宝石商
小川未明
昔、北の寒い国に、珍しい宝石が、海からも、また山からもいろいろたくさんに取れました。
それは、北の国にばかりあって、南の方の国にはなかったのであります。南の方の暖かな国は富んでいましたから、この珍しい宝石を持って売りにゆけば、たいそう金がもうかったのでありました。
けれど、質樸な北の方の国の人々は、そのことを知りませんでした。また、遠い南の国へゆくにしても、幾日も幾日も旅をしなければならない。船に乗らなければならないし、また、車にも、馬にも乗らなければならなくて、容易のことではなかったのであります。
ここに、智慧のある男がありました。その男は、北の国のものでもなければ、また、南の国のものでもなかった。どこのものとも知れなかったのであります。
この男は、北の国へいって、宝石を集めてそれを南の国へ持ってゆけば、たくさんの金のもうかることだけは、よく知っていました。そのうえ、男は、よく宝石を見分けるだけの目を持っていました。
男は、ひともうけしようと思って、北の国へまいりました。北の国は、まだよく開けていなかったのです。高いけわしい山が重なりあって、その頭を青い空の下にそろえています。また、紺碧の海は、黒みを含んでいます。そして高い波が絶えず岸に打ち寄せているのでありました。
宝石商は、今日はここの港、明日は、かしこの町というふうに歩きまわって、その町の石や、貝や、金属などを商っている店に立ち寄っては、珍しい品が見つからないものかと目をさらにして選り分けていたのであります。
火の見やぐらの立っている町もありました。また、荷馬車がガラガラと夕暮れ方、浜の方へ帰ってゆくのにも出あいました。
男は、珍しい品が見つかると、心の中では飛びたつほどにうれしがりましたが、けっしてそのことを顔色には現しませんでした。かえって、口先では、
「こんなものは、いくらもある、つまらない石じゃないか。」といって、くさしたのです。
店のものは、よく知りませんから、そうかと思いましたが、めったに見たことのない、珍しい美しい石だと思っていますものですから、
「そんなことはありますまい。私どもは、長年石を探して歩いていますが、こういう珍しい石はこれまで、あまり手に入れたことがないのです。」と、店のものは答えました。
すると、智慧のある宝石商は、わざと嘲笑いました。
「それは、おまえさんが、あまり世間を知らんからだ。この山を越えて、もっと遠い、遠い国の方までいってみれば、こんな石は、けっして珍しくない。もっと美しい石がいくらもあります。」
と、旅の宝石商はいいました。
店のものは、それはそうかもしれないと思いました。そして、赤い石や、青い石や、また海の底から取れた緑色の石や、山から取れた紫色の石などを安くその男に売ってしまったのです。
どこへいっても、その男は、口先が上手でありました。そして、珍しい石をたくさん集めました。彼は、それを持って南の国へいって高く売ることを考えると楽しみでなりませんでした。それには、すこしでもたくさん持ってゆくほうがもうかりますから、男は、根気よく寂しい北国の町々を歩いていました。
そのうちに秋もふけて、冬になりました。寒くなると男は、早く南の国へゆくことを急ぎました。
ある日のこと、ものすごい波の音を後方に聞きつつ宝石商は、さびしい野原を歩いていますと、空から雪がちらちらと降ってきました。
「雪が降ってきたな。」と思って、男はいっしょうけんめいに路を急ぎました。けれどいつまでたっても、人家のあるところへは出ませんでした。そして、だんだんさびしくなるばかりでした。雪はだんだん地の上に積もって、どこを見ても、ただ真っ白なばかりであります。小川も、田も、畑も雪の下にうずもれてしまって、どこが路やら、それすら見当がつかなくなってしまったのであります。
そのうちに、日が暮れかかってきました。からすが遠いどこかの森の中で、悲しい声をたててないていました。
