紅すずめ
小川未明
ある日のこと、こまどりが枝に止まって、いい声で鳴いていました。すると、一羽のすずめが、その音色を慕ってどこからか飛んできました。
「いったい、こんなような、いい鳴き声をするのが、俺たちの仲間にあるのだろうか。」と、すずめは不思議に思ったのです。
すずめは、すぐ、こまどりがとまって鳴いているそばの枝に下りてとまりました。そして、鳴いている鳥をつくづく見ると、姿といい、大きさといい、また、その毛色といい、あんまり自分たちとはちがっていなかったのです。
すずめは、考えてみると不平でたまりませんでした。なぜ、自分たちにも産まれてから、こんないい鳴き声が出せないのだろう。同じように翼があり、またくちばしがあり、二本の足があるのに、どうして、こう鳴き声だけがちがうのだろう。もし、自分たちも、こんないい声が出せたなら、きっと、人間にもかわいがられるにちがいないと思いました。
すずめは、心の中に、こんな不平がありましたけれど、しばらく黙って、こまどりの熱心に歌っているのに耳を傾けて聞いていました。すると、またこのとき、このこまどりの鳴き声に聞きとれたものか、どこからか一羽のからすが飛んできて、やはりその木の近くの枝に止まりました。
からすが、強く羽音をたてて、飛んできたのを知ると、こまどりは、さもびっくりしたようですが、やはり知らぬ顔をして歌いつづけていました。
すずめは、こうして自分たちとあまりようすの違わないこまどりが、みんなからうらやまれるのを見て、ますます不平でたまりませんでした。ついに、すずめは、こまどりに向かってたずねたのです。
「こまどりさん。どうしてあなたは、そんないい声をもっておいでなのですか、その理由を私に聞かしてください。私も同じ鳥ですから、そして、あなたとは格別ちがっていないように思っていますが、だれがあなたに、そんないい音色を出すことを教えたのですか、私にきかせてください。私も、ぜひ、いって教わってきますから。」といいました。
このとき、こまどりは、はじめて歌うのをやめました。そして、すずめの方を向いて、
「すずめさん、お疑いは無理もありません。しかしこれには子細のあることです。あなたはあの日輪が、深い谷間に沈んでいたときのことをお知りですか。私たちの先祖は、ちょうどここにいなさるからすさんのご先祖といっしょに、日輪を谷から、綱で縛って空へ引き上げるときに、骨をおったのです。私たちの先祖は、みんなをはげますために、笛を吹いたり、笙を鳴らしたり、また歌をうたったりしたのでした。それで、孫子の代までも、こんないい鳴き声が出されるようになったのです。あなたたちの先祖は、そのとき、やはり畑や、野原を飛びまわっていて、べつに手助けをしなかったから、のちのちまでも平凡に暮らしていなさるのです。」と、こまどりはいいました。
これを、黙って聞いていたすずめは、頭をかしげて、
「それはほんとうのことですか? まことに恥ずかしいことです。もしそうでありましたら、私はこれから日輪のいられるところまでいって、おわびをします。そうすれば、きっと日輪は私たちの先祖の怠慢をお許しくださるでしょう。そして、私は、美しい翼と、また、あなたのようないい鳴き声とを授かってきます。」と、その正直な若いすずめはいいました。こまどりは、じっと一ところを見つめて考えていましたが、
「すずめさん、それは容易なことでありません。あの日輪の輝いているところをごらんなさい。あんなに雲が早く走っているではありませんか。いつも大風が吹いているからです。あなたは、きっと、あの風のために、どこへか飛ばされてしまうにちがいない。まず、あの風を切る工夫をしなければなりません。」と、こまどりはいいました。
すずめは、大空を仰いでみました。
「なるほど、雲が走っています。あなたのおっしゃるように大風が吹いているようすです。どうしたら、私の小さな体が、風に吹き飛ばされずに、高く、高く飛んでゆくことができますでしょうか。教えてはくださいませんか。」
「それほどまでに、あなたがおっしゃるなら、教えてあげます。あなたは、これから三年の間、荒い海の上で風に吹かれながら飛ぶ稽古をなさるのです。そして、それができるようになったら、日輪のいるところを目がけて翔けて上がるのです。」
すずめは、感心して、美しいこまどりのいうことを聞いていました。
この話を黙って聞いていたからすは、鳴きながらどこへか飛び去りました。つづいてこまどりが、すずめを見下ろして、
「また、お目にかかります。」と、一言残して、からすとは、反対の方向へ飛んでいってしまいました。
独り、木の枝に残されたすずめは、このとき決心いたしました。それからまもなく、すずめも、北をさして姿を消してしまったのです。
あるときは、すずめはつばめにまじって、岩に砕ける白い波を見下ろしながら、海の上を翔けりました。また、あるときはしらさぎにまじって、風の吹く日に、そして、海の上が暴れて、どちらを見ても黒雲がわきたつような日に、波を切って中空にひるがえることを学んだのです。
