ペスときょうだい
小川未明
風の吹くたびに、ひからびた落ち葉が、さらさらと音をたて、あたりをとびまわりました。空はくもって、木の枝がかなしそうにうごいています。急にお天気がかわりそうでした。
「雪がふると出られなくなるから、ちょっと、となり村まで用たしにいってくる。」と、父親は、身じたくをしながら、いいました。
「その間にぼくは、外につんであるまきをかたづけておこう。」と、兄の太郎がいいました。
「あまり暗くならぬうちに、お父さん、かえっていらっしゃい。」と、弟の秀吉はいいました。
「ご飯がにえたら、お母さんにあげて、先に食べておしまい。」と、父親は、戸口で兄弟に注意して、空をながめていましたが、
「寒さがちがうから、今夜は雪だろう。」と、いいました。
このとき、ペスは犬小屋でねていました。いつもなら、とびだしてきてあとをおうのですが、どうしたのか、音もたてなければ、姿も見せませんでした。
「ペスをつれていかないの。」と、太郎がいいました。
「ねているなら起こさずにおいておやり。」と、そのことばには、やさしみがありました。そして、もう父親は、門の方へ歩いていたのでした。
兄弟は、しばらくそこに立って、父親のうしろ姿を見おくりましたが、見えなくなると、
「ペスのやつ、気分がわるいのかな。」と、弟の秀吉は、小屋をかえりみながら、まず口をひらきました。
「なに、おうちゃくなんだ。きげんのいいときはしかってもついてくるが、わるいときはよんでもきやしない。」と、兄の太郎は、いまいましそうにいいました。
「しかし今日は、気分がわるいのだろう。」と、秀吉はペスの弁護をしました。あまり兄がおこっていたからでした。
「だってそうじゃないか。お父さんはペスの恩人なんだぜ。犬ころしにつれられていくところを、お金をやってたすけなさったんだ。こんな小さいうちに命をとられるのは、かわいそうだといって。」と、太郎がそのときのことを思い出していうと、
「ほんとうにうちへきたときは、ころころとしてかわいらしかったね。」と、秀吉もうなずきました。
「そのご恩をわすれては……。」
「ペスはありがたく思っているんだよ。家じゅうで、いちばんお父さんになついているだろう。」
「それならこんな日にこそ、おともをするのがほんとうなのだ。」と、兄は口こごとをしながら、前のあき地につんであったたきぎを一本ずつとりあげて、長いのをのこぎりでひき、太いのはなたでわって、てごろにできあがったのから、なわでくくりはじめました。また弟は、炉に松葉をくべたり鉄びんをかけたりして、夕飯のしたくをしていました。お母さんがかぜをひいてねていられたので、いいつけられた用事をしているのでした。
北風の吹くたびにかさこそと、まどの外では木の葉のとぶけはいがしました。
そのとき、力のこもるちょうしで、ドント、ドント、ドント、ナミノリコエテ……と、兄がはたらきながら、出船の歌をうたっているのが聞こえました。
そのうちに、だんだんとあたりが暗くなりました。
「秀ちゃん、まだご飯にならない。」と兄が外から声をかけました。
「いま、お母さんにあげたところだ。」
「ちらちら雪がふってきたよ。」
「えっ、雪が。」と、弟はこう聞くと、すぐに戸口までとびでました。灰色の空をあおぐと、やわらかな白いものがおちて、つめたく顔にあたりました。
「ごらん、あちらの山も森も、みんなはやまっ白になったから。」と、兄はせわしそうにたきぎを勝手もとへはこびながら、いいました。やがて仕事がおわって、兄は流しで手をあらっていると、土間のかたすみで、ペスが、弟のあたえた飯を食べているのが目に入りました。
「どこもわるくないのに、ずるいやつだ。」と、太郎はしたうちしたのです。
夜になると兄弟は、ともしびの下でくりをやいたり雑誌を見たりしていました。ふけるにつれてヒュウヒュウと風がつのり、パラパラといって、吹雪がまどにあたりました。
