
言葉が、よく、はっきりと
耳にはいらなかった。そのうちに、ひづめの
音は
遠ざかり、
影は、
月の
明かりに、だんだん
小さくかすんだのです。
おばあさんは、
門から
出たり、
入ったりして、
正坊を
探していられた。そこへ、
正坊は
帰って、その
日のできごとの
話をすると、おばあさんは、
頭を
振って、
「ばか、なにをいう。きっと、おまえは、きつねにでもばかされたのだろう……。」といわれました。
正坊は、
町の
名を
聞きもらしたのが
残念でした。おそらくそのことは、
永久に、
彼にとって
残念であったにちがいない。なぜなら
子供の
頭で、いつまでも、
町をおぼえていることは
不可能であったから……。
しかし、それが
夢でないことは、びんの
中に
油がはいっていたことでした。すぐに、
土器にうつして、
火をつけて、
正坊は、おばあさんと
二人で、
黒い
板を
見ました――。
異様な、
帆船の
姿が、ありありと
板の
面に
見えたかと
思うと、また、その
姿は、
煙のごとく、しだいにうすれて
消えてしまった。
分享到: