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星の子(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334
 
せんだってったゆきは、まだまちなかにもえずに、そこここにのこっていました。彼女かのじょよるになるのをっていました。そのは、いつになくそらきよらかにれて、あおくさえたうちにほしはなのごとくきれいにみだれていました。その一つ一つことなったいろひかりはなって、かがやいていたのであります。彼女かのじょは、さむかぜなかあるいて、まち西にしのはずれにいたりました。そこには、おおきなかわおとをたててながれていました。あたりは、一めんけむるように青白あおじろつきひかりにさらされています。このかわのふちは、一たい貧民窟ひんみんくつんでいて、いろいろの工場こうじょうがありました。どの工場こうじょうまどあかくなって、そのなかからは機械きかいおとなくこえてきました。そして建物たてものいただきにそびえたった煙突えんとつからは、よるあおそらに、毒々どくどくしいにごったけむりしているのでありました。
彼女かのじょは、ある工場こうじょうまえでは、おおくの女工じょこうはたらいているのだとおもいました。また、鉄槌てっついひびいてくる工場こうじょうては、おおくのおとこ労働者ろうどうしゃはたらいているのだとおもいました。その人々ひとびとは、みんな、このあたりのみすぼらしいいえんでいるのだとおもったときに、彼女かのじょは、自分じぶんたちはどうしてここにまれてこずに、金持かねもちのいえまれてきたか、しあわせといえば、そうであるが、そのことが不思議ふしぎにもおもわれたのでありました。
ここをはなれて、だんだんさびしい野原のはらにさしかかるとゆきふかくなりました。手足てあしさむさにこごえて、ことにあし指先ゆびさきは、れてちそうに、いたみをかんじたのであります。
どこをましても、あたりは、灰色はいいろゆきにおおわれていました。そして、あの天国てんごくこえるであろうような、よい音色ねいろも、またかがやかしいかりもさしていませんでした。彼女かのじょは、せっかく子供こどもにあえるとおもって、苦痛くつうしのんであるいてきたのでした。
彼女かのじょは、のないけむりしているのでありました。
彼女かのじょは、ある工場こうじょうまえでは、おおくの女工じょこうはたらいているのだとおもいました。また、鉄槌てっついひびいてくる工場こうじょうては、おおくのおとこ労働者ろうどうしゃはたらいているのだとおもいました。その人々ひとびとは、みんな、このあたりのみすぼらしいいえんでいるのだとおもったときに、彼女かのじょは、自分じぶんたちはどうしてここにまれてこずに、金持かねもちのいえまれてきたか、しあわせといえば、そうであるが、そのことが不思議ふしぎにもおもわれたのでありました。
ここをはなれて、だんだんさびしい野原のはらにさしかかるとゆきふかくなりました。手足てあしさむさにこごえて、ことにあし指先ゆびさきは、れてちそうに、いたみをかんじたのであります。
どこをましても、あたりは、灰色はいいろゆきにおおわれていました。そして、あの天国てんごくこえるであろうような、よい音色ねいろも、またかがやかしいかりもさしていませんでした。彼女かのじょは、せっかく子供こどもにあえるとおもって、苦痛くつうしのんであるいてきたのでした。
彼女かのじょは、のないはやしなかはいってゆきました。そこにもあかるいほどほしひかりはさしていました。
「どこに、わたしのかわいい子供こどもがいるだろう。」
彼女かのじょは、こうおもって、灰色はいいろ世界せかいをさがしていました。
このとき、すこしへだたったところに、くろ人影ひとかげひとのくるのをっているようにっていました。彼女かのじょは、そのほうあるいてゆきました。すると、かみみだして、やせたおんな子供こどもいてっていました。そのおんないていました。彼女かのじょちかづくと、みすぼらしいふうをしたおんなは、
「どうかたすけてください。」といいました。
彼女かのじょは、もっとちかづいて、よくようすをますと、この工場町こうじょうまちんでいる貧乏びんぼうわか女房にょうぼうでありました。
「おまえさんは、こんなところにって、なにをしているのですか?」と、彼女かのじょはたずねました。
すると、やせたまずしげなわかおんなは、
わたしたちは、この子供こどもやしなってゆくことができません。それで、だれも、もらってはくれませんから、かわいそうですけれど、ここへてにやってきたのです。けれど、やはりてられないのでもらってくださるひとのくるのをっていました。」といいました。
彼女かのじょは、これをくとびっくりしました。
「まあ、こんなゆきうえへ、子供こどもてるなんですか。」といって、やせたおんなすえました。
やせたおんなきながら、
おくさま、わたしたちは、この子供こどもがあるばかりに、手足てあしまといになって、どんなにこまっていますか、どうかお慈悲じひをもって、この子供こどもそだててくださいませんか。」とたのみました。
金持かねもちのつまは、こころなかで、不思議ふしぎなことがあればあるものだとおもいました。
「まあ、どんな子供こどもですか、わたしに、せてください。」といいました。そして、ほしかりにらして、やせたおんなに、いだかれている子供こどもかおをのぞきました。ほしひかりは、下界げかいをおおうたゆきおもて反射はんしゃして、子供こどもかおがかすかにわかったのであります。けれど、その子供こどもは、彼女かのじょさがしている自分じぶんんだ子供こどもではありませんでした。
「この子供こどもは、わたしんだ子供こどもじゃない。」と、彼女かのじょはいいました。
やせたおんなは、しくしくといていました。そのようすは、いかにもあわれにられました。
おくさま、どうかこの子供こどもそだててくださいませんか。そうしてくだされたら、わたしどもは、どんなにたすかりましょう。」といいました。
金持かねもちのつまは、わたしがこれほどまでにせつないおもいをして、かみさまにねがっているのも、みんなんだ自分じぶん子供こどもがかわいいからのことだ。自分じぶんんだ子供こどもが、永久えいきゅうかえってこないものなら、なんで、らずのひと子供こども苦労くろうしてそだてることがあろう? わたしは、あくまで、わたしんだ子供こどもかみさまからかえしてもらわなければならぬとかんがえました。
わたしは、いま自分じぶん子供こどもさがしているのです。それがつかるまでは、らないひと子供こどもをもらうことはできません。」と、彼女かのじょことわりました。
やせたおんなは、絶望ぜつぼうして、ためいきをついていました。
おくさま、子供こどもはみんなかわいいものでございます。しかたがありません。わたしは、またこれから、この子供こどもそだててくださるひとさがさなければなりません。」といって、やせたおんなはしおしおと、彼女かのじょまえはなれてゆきうえをあちらにあるいてゆきました。
彼女かのじょは、このとき、おんなのいったことをよくかんがえてみました。そして、だんだんとおざかってゆくあわれなおんな姿すがた見送みおくりながら、もう一、あの子供こどもかおをよくながめて、どこかんだ自分じぶん子供こどもかおつきにているところがあったら、もらってそだてようかとおもいました。
しかし、こうおもったときは、もうおそかったのであります。もはや、どこをさがしても、やせたおんな姿すがたえませんでした。
ゆきうえを、そらほしひかりが、さむそうに、かすかにらしていました。彼女かのじょは、さむにしみるかぜにさらされながら、なお、んでしまった子供こどもさがしてあるいていました。
そのおそくなってから、彼女かのじょつかれて、むなしくまちほうかえってゆきました。
この二人ふたり夫婦ふうふは、それからのちながあいだ子供こどもというものがなく、さびしい生涯しょうがいおくったのであります。

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11/18 13:26