僕がかわいがるから
小川未明
正ちゃんの、飼っている黒犬が、このごろから他家の鶏を捕ったり、うきぎを捕ったりして、みんなから悪まれていました。こんどやってきたら、鉄砲で打ち殺してしまうといっている人もあるくらいです。けれど、正ちゃんは黒犬をかわいがっていました。
「クロや、もう僕といっしょでなければ、出さないよ。ひどいめにあうからね。」と、いってきかせました。
クロは、尾を振って、正ちゃんの体に頭をすりつけて、クン、クンと喜んで鳴いていました。
「わかれば、もういいのだよ。僕は、おまえをかわいがってやるから。」と、いって、クロの頭を抱えて、その顔に自分のほおをつけていました。
しかし、お父さんや、お母さんは、クロを捨ててしまうといっていられました。そして、相談をなさっていられたのです。
「なにか、正二のほしいものを買ってやれば、いうことをきくかもしれない。」と、お父さんは、おっしゃいました。
「さあ、どうでしょうか。二輪車をほしいといっていましたから、犬を捨てたら、買ってやるといってみましょうか。」と、お母さんは、お答えなさいました。
「ああ、それがいい、きいてみてごらん。」と、お父さんが、いわれました。
お母さんは、さっそく、正ちゃんに、そのことをおっしゃいました。
「おまえの好きなものを買ってあげるから、クロをだれかにやっておしまいなさい。」と、おっしゃいました。
すると、正ちゃんは、即座に、
「僕は、なにもほしくないから、クロをやることはいやです。」と、お答えしました。
「上等の二輪車を買ってあげても。」
「二輪車なんか、ほしくありません。」
「いつか、ほしいといったでしょう。」
「それは、ほしいが、クロをやってしまうことはいやです。」
お母さんは、考えていられましたが、正ちゃんが、いつか、野球のミットをほしいといったことを思い出されました。そこで、こんどは、
「ミットも買って、あげるけど。」と、おっしゃいました。
ミットときいて、正ちゃんは、お母さんの顔を見ました。
「ミットも買ってくれるの?」と、お母さんに、ききかえしました。
「ミットも買ってあげます。」
お母さんが、こうお答えなさると、正ちゃんは、頭を振って、
「ミットなんか、ほしくない。」と、いいました。
「じゃ、犬をやめて、伝書ばとになさいな、はとは、やさしくて、そんな悪いいたずらをしませんから。」と、お母さんは、おっしゃいました。
「え、伝書ばとを飼ってくれるの?」と、正ちゃんは、目をかがやかしました。
「ええ、鳥屋へいって、買ってきてあげますよ。」
「二輪車とミットと伝書ばとを買ってくれない?」と、正ちゃんは、大いに欲張りました。
「さあ、お父さんが、なんとおっしゃるかしれませんけれど、そうしたら、正ちゃんは、クロを捨ててしまいますね?」と、お母さんは、念を押されました。
「どうしても、クロを捨ててしまうの、かわいそうだなあ。だれかにやってしまえばいいではないか。」と、正ちゃんは、考えていました。
「それは、聞いてみますが、あんなに大きくなった犬をだれも、もらうものはないでしょう。遠くへつれていって、置いてくるのですね。」
このとき、正ちゃんは、クロと約束したことを思い出しました。僕は、おまえをかわいがってやるからといったことを思い出しました。
「僕、いやだ、やはり、クロを飼っておく。」と、きっぱりといいました。
「伝書ばとはいらないんですね。」と、お母さんが、おっしゃいました。
伝書ばとときくと、正ちゃんは、また迷ってしまいました。犬もいいが、あのかわいらしい目をしたはともほしかったのです。それに、はとは卵を生むからよけいいいのです。
「お母さん、僕、考えてみていい?」と、正ちゃんは、いいました。
「ああ、よく考えてごらんなさいね。私も、二輪車に、ミットに、伝書ばとですから、考えてみなければなりません。」と、いって、お母さんは、笑っていらっしゃいました。
正ちゃんは、草の上に横になって、大空をながめながら、
「はとと二輪車にしようかなあ、しかし、クロがかわいそうだし……。」と、いって、考え込んでいました。そして、考えに疲れて、そのまま目を閉じて、じっとしていると、自分を探しにきたクロが、ハッ、ハッと、息を切って、頭のところへ走ってきたけはいがしました。
「こうして、死んだふりをしていよう。」と、正ちゃんは、思いました。
クロは、正ちゃんの頭をかぎました。つぎに顔をなめました。正ちゃんは、おかしくて、しようがなかったけれど、我慢をしているとクロは、なんと思ったか、――ほんとうに死んだと思ったのか、急に悲しそうな声を出して、ほえはじめました。そして、また正ちゃんの顔をなめ、起こそうと着物をくわえて引っ張ったのです。正ちゃんは、はね起きました。
「クロ! 僕は、こんなにやさしいおまえを捨てようなどと思って悪かった! 堪忍しておくれ、もう、いつまでもかわいがって、どこへもやらないから。」と、いって、二人は、草の上で元気よく、相撲を取って遊んだのであります。