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僕はこれからだ(2)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

ひでりつづきのあとなので、坂道さかみちのぼると、つちのいきれがかおをあおって、むせかえるようにかんじました。一めんしろかわいて、あるくとほこりがのぼりました。伯父おじさんは、いくたびとなくやすみ、ひたいからにじむあせをふきました。
「ちっともかぜがないな、一雨ひとあめくるといいのだが、毎日まいにちりそうになるけれどらない。」と、ひとりごとのように、伯父おじさんは、いいました。
木々きぎが、てらてらとして、太陽たいようねつひかりのためにしおれかけて、ちからなくれているのがられました。そして、せみのこえが、みみにやきつくようにひびいてきました。
「あの、たかい、しろいえ病院びょういんだ。」と、伯父おじさんは、彼方かなたもりあいだえるおおきな建物たてものしました。
二人ふたりは、いつかその病院びょういん病室びょうしつ案内あんないされたのでした。准尉じゅんいは、しろ衣物きもののそでにせきしるしのついたのをて、あし繃帯ほうたいしていました。その二かいから、ガラスまどをとおして、したほうにはるかの町々まちまちまでが、さながら波濤はとうのつづくごとくながめられました。伯父おじさんと、兵隊へいたいさんとはなしているあいだに、ひかりかげって、そらくもったのでした。たちまちこるかぜが、まどきわにあったあおぎりのえだおそうとはおびえたつようにぶるいしました。
「たいへんにくらくなった、なんだか夕立ゆうだちがきそうですね。」と、准尉じゅんいが、いいました。
伯父おじさんは、だまって、とおくの地平線ちへいせんせていました。そのほうにはみだれた黒雲くろくもがものすごくれさがって、町々まちまちが、そのくものすそにつつまれようとしていました。どこかの煙突えんとつから、のぼしろけむりが、かぜ方向ほうこうへかきむしられるように、はかなくちぎれています。ぴかりとひかると、達吉たつきちは、はっとして、
かみなりだ!」とおもった瞬間しゅんかんに、鼓膜こまくやぶれそうなおおきなおとあたまうえでしだして、きゅう大粒おおつぶあめってきました。またひかった! そのたび大空おおぞらが、えるように青白あおじろいほのおでいろどられて、あかるく家屋かおくも、木立こだちも、大地だいちからがってられた。
「これは不気味ぶきみ天候てんこうになったものだ。」
伯父おじさんは、あっけにとられながら、やっとくちをききました。そのとき、達吉たつきちが、准尉じゅんいかおると、戦地せんちへいってきた兵隊へいたいさんだけあって、いささかのおじいろせるどころか、かえって微笑ほほえんでいました。
戦争せんそうのときは、こんなですか?」
達吉たつきちは、ぴかり、ゴロゴロ、ド、ドンという電光でんこう雷鳴らいめいのものすごい光景こうけいに、ちち戦死せんししたときのことを想像そうぞうして、ついおもったことをくちして、きいたのであります。すると、准尉じゅんいは、
「まったく、これとおなじです。すこしもちがいがありません。徐州攻撃じょしゅうこうげきのときなどは、もっとひどかったです。」
「ほ、ほう、こんなですかな。」
「なにしろ、砲弾ほうだん炸裂さくれつすると、たちまちまえが、うみとなりますからね。」
達吉たつきちは、あの、みんなからおくられて、さびしい田舎道いなかみちをいった父親ちちおや姿すがたおもかべました。くるしくなって、あついものがむねうちにこみあげてきました。しかし自分じぶんは、いま兵隊へいたいさんのまえにいるのだとがつくと、かれは、我慢がまんして、じっと、雷鳴らいめいとおざかっていくそらつめていました。そのうちに、くもれて、あおそらがあらわれはじめたのであります。
薪炭屋しんたんや勇蔵ゆうぞうは、いよいよ昼間ひるま役所やくしょ給仕きゅうじつとめて、よるは、勉強べんきょうをするため、学校がっこうへいくことになりました。
ここは、まちちかくにあった、はらっぱです。子供こどもたちが、なつ午後ごごたのしくボールをげたり相撲すもうをとったりしてあそんでいました。ちいさな弟妹ていまいおお勇蔵ゆうぞうは、いえにいれば、あかぼうってりをしなければならなかったのです。だから、勇蔵ゆうぞうは、ボールをげる仲間なかまはいることもできなかったので、ぼんやりってほかの子供こどもたちのげるのを見物けんぶつしていました。
そのそばへ達吉たつきちがやってきて、
ゆうちゃん、ぼくが、わってあかちゃんをおんぶしてやるから、きみはいって、ボールをおやりよ。」と、いって、無理むり勇蔵ゆうぞうからあかぼううばって、かれきなボールげをさせようとしたのでした。
たっちゃん、ありがとう。じゃ、十分間ぷんかんばかりね。」
「もっと、ながくたってかまわない。」
