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春はよみがえる(1)
日期:2022-12-08 07:29  点击:289
 

春はよみがえる

小川未明


太陽たいようばかりは、人類じんるいのはじめから、いや、それどころか、地球ちきゅうのできたはじめから、ひかりのとどくかぎり、あらゆるものをてきました。このまちびて、野原のはらし、みどりはやしも、かぜかれた木立こだちも、すべて、あとかたもなくなったのをっていました。
いつしか、そのときから、はや五、六ねんたったのであります。
「いま一がるがあったら、ちからをためすがいい。」
ながあいだ自然しぜん栄枯盛衰えいこせいすいてきた、偉大いだいははである太陽たいようは、まちけて焦土しょうどとなったそのから、した見下みおろして、こういいました。
そして、かぜ建物たてもの無惨むざん傷口きずぐちをなで、あめつち深手ふかでしずかにあらったのです。そのうち、ところどころあたらしいいえちはじめ、人々ひとびとによって、えられた木立こだちは、ふたたびはやしとなりました。ちいさなにわにさえ、すくすくとして、かぜにその小枝こえだかせたのです。
やがて、ふゆり、はるになろうとして、気流きりゅうあらそいました。みだれるくもあいだから、太陽たいよう下界げかいをのぞいて、たゆみなき人間にんげん努力どりょくをながめながら、
「おお、いいまちができた。」と、ほほえみました。
すると、若木わかぎをゆするかぜが、
むかしも、あちらに、煙突えんとつがあって、いつもくろけむりがっていた。」と、ささやきました。
くもや、かぜばかりでなく、小鳥ことりたちも、まえあそんだのをおもしたのか、今朝けさ、めずらしくうぐいすがんできて、いいこえきました。
「おや、うぐいすがきたよ。」
正吉しょうきちは、おどろきのあまり、このよろこびをだれとともにかたろうかと、うちからそとへかけしました。
このちかくに、一人ひとり画家がかが、んでいました。あのひとならきっと、いっしょによろこんでくれるだろうとおもいました。
「おじさん、うぐいすをきましたか。」
正吉しょうきちは、へやへはいるなり、いいました。
いたよ、きみいてどうだった。やはりうぐいすはいいね。戦後せんごはじめてだろう。これでやっと、平和へいわはるらしくなった。」と、画家がかは、まどけて、まぶしそうに青空あおぞら見上みあげ、はればれとしたかおつきをしました。
しょうちゃんなんか、これからだ。ぼくみたいにとしをとると、わかいうちのようにたびへもられないから、はるがきてはなでもるより、ほかにたのしみはないが、うぐいすのこえいたときに、さすがにきがいをかんじたよ。また、はなくうちは、たびたびきてくれるだろう。」と、画家がかは、自然しぜんたいして、感謝かんしゃしたのでした。
正吉しょうきちは、こうして、人間にんげんがことごとく平和へいわあいするなら、このなかはどんなにたのしかろうとおもいました。しかしこのとき、かれには一まつ不安ふあんが、こころにわきがったのです。また同時どうじに、どうかそんなことがこらぬように、そして、おじさんも自分じぶんも、平和へいわはるたのしまれるようにと、いのったのでした。その平和へいわをかきみだしはしないかと、正吉しょうきちにかかったのは、このごろ、このまちしてきた青服あおふくおとこのことでした。どことなくきざにえる、そのおとこはサングラスをかけ、青地あおじふくて、毎日まいにち空気銃くうきじゅうち、この付近ふきんをぶらついていました。

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