「お父さんは、暗くておこまりだろう。ぼく、とちゅうまでむかえにいこうか。」と、秀吉が外へ耳をすましながらいうと、
「いいえ、むかえにいかなくても、だいじょうぶです。お父さんは知り合いがおありですし、おまえのほうがしんぱいですから。」と、つぎの間にねているお母さんがいわれました。
「ペスがついていけばよかったんだ。」と、兄はまたくりかえしました。
「どこかわるいんだよ。さっきお宮の境内へしいの実をひろいにいったとき、呼んだけれどこなかったのだ。いつもならよろこんでとんでくるのに。」と、秀吉はペスをかばうつもりでこたえました。
「それなら、なにも食べられそうもないのに。」と、ペスが音をたてて、ご飯を食べている姿を、兄は思い出したのでした。
くりのこげるにおいが、つめたいへやの空気へひろがりました。けれど兄弟は、外のあらしに気をとられるので、おちつかなかったのです。兄はなんと思ったか、立ちあがると入り口へ出て、戸をあけました。弟もじっとしていられずついてくると、ペスもそばへやってきました。
「ペス、お父さんをむかえにいくんだ。」と、太郎は命令しました。
「いくら犬でもわからないだろう。」と、秀吉は反対しました。
兄はそれに耳をかたむけないで、むりにペスを寒いやみの中へおいだしました。赤と白の敏感な毛色の動物は、しばらく、なにを考えるか、吹雪の中でふるえてみえました。
「早くいけ。」と、はらだたしげに兄はいって、手あらく戸をしめたのです。
秀吉が戸をあけたときは、もうペスのかげはそこになかったのです。ただしきりとふる雪が、すきまをもれるともしびにてらされたばかりでした。
「どこへいったかな。ペスはもうおらないよ。」と、秀吉は炉ばたへもどると兄を見ました。兄は下をむいて、黙っていました。
それから三十分もすぎたころです。戸口でだれか雪をはらう音がしました。
「お父さんだ。」と、秀吉は出むかえました。
「ペスはいきませんか。」と、太郎が聞きました。
「いや。どうして。」と、父親はふしぎがりました。
「むりにお父さんをむかえにやったのです。」と、太郎がいいわけしました。
「どの道かわかるまいが、どこへいったかな。」と、父親は考え顔をしました。
「もうかえらないよ。」と、急に秀吉は悲しくなって、声をふるわせました。
「そんなことはあるまい。小犬ではないからな。」と、父親はわらいました。
秀吉は父親のことばで、いくらか安心しました。そして明日になれば、お母さんはおきられるとおっしゃるし、雪の上をペスとあそばれると思うと、うれしかったのでした。
けれど、太郎だけは、ペスのことがさすがに気にかかるとみえて、戸口に立って口ぶえをふいたりしました。
「どこへいくものか。もう寒いからやすんだがいい。」と、父親は先に座を立たれました。続いて兄弟もへやへ入って、床に入りました。弟はすぐにねむったけれど、兄は容易にねむりつかれず、吹雪の中をさまよっているペスの姿を想像しました。
真夜中ごろでした。秀吉はふと目をさますと、兄をおこさないようにそっと床からぬけだして、犬小屋へいってみました。中はがらんとして空だったので、せっかくわすれた悲しみが、また新しく全身をしめつけました。しばらく、なきだしたくなるのをこらえて立っていると、遠く石をころがすような海の鳴り音がきこえました。
その夜のあけがたのこと、ゴトンと、なにか雨戸へあたる音がしました。
「ペスかな。」と、兄はすぐはねおきました。二人ともちょうど目をあけて、ペスのことを思っていたので秀吉は、
「にいさん、ペス。」と、聞きました。
「いや、風の音だ。」と、兄はしおしおとまた床へもぐりました。しばらくすると、
「夜があけたら、ペスをさがしにいこう。」と、兄はひとりごとのようにいいました。
「兄さん、ぼくもいっしょにいくよ。」と、秀吉はいいました。このとき、兄は兄で、かわいそうなことをしたと後悔したし、弟は弟で、自分の力のたらぬばかりに、とりかえしのつかぬあやまちをおかしたと、良心にせめられたのであります。