二人ふたりが、はらっぱで、こんなはなしをしていたときでした。ちょうど達吉たつきち伯父おじさんは、まちの一けんいえへいって、こわれたといを修繕しゅうぜんしていました。戸口とぐちあそんでいた、長屋ながや子供こどもたちは、屋根やねうえで、眼鏡めがねをかけて、仕事しごとをしているおじいさんをて、
「おじいさん。」と、したしげにこえをかけました。
「あいよ。」と、伯父おじさんは一人ひとり一人ひとり子供こどもかおわけようとも、また注意ちゅういをしようともしなかったけれど、そのいずれにたいしてもしたしみをかんじて、やさしく返事へんじをせずにはいられなかった。
「おじいさん!」と、子供こどもたちは、いいおともだちをつけたように、口々くちぐちに、何度なんどおな言葉ことばをくりかえして、熱心ねっしん仕事しごとをしているおじいさんの注意ちゅういをひこうとしたのであります。
達吉たつきち伯父おじさんは、あたらしくつくってきた、ぴかぴかひかるブリキのといをのきしたててみて、雨水あまみずながれる勾配こうばいはかっていました。そのうち、不覚ふかくにも、くされていたひさしのはしった刹那せつなであります。垂木たるきは、年寄としよりのおもみさえささえかねたとみえて、メリメリというおととともに、伯父おじさんのからだ地上ちじょうっさかさまに墜落ついらくしたのでした。
子供こどもたちは、びっくりしてをみはったが、つぎにおそろしさのあまり、悲鳴ひめいをあげて、
「たいへんだ!」と、さけびました。
長屋ながやじゅうのものが、総出そうでとなって、このどく老職人ろうしょくにん周囲しゅういあつまりました。
はやく、いえらさなければ。」
「それより、さき医者いしゃへつれていくのだ。」
「おじいさん!」
「おじいさん、だいじょうぶか。」
一人ひとりが、こしながら、みみもとへくちをつけてんでも返事へんじがなかったので、みんなの顔色かおいろさおになった。しかし、しばらくすると、身動みうごきをしたので、んでいないことがわかったのです。
このはなしが、たちまち、くちからくちつたわって、あたりのさわぎになると、はらっぱにあそんでいた子供こどもたちのみみにもはいったのです。勇蔵ゆうぞうわってあかぼうりをしながら、ボールをていた達吉たつきちみみへも、一人ひとり子供こどもんできて、伯父おじ災難さいなんらせました。
「ほんとう?」と、達吉たつきちは、寝耳ねみみみずおもいで、あかぼうったまますと、脊中せなかは、のつくようにした。それから、十ぷんとたたぬうちに、勇蔵ゆうぞうが、リヤカーに伯父おじさんをせてき、近所きんじょひとたちがくるま左右さゆうしたがい、まちなか両断りょうだんするひろ道路どうろをすこしへだてた、ほねつぎ医者いしゃれていきました。もとより、達吉たつきちも、いっしょについていきました。
電柱でんちゅうに、「ほねつぎもみ療治りょうじ」と看板かんばんのかかっているところから、路次ろじがると、たりに表側おもてがわ西洋造せいようづくりにした医院いいんがあります。ぐちにぶらさげてあった金網あなあみのかごのなかに、せきせいいんこがってあって、きゅうにそうぞうしくなったので、とりはびっくりしたのか、をまるくしながら、甲高かんだかこえでキイー、キイーといって、おくほうぎをするごとくきつづけました。
しかしながら、伯父おじさんは、ちどころがわるかったので、ついに五、六にちめにくなったのであります。
孤児こじとなった達吉たつきちに、こうして、また不幸ふこうがみまったのでした。かれは、伯父おじさんがんでから、あとのこった伯母おばさんと、しばらく途方とほうれていました。勇蔵ゆうぞうも、近所きんじょひとたちも、同情どうじょうをしてくれたけれど、きるみちは、畢竟ひっきょう自分じぶんはたらくよりもほかにないということをかれ自覚じかくしたのです。そのとき、伯父おじさんのなかのよいともだちであったペンキ親方おやかたたずねてきて、
りなくてこまっているのだ。おれのところへきてはたらいてくれないか。」と、いいました。
達吉たつきちはすでにはたらくと決心けっしんしたからには、どこだってかまわなかった。かれは、すぐいくことにしたのです。ペンキのはいったかんをぶらさげて、たか屋根やねのぼるのは容易よういなことではありませんでした。びくびくすると、かえって両脚りょうあしがふるえました。
平気へいきで、どんなところでも、鼻唄はなうたをうたってあるけるようにならんければ、一にんまえとはいえない。」と、親方おやかたは、わらいました。
「そうだ、人間にんげんのできることで、自分じぶんにできぬというはずはない。」と、ぎしりをして、たとえ危険きけん場所ばしょへでも、親方おやかたのぼるところへは、自分じぶんのぼっていったのでした。

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11/18 13:26