僕のかきの木
小川未明
もう、五、六年前のことであります。
ある日、賢吉は、友だちが、前畑の中で遊んでいる姿を見つけたから、自分もいっしょに遊ぼうと思って、飛んでいきました。
「清ちゃん、なにをしているの。」と、立ち止まって、声をかけると、
「赤がえるを見つけているの、君もおいでよ。」と、清次が、答えました。賢吉は、みょうが畑の中へ入りました。
「赤がえるをつかまえて、どうするの。」と、賢吉は、聞きました。
「安田のおばあさんが、とくちゃんに食べさせるのだから、つかまえてくれといったのだ。」
「とくちゃんが食べると、鼻の下の赤いのがなおるから?」と、賢吉が、聞きました。
「きっと、そうなんだよ。さっき、一ぴき見つけたけれど、どこかへ逃げてしまった。」
「そのかえるは、真っ赤だった?」
「そんなに赤くなかった。」といいながら、清次は、みょうがの葉を分けて、下をのぞいていました。みょうがの子が、柔らかな黒土から、うす赤い頭を出して、白い花を咲いているのでありました。
「賢ちゃん、ここに、こんなかきの木が生えているよ。」と、突然、清次が、いいました。
賢吉は、そのそばへいってみると、かきの木の苗が、みょうが畑の端の方に一本生い出て、大きな葉をつやつやさしています。
そこから、五、六間はなれたところに、太い親のかきの木が、立っていました。幾十年となく雨風にさらされてきたので、肌が荒れて、枝は、曲がりくねっていました。甘がきで、秋になると、実の上に白い粉をふいて、枝の先にるいるいとしてみごとにたれさがるのでした。
「清ちゃん、あの木の子だね。」
「甘がきだよ。賢ちゃんにあげるから、持っていって植えておきよ。」
清次は、力いっぱいにその木を引っ張りました。すると、根は、深く入っていたとみえて根本から一、二寸、下のところで、ぽきりと切れてしまいました。
「あっ、切れてしまった。」
「惜しいことをしたね。」
「こんな、きんぼ根ではつかないね。」といって、清次は、畑の外へ、その若木を捨ててしまったのです。
賢吉は、じっとそれを見ていましたが、このまま枯らしてしまうのをかわいそうに思いました。また、助けて、つくものとすれば、神さまに対して、すまないことであると感じたのです。賢吉は、走っていって、拾い上げました。
「清ちゃん、僕、この木をもらっていってもいいの。」と、聞きました。
「賢ちゃん、うまくすれば、つくかもしれないよ。」と、清次は、自分が、手荒にしたのをべつに後悔するふうもなかったのです。
賢吉は、往来を歩いて、日に照らされながら家へ帰ると、この傷のついたかきの木の苗をどこへ植えたらいいかと考えました。
「そうだ、お父さんに、相談してみよう。」と、思いました。父は、きっと考えてくれるだろうと思ったからです。
賢吉は、お父さんを呼びました。あちらで仕事をなさっていたお父さんは、なんだろうと思って出てこられました。
「甘い、大きな実がなるんですよ。このかきの木をもらったんだけど、どこへ植えたらいいですか。」と、賢吉は、父に、かきの木の子を見せるようにして、聞きました。
「なんだ、そんなことで呼んだのか。」といいながら、父親は、一目それを見ました。そして、あきれたというふうで、
「根がないじゃないか。人の捨てたものをもらってくるばかがあるか。」といいました。
「僕、よく植えたら、つくような気がするし、枯らすのはかわいそうと思ったんだよ。」と、賢吉は、弁解しました。
「それには、時節がわるい。そんなことがわからなくてどうする。」と、父親は、不興げにいって、かえって、賢吉は、しかられたのであります。父親は、そのままどうせよともいわずに奥へ入ってしまいました。
「このかきの木を、清ちゃんに返そうか?」
考えれば、賢吉には、そんなことはできませんでした。
「いっそ、捨ててしまおうかしらん。」
そうも思ったが、いきいきとしている木を見ると、まだ命があるものを、みすみす枯らすことはなおさらできませんでした。また、最初から、助けてみようという気があればこそ、もらって帰ったのですから、
「ほんとうに、お父さんのおっしゃったように、時節がわるいのだ。こんなに暑くなったので、すぐ根が乾いて、枯れるかもしれない。」
彼は、前の畑をあちら、こちら、歩きまわって、なるたけ日の当たらない、涼しい、湿気のある場所を探しました。そして、そこへ丁寧に植えてやりました。それから、根本へたくさん水をかけてやりました。けれど、後でいってみたら、いつのまにか、木の頭は、力なくぐんなりと垂れて、ついている葉が、みんなしおれていました。
その明くる日から、彼は、この木を生かすために、毎日水を与えることを怠らなかったのです。そして、とうとう五年めの今日、この木は、花を咲いてから実を結んだのでした。
「いつか、お父さんが枯れるといったかきの木が、三つ実をつけて、大きくなりましたよ。」と、賢吉は、父に向かって、いいました。けれど、お父さんは、もう、あのときのことを覚えていませんでした。賢吉は、なんとなく、さびしい気がしたのです。けれど、神さまだけは、知っていてくださって、
「おおよくした。なんでも真心をつくせば、助からぬものでも助かる。」と、いわれるごとくに、かきの葉は、いま、風に吹かれながらいきいきとして円い実とともに光っていました。