春、夏、秋、冬というふうに、三年の間、あわれなすずめは海の上で、しらさぎや、つばめや、また寒い国から渡ってきたいろいろな鳥などと、交わって暮らしました。その間には、緑色に空が晴れて、その下に大きな海が、どさりどさりと物憂げに波を岸辺に打ち寄せて眠っているような、穏やかな日もあったのです。そのような美しい景色は、とても野原や、林や、田圃などを飛んでいた時分には、すずめに見ることのできなかったいい景色でありました。
また、夏の晩方には、日輪が真っ赤に、大きな火の球の転がるように海の中へ音もなく沈んでゆくこともありました。このとき、小さなすずめは、その昔、あの日輪に綱をつけて、からすや、こまどりや、いろいろの鳥らが引いて、深い暗い谷底から、日輪を引き上げたことを思い出しました。すると、こまどりの唄をうたった、あのいい音色が耳に聞こえるような、また、笛や、太鼓や、笙の音色などが、五彩の美しい夕雲の中からわいて、海の上まで聞こえてくるような、なつかしい感じがしたのであります。
「あの太陽は、また、真っ暗な深い谷底に落ちてゆくようだ。どうして、それをだれも昔のように引き上げずとも、ひとりでに、朝になると上るのだろう。それが不思議でならない。」と、すずめは思いました。
そして、いよいよ自分が、日輪を目がけて空の上へ飛んでゆく日がきたとき、自分は、暗くなったら、太陽がああして谷底に沈んでしまって、夜になって、星の光が、うす青い奥深い空に輝きはじめたとき、どこに泊まるであろうか。そのことを、こまどりから聞かないうちは、安心して長い長い旅をつづけることができない。その間には、風が吹くこともあろう。また雨が降ることもあろう。すずめは、もう一度、ぜひあのこまどりにあって、そのことを聞こうと思いました。
ある日のこと、すずめはいっしょに、波の上を飛びまわって遊んでいた、年老ったしらさぎに別れを告げて、三年前、こまどりとあった野原をさして飛んできました。
「二、三日も探しまわったら、あのこまどりにあわれないこともあるまい。」と、すずめは思ったのです。
すずめは、木の枝に止まっては、もしや、あのこまどりの聞き覚えのある歌の声が、どこからか聞こえはしないかと耳を澄ましていました。そしてこちらの林から、またあちらの林へと伝って歩いていました。
ちょうど、このとき、いつかのからすにすずめは出あいました。
「からすさん、からすさん、いいところでお目にかかりました。お達者でなによりけっこうでございます。」と、すずめは呼びかけました。
からすは、頭をかしげて、じっとすずめを見ていましたが、
「ああ、いつかのすずめさんでしたか。たいへんにあなたの姿は変わったので、ちょいとわかりませんでした。翼の色がすっかり赤くなりましたね。」と、からすはいいました。
すずめは、驚いて、自分の身のまわりを見まわしながら、
「私が、赤くなったとおっしゃるのですか?」と聞き返しました。
「あなたには、それがわからないのですか。」と、からすは笑いました。
「なるほど、私の姿は変わりました。」
「あまり空を飛んで、日に焼けたんですよ。」と、からすはいいました。
すずめは、急に悲しそうな声を出して、
「私は、早く、太陽のおそばへゆきたいと思うんです。そして、なにかお役にたつことをして、りっぱな鳥となってきたいと思うのです。それで、いつかのこまどりを探しているのです。」と、答えました。
すると、からすはまた、からからと笑いました。
「おまえさんは、あのこまどりのいったことをほんとうにしていたのですか。もしそうだったらお気の毒なことです。あのとき、こまどりがいいかげんなことをいったのは、私をおそれて、私にへつらって、あんなでたらめのことをいったのです。私は、平常あのこまどりがおしゃべりなもんですから、ひとついじめてやろうと思っていたのでした。なんで、私の先祖なんかが、日輪を綱でひいたものですか。ほんとうにこまどりは、うそをいうことの名人です。あなたは、いままで、それを信じていたのですか。」と、からすはあきれたような顔つきをしていいました。
すずめは、二度びっくりしました。そして、長い三年の間の自分の苦労がむだであったことを、深く嘆き悲しみました。
「からすさん、私は、三年の間、空の上へ飛んでゆく稽古をしました。そして、いまは、雨にも風にもひるまぬ修業を積みました。しかし、それももう、なんの役にもたたなくなりましたのでしょうか。」と、すずめはいまにも泣き出しそうにいいました。
「どんな鳥でも、太陽の輝いているところまで上り得る鳥はありません。しかし、すずめさん、あなたは、その姿となってしまっては、ふたたびあなたの故郷へは帰れませんよ。だれもあなたを自分の仲間だと思うものはありますまいから。」と、からすはさも気の毒そうにいいました。
紅すずめは、だまって、しばらく思案に暮れていましたが、やがて、南の故郷へは帰らずに、北をさして飛び去ってしまいました。すずめはしらさぎや、いわつばめのいるところへ、青い、青い海のある方へ帰っていったのです。