母と
娘は、
戸外に
叫ぶ
雨風の
音に
耳を
澄まして、
火鉢のそばでお
話をしていました。それは
夜の八
時ごろでありました。
隣のペスが、
垣根の
内からしきりにほえているのが
聞こえます。この
犬は、
知らぬ
人を
見るとよくほえる
犬で、いつか
郵便屋さんが、
手紙の
配達ができないと
怒っていたことがありました。その
後、しばらく
鎖でつないであったが、またこのごろは、
放しておくようであります。
「よくほえる
犬だこと、なににほえているのでしょうね。」と、かね
子は、
読んでいる
雑誌から
目を
上げて、
外のけはいを
聞き
取るようにしていました。
「あの
犬がいると
用心はいいけれど、
外を
通る、なんでもない
人までが
迷惑しますね。」と、お
母さんは、
娘が
正月に
着る
赤い
色合いの
勝った
衣物を
縫いながら、おっしゃいました。
「ごめんください。」
このとき、
玄関のあたりで、
小さい
声がしました。その
声は、
雨風の
音に、
半分消されてしまったのです。
「だれかきたのでない?」
「どなた!」といって、お
母さんは、
立ち
上がられました。かね
子は、
全神経をお
母さんの
足音の
消えていく
方へ
集めていました。
「まあ、この
雨に、とどけていただいたのですか、すみませんでしたねえ。」
お
母さんの、こういっていられる
言葉を
聞くと、
「オーバーシューズが、できてきたのだわ。」と、かね
子は、すぐに
走って、お
母さんのところへいきました。
「かね
子、この
雨風の
中を
持ってきてくださったのだよ。」
お
母さんは、くつ
屋の
小僧さんに
対して、
心からねぎらっていられました。かね
子は、いままで
不平がましいことをいったのが、なんだか
気恥ずかしく
感じられて、
顔を
赤らめました。しかし、さすがに
喜びを
禁じられなかったのです。そして、そこに、やっと十二、三の
少年が、ぬれねずみになって
立っているのを
見ると、
目頭が
熱くなりました。
軒燈の
火が、マントを
照らして、
流れ
落ちるしずくが
光っています。
「お
足に
合いますでしょうか?」と、ふろしきを
解いて、オーバーシューズを
出して、
少年はいいました。
「そうですね、だいじょうぶでしょう。かね
子、ちょっとくつに
合うか、
当ててごらんなさい。」と、お
母さんは、おっしゃいました。
かね
子は、
玄関わきの
戸だなを
開けて、くつを
取り
出しました。そして、オーバーシューズをはめてみますと、すこし
小さいようです。
「どれ、
私にお
見せなさい。」と、お
母さんは、かね
子の
手からオーバーシューズを
受け
取って、みずからくつにはかせようとしましたが、やはり
小さくて
入らないのでした。これを
見ていた、
小僧さんは、
「すこし
小さいようですね。
持って
帰りまして
直してまいりましょう。そして、
明朝早くおとどけいたします。」といいました。
「
朝は、
学校が
早いのですから、七
時までに
持ってきてもらわないとまにあわないのですよ。」
「
承知いたしました。」
小僧さんは、オーバーシューズを
包んできたふろしきへふたたび
包みかけていました。
「この
雨風の
中をせっかく
持ってきてもらってお
気の
毒ですね。」
「どういたしまして、こちらが
悪いのです。
寸法をまちがえましてすみません。」
小僧さんは、
丁寧にお
辞儀をして
帰ってゆきました。
それを
見送っていた、かね
子さんは、
小僧さんの
姿が
闇の
中に
見えなくなる
時分、
「かわいそうね。」と、しみじみとした
調子で、お
母さんに
向かって、いいました。
「みんな、ああして
修行をして、
大きくなって、いい
商人になるのですよ。」と、お
母さんは、いって、しばらく
考えていらっしゃいました。
* * * * *
信吉は、
朝早く
目を
覚ますと、
昨夜からの
雨は、まだやまずに
降りつづけていました。
「そうだ、お
嬢さんの
学校へいかれる
前に、オーバーシューズをおとどけしなければならない。」
彼は、
起きると、
早くそうじをすまして、
雨の
中を
出かける
仕度をしました。
昨夜は、はじめての
道を
歩いて、
家を
探すのにずいぶん
骨がおれたけれど、
今日は、その
心配がなかったのです。
「ああ、ここだったな。」と、
彼は、
犬にほえられた
家の
前へくると
思い
出しました。
この
雨では、ああいったけれど、
小僧さんは
学校へいく
前にはとどけられないだろうと、
食卓に
向かって、かね
子が
思っているところへ
信吉は、ちょうど
玄関を
開けて
入ったのです。
これに
対して、かね
子もお
母さんも
感心してしまいました。そして、
二人は、いっしょに
玄関へ
飛び
出してきてお
礼をいったのでした。
信吉は、ただ
約束を
守って、なすべきことをしたまでだと
思ったが、こうして
感謝されると、
自分の
体がいくら
雨にぬれてもうれしかったのであります。
その
日、
故郷の
父親から
久しぶりに
便りがありました。
今年の
夏は、ひじょうに
暑かったかわりに、
作物がよくできて、
村は、
景気がよく、みんなが
喜んでいる。
我が
家でも、
日ごろからほしいと
思った
牛を一
頭買ったと
書いてありました。
信吉は、
心の
中で、
幾たびも
万歳を
叫んだのであります。
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