へちまの水
小川未明
山へ雪がくるようになると、ひよどりが裏の高いかしの木に鳴くのであります。正雄は、縁側にすわって、切ってきた青竹に小さな穴をあけていました。
「清ちゃんのより、よく鳴る笛を造ってみせるぞ。そして、二人で林へいって、やまがらを呼ぶんだ。」
彼は、独り言をしながら、注意深く、細い竹に小刀で穴をあけていたのです。しかし、若竹で柔らかくて、うまく思うようにいかなかったのです。庭のすみに、寒竹が生えていました。
正雄は、庭に降りて、寒竹を切ろうとしたのです。
「あっ、それを切っては、だめよ。お父さんが、大事にしていなさるのだから。」と、姉のとよ子が見つけていいました。
「やはり清ちゃんのところへいって、聞いてこよう。」
正雄は、駈け出しました。
「清ちゃん、どこに、そんな竹があったの。」
「君、この竹は、枯らしてあるんだぜ。釣りざおにするって、福ちゃんのおじさんが、取っておいたのだけれど、先が折れたからといって、僕にくれたのだ。こんないい竹は、どこを探したって、あるものか。」
「僕も、そんな竹が、ほしいなあ。」
「君も笛を造るのかい。そんなら、残っている竹をあげよう。そして、穴をあけたら、後で、針金で中を一度通すといいよ。」
清ちゃんは、短い竹と、針金を持ってきて渡しました。
「ありがとう。できたら、林へいって、二人で、小鳥を呼び寄せる、競争をしようじゃないか。」と、正雄は、いいました。
「それには、お寺の林がいいよ。あすこには、やまがらも、こがらも、くるから。」と、清ちゃんが、いいました。正雄は、いい竹が手に入ると喜んで、家へもどってきました。
また、もとの場所へすわって、笛を造りにかかりました。
「清ちゃんのところへいって、いい竹をもらってきた。」と、姉さんに、いいました。
姉のとよ子は、弟が、小刀を使う手つきを見ていたが、
「もう、正雄は、あかぎれができたのね。伯母さんの家へいって、へちまの水をもらってくるといいわ。」といいました。
毎年冬になると、伯母さんの家へ、へちまの水をもらいにいくのでありました。
「こんどの日曜にいって、かきも、もらってこよう。」
正雄は、そういいながら、笛を造っていましたが、そのうちに、かわいらしい管笛ができ上がりました。口にあてて、息をすい、すいと通しているうちに、ピイ、ピイ、ピーと澄んだ、いい音が出ました。
「姉ちゃん、よく鳴るだろう。」と、さも、うれしそうです。このとき、また、高いかしの木の先刻のひよどりが、飛んできて鳴いたのでありました。
「どれ、清ちゃんと、林へいって、やまがらを呼ぼうや。」と、正雄は、また駈け出しました。いつしか、楽しい秋も過ぎ、雪の降る冬がきました。正雄は、学校の帰りに雪合戦をしたり、雪の上で、相撲を取ったりしたのです。
それは、はや去年のこととなって、今年の春、正雄は、小学校を卒業したのでありました。
雪が消えて、黒土の上に、ほこほこと暖かな日の光の射す、春のことでした。
「姉ちゃん、どこへ、へちまの種子をまこうか。」と、正雄は、紙に包んだ、白い種子を出して、ききました。
「へちまの種子なの。」
「伯母さんが、おまえの手は荒れ性だから、今年から自分の家でも、へちまの水を取るといいといったんだよ。」
「そう、この垣根のところは、どうかしらん。」と、茂ったからたちの木の立っているところを指しました。
「つるが出たら、棒を立ててやっておくれよ。」
正雄は、町の工場へいくことになっていました。自分は、このへちまの芽を見るかもしれないが、つるの伸びる時分には、おそらく家にいなかろうと思ったのであります。
「おまえ、体がだいじょうぶ? どうしても町へいって働く気なの。」と、姉は、心配しました。
しかし、少年は、元気でした。非常時国家のために、りっぱに少年工の働きをしようと決心していたのです。
「だいじょうぶだよ。」
へちまの芽が出て、銀色のなよなよとしたつるが、姉の立てた棒にはい上るころには、正雄は、町の工場で、機械のそばに立って、働いていました。
彼女は、弟の身の上を案じました。あまり強いほうではないが、これから世の中の荒波にもまれていけるだろうかと、へちまのつるを見るたびに思われるのでした。そして、米のとぎ汁や、魚を洗った水などを、へちまの根もとにかけてやりました。
ある日、とよ子は、へちまを見てびっくりしました。棒から、いつのまにかつるは、からたちの木に登っていました。鋭い刺のある枝を平気で、思うかってのままに、ほうぼうへそのつるを拡げていたからです。
「あら、えらい勢いなのね。」
彼女は、これを見て、にっこりしました。弟だって、なにも案ずることがないと、気強く感じられたのでした。
盛夏のころには、へちまは、まったくからたちを征服して、電燈線にまで、手を伸ばしていました。その勢いは、さながら、秋になってひよどりのくる、あの高い大きなかしの木と高さを競い、さらに大空に浮かぶ白い雲を捕らえようとしているのでした。烈しい太陽が、その厚みのある葉に照り映えて、真っ黄色な花は、燃えるように見えました。
はたして秋になると、大きな実がいくつもなって、からたちの木は、その重みで頭を低く垂れていました。これを見ながら姉は、今年は、へちまの水をたくさん取って、寒さに向かう前に、弟へ送ってやろうと思ったのでした。