男は、早く町に着いて、湯に入って暖まろうなどと空想をしていたのでありますが、いまは、それどころでなく、まったく心細くなってしまいました。この分でいたら、すぐ四辺が真っ暗になるだろう。そして、そのうちに手足は凍えて、腹は空いて、自分は、このだれも人の通らない荒野の中で倒れて死んでしまわなければならぬだろうと考えました。
ちょうど、そのときであります。真っ黒な雲を破って、青くさえた月がちょっと顔を出しました。そして、月はいいました。
「おまえがこの北の国の宝をみんな南に持っていってしまう、その罰だ。海も、山も、その宝がほかの遠い国へゆくのを悲しんでいるのだ。」と、月がすきとおる寒い声でいったのです。
宝石商はびっくりして、空を仰ぎますと、すでに月は真っ黒な雲の中にその顔を隠してしまいました。
宝石商は、ほんとうにびっくりしました。自分が、なにも知らない商人をだまして、いろいろ珍しい宝石を手に入れたものですから、心の中ではあまりいい気持ちがしなかったのです。
寒さは、募るばかりでありました。そして、腹はだんだん空いてきました。もはや、この荒野の中で、のたれ死にをするよりほかになかったのでした。
「ああ、ほんとうに、とんだことになったもんだ。いくら金もうけになるといって、自分の命がなくなってしまって、なんになろう。もう、みんなこの宝石はいらない。だれか自分を助けてくれたら、どんなにありがたいだろう。」と、宝石商は、つくづくと思いました。
「神さま、どうぞ私の命を助けてください、そのかわり、持っている宝石は、一つもいりませんから、どうぞ命を助けてください。」と、彼は念じたのであります。
すると、そのとき、怖ろしい、寒い大きな風が吹いてきました。林や、森にかかった雪がふるい落とされて、一時は、目も口も開けない有り様でありました。
彼は、もう自分は、いよいよ死ぬのだと思いました。そして、しばらく雪の上にすわって闇を見つめて後先のことを考えました。
そのとき、彼は、かすかに、前方にあたって、ちらちらと燈火のひらめくのをながめたのであります。いままで、がっかりとして人心地のなかった彼は勇んで飛びあがりました。ああ、これこそ神さまのお助けだと思って、その火影をただ一つの頼りに、前へ前へと歩き出したのでありました。
宝石商は、やっとその燈火のさしてくるところにたどり着きました。それはみすぼらしい小舎でありました。中へ入って助けを乞いますと、小舎の中には、おばあさんと娘が二人きりで、いろりに火をたいて、そのそばで仕事をしていたのであります。
宝石商は、自分は旅のもので野原の中で道を迷ってしまって、やっとの思いでここまできたのであるが、一夜泊めてもらいたいと頼みました。
おばあさんと、娘は、それはお気の毒なことだといって、宝石商をいたわり、火をどんどんとたいて凍えた体を暖めてやり、また、おかゆなどを造って食べさしてくれました。
「私どもは貧乏で、お客さまにおきせする夜具もふとんもないのでございますが、せがれが猟師なもので、今夜は、どこか山の小舎で泊まりますから、どうぞそのふとんの中へ入ってお休みくださいまし。」と、二人はしんせつに、なにからなにまで、およぶかぎり真心を尽くしてくれました。
宝石商は、このお礼になにをやったらいいだろうと思いました。彼は、自分の持っている宝石の一つを、この家のものに与えたなら、どんなに一家のものが幸福になろうと考えました。また、その宝石を金にしなくても、娘のくび飾りとしたら、どんなに美しく輝いて娘の心を喜ばせるであろうと思いました。
宝石商は、これよりほかにお礼のしかたはないと考えたのです。彼は、月が空の上でいったことを思い出しました。
「なんにしても命が助かったんだ。宝石の一つや二つに換えられない。」と、彼は思いながら、床の中に入ってから、包みを出して、おばあさんや、娘に気づかれないように、一つ一つ宝石を選り分けてながめたのです。