「あたりが、やっとおちついて、
昔のような
平和がきたと
思ったら、いつのまにか、
人間の
心が
変わってしまって、
信用どころか、なんだか
危険で、
油断ができなくなったよ。」と、
画家は
歎息しました。
「
酒屋さんは、ああいうのを、アプレゲールとか、いうので、いままでの
日本人とちがっているのだと、いっていましたよ。」
「
正ちゃん、
見ていてごらん、その
男は、きっとろくなことをしでかさないから。」と、
画家は
予言しました。
それから
後というもの、
正吉は、
青服の
男が、
子供の
目を
打ちぬかないか、また、ガラス
窓を
破って
人を
傷つけはしないかと、
心配したのでした。
さむい
風が
吹いて
冬が
逆もどりしたような
日でありました。
青服は、
屋根にとまっているすずめをねらっていたが、パチリ! と、
引き
金をひくと、たまが
命中して、すずめはもんどり
打って、とよの
中へころげ
込みました。どこで
見ていたか、ふいに
黒ねこが
飛び
出して、すずめをさらって
逃げようとするのを、すばやく
青服は、そのねこをねらって
打ちました。ねこは
悲鳴をあげ、
屋根をつたって、
姿を
消しました。たぶんそのあとに、
血がたれたと
思います。これを
見た
青服は、さも
心地よげに、
「わっは、は、は。」と、
声をたてて
笑いました。
「あのねこは、ペンキ
屋のだよ。」と、
見ていた
子供たちがいっていると、ペンキ
屋から、
顔を
真っ
赤にして、
若者がとび
出しました。この
家のせがれのかんしゃく
持ちは、このあたりで
知らぬものが、なかったのです。
「どいつだ、うちのねこを
打ったのは!」
「やい、てめえか。」と、いきなりせがれは、
青服の
手から
空気銃をもぎとりました。
暴力と
暴力のはたしあいでした。
青服がなにかいいかけるのを
聞かばこそ、
台じりをさかさに
銃を
振り
上げて、
力いっぱい
折れよとばかり
地面にたたきつけました。この一
撃で、さしも
精巧なドイツ
製も、
銃身がみにくく
曲がってしまいました。
正吉はあとで、この
事件を
聞いたのであるが、これがため、
青服は
家主に
銃を
返されなくなったので、
弁償することに、
話がついたといいました。
ところが、それ
以来、
青服には、
競輪も、
競馬も、いっこうに
運がむいてこず、
金の
工面に
苦しみました。一
方、
家主からは、
矢つぎばやに
金をさいそくされたのであります。
ついに、
青服夫婦は、この
町にいたたまらなくなって、ある
晩、どこかへ、
居所をくらましてしまいました。そして、だれの
目にも、あばずれ
女としか
見えなかった
青服の
若い
女房は、ふだん
唇を
紅くぬって
断髪をちぢらしていたが、
雲がくれする
前のこと、
「わたしたちみたいな、ばかはないよ。うちのひとが、
鉄砲を
打つのがうまいからって、いやがるのをむりに
打たし、とった
鳥はみんな
取り
上げておきながら、
鉄砲がいたんだから、お
金で、
弁償せいと、どこにそんな
強欲の
家主さんがあろうか。どちらがまちがっているか、みんなに
聞いてもらいたいもんだ。」と、
悪口を
世間へいいふらしました。
これを
聞いて、
事情の
知らぬ
人たちは、
金持ちや、
家主にありそうなことだと、
逃げ
出した
青服夫婦へ、
同情したかもしれません。
このような、おのれを
弱者と
見せかけて、
世間を
偽ろうとする、
不正直者が、このごろだんだん
多くなったのでした。
正吉は、これをにがにがしく
思いました。ひっきょう
恥を
感じなくなった
人間は、
自分というものがなくなったので、どこまで、
堕落するものだろうかと
考えました。
こうして
町では、
人々が、
喜んだり、
悲しんだり、たがいに
争ったりするうちに、いつしか
春めいてきました。
大空で
太陽は、すべてを
見たけれど、
干渉しようとはしなかったのです。そして
永久に、ただ
愛と
恵みとしか
知らない、
太陽の
光は、いつも、うららかで、
明るく、
平和で、
善と
美に
満ちていました。
ある
日、
正吉が
画家を
訪ねると、もう、すべてのことを
知っていて、
画家のほうから、
「あの
空気銃を
持って、
鳥を
打って
歩いた
男は、どこかへいったという
話だね。」と、
顔に
明るい
表情をただよわしながら、いいました。
「それに、おじさん、
聞きましたか、ペンキ
屋のせがれが
怒って、
空気銃を
地面へたたきつけてもう
打てなくしてしまったんですよ。」と、
正吉は、
告げたのです。
画家は、そのことも、だれかに
聞いたとみえて、
知っていました。
「ああ、それでいいんだよ。そんなものさえなければ、
持つものもないんだからね。」
なるほど、それで、ほんとうにいいのだと、
正吉は
思いました。こんどのことで、いちばん
損をしたのは、
高価な
銃をなくし、
世間からわるく
思われた
家主であろうと、
考えたので、
画家にそう
話すと、
「いつも、
自分だけ
得をしようとする、
家主の
量見がちがっているから、
銃を
曲げられたのは、
罰があたったのだよ。たとえなんと
世間からいわれても、
平常の
心がけがよくないから、これもしかたがないのだ。なんにしろ、あぶない
銃を
打つやつがいなくなって、やっと
安心したよ。」と、
画家は、さも、うれしそうでありました。
「すずめも、これから
安心ですね。もうあんな
青服みたいな
人間がこなければ、いいんだがなあ。」と、
正吉がいうと、
「もうこやしないから、
安心したまえ。そうわるいやつばかりでないだろう、
君のようないい
少年もいるのだから。」と、
画家は、
正吉をはげましました。
「ああ、
春がきた。」といって、
二人は
自然の
偉大なる
力を
信ぜずに、いられませんでした。
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