二
最初この小鳥の色は黒かった。ちょうど雀のような形でそれよりも黒かった。この小鳥を見た人は、誰でも、
「黒い鳥。」といった。
この黒い鳥を私が貰ったのは、寒い冬の日であった。しかも
吹雪の募った頃である。山に居る
何の鳥も
餌が
失なって、里にいる雀ですら、軒下の
標縄に止って凍えかかっていた。家の
裡にいては暗く、
反古紙で張った高窓に雪や
霰の当る音がした。その
毎に高窓を見上げていると、一日こうやって
怠屈に送るのが
物憂かった。何かして遊びたいと思ったが、誰も訪ねて来るものがない。時計が三時を打った。
「ああ、もう
直日が暮れるのか……。」
私は黒い柱に
懸った、古風の大きな八角時計を見上げた。縁の金色が、
僅かに鈍い灰色の空気に光って、
眤と
眸を移さずに白い円盤を
見詰ていると、長い針は
遅々と動いて、五分過ぎた。目に見えぬうちに時間の
経て行くのが何の訳なく気を
焦立たした。
「出て見よう、家に居たってつまらん。」
こう思い決めると、
何様困難があっても、吹雪を
冒して外を歩いて見たい好奇心が矢の如く心を駆った。早速深く編み上げた
藁靴を
穿いて、雪で吹き閉された戸を開けて外へ出た。
一陣大きな
雪片が風に
煽られて
圃の方から走って来た、立っている自分の胸は
忽ち白壁のように真白になった。ただ
幸に大きな吹雪はこれ
限りで後は少し晴間となった。空は
飽迄灰色であった、三尺
許上は灰色の厚い布で張詰られているような気がした。外へ出たが誰を
探ねて見ようという考えは別になかった。この時、彼方の寺の栗林で
鵯が沢山来て
啼いているのが聞えた。で、早速家へ引返して二連発の猟銃を持って寺の林へ急いだ。
道は雪に
埋って分らなかった。人の影を見ない。
木立は雪を
被て重げである。
空濠も雪に埋っていた。私は、この大きな陰気な空濠を廻って寺の墓地に入った、杉の木からは絶えず雪が崩れて落ちた。その毎に身動きをしない、重苦しそうな枝の一部分だけが動いた。見渡すと五六寸ばかり頭の現われた墓石が
其処、
此処にある。鵯の止っている栗林は夕空に頭を揃えていて、
一帯に空気が沈んで、
寂寞としていて悲しそうな景色であった。
私は暫らく
佇んで、
是等の物悲しい、静かな景色を眺めていたが、急に鳥を撃つのは可哀そうだというような
感がして、その
儘墓場を出ると普通人の通る村道に出た。
「
斯様淋しい国に
何時迄居られよう。早く快活な国へ――もっと南の暖かな国へ行って住みたいものだ。」
……と考えながら、下を向いて歩いて来ると、突然猟師の息子の
吉太に
出遇った。吉太は頭から
藁を編んだ長い
後方に迄垂れ下る妙な帽子を被っていた。
彼れの眼は
梟のように円く黒く大きかった。
頭髪は
艶く縮れていた。彼は十五六であったが余り性質がよくなかった。小学校は中途で退校を命ぜられた。村の子供を
苛めて、子供の持っている銭を取上る、町へ出ては
商家の隙を
覘って品物を盗んで来る。だからこの吉太を善く言うものはなかった。
「おい吉太、この雪に何処へ行く。」と聞いた。
吉太は藁帽子を片手で少し上げて、眼の好く見えるようにして私を見た。気味の悪いような、また何処か
嘲けるような笑いをした。
「何か捕れましたかえ。」といった。
「いや、撃つのを止めて帰るのだ。」
「お前は何処へ行く?」
と私は聞いた。
「町へ行くだ。」と彼は、私の銃の
砲先を見ていたが、
「
己あ、小鳥を町へ
売に行くだ。」
といって、懐から、さも大事そうに、壊れ物でも取出すように握り出した。それは
翼を包んで、頭を穴から出して逃げないように紙の
衣を着せた小鳥であった。
「黒い鳥だな、……何という鳥だ。」と聞いた。
吉太はさも大事そうに、自分の心臓でも
掌に載せているように、雪焼のした汚らしい手を
戦わしていた。で、私の言ったことなどに耳を傾けていなかった。吉太は、こうやっている間にも幾度となく、唇を掌に寄せて暖かな息を鳥に吹かけた。
「
己にその小鳥を
売てくれないか。」
と、余り珍らしい鳥なものでこういった。けれど私はこの鳥を見た時、好い気持がしなかった。何んだか再び眼から印象の消えない物を見せられたような気がして、急に心持が暗くなるのを覚えた。しかし、この儘、この鳥を
他人に渡してしまうのも惜しいような気がしたので、自分で
飼てみたくなった。吉太は私の顔を見ていたが、
「
貴君になら売るのは厭だ。」
「何故?」
町へ
売に行くのを、何故自分に売るのが厭だろう。吉太の性質が曲っているのを証明するものでないか? それとも町へ行ったら思い切り高く売れるが、知っている人にはそうは行かぬ所から、自分に売るのを厭だというのでないかと思ったから、
「高く
買てやるよ。町で売れるより高く買てやる……。」
「貴君に
上るなら、銭はいらないから、
私の欲しいものをおくんなさい。」といった。
「お前が欲しいもんてや、何んだ。」
「欲しいものをおくんなさるか?」と、吉太の声は
顫えて、眼が輝やく。
「何だ? やれるものならやる……。」と私は怪しみながらいう。
吉太は黒い鳥を
持たまま、考え込んだ。遠いものを追うような眼付をした。いつしか両眼からは熱い涙が湧き出て、涙は彼の頬に流れた。今迄と変って
獰悪げな
面構えが、
忽ち見違うように柔和となった。私は、不思議に
堪えなかった……彼にこれ程の
感興を与えるものを果して自分が持ているであろうか、たとえそれが何であっても、必ず吉太に与えようと心に誓った。
「早く言え、やるから。」と、
確り
言た。吉太は、声を震わし
乍ら、
「
何時か見た、絵具皿を下さい。」
といった。
私には、急にその皿が想い出せなかった。
「
何様形なのだ。」と聞くと、
「花の形をしているのです。」
と、いって泣いた。
私は吉太の泣くのを始めて見た。斯様
悪摺た悪魔の
児が、どうして泣くだろうかとも思った。が、又急に可哀そうになって、
「じゃ探して置く、明日の朝来い。」
と、二人は別れた。