町のお姫さま
小川未明
昔、あるところに、さびしいところの大好きなお姫さまがありました。どんなにさびしいところでもいいから人の住んでいない、さびしいところがあったら、そこへいって住みたいといわれました。
お供のものは、お姫さまのお言葉だからしかたがありません。人のだれも住んでいない、山の中にでも、お姫さまのゆかれるところへは、ついていかなければなりません。
人里を遠く離れた山の中へ、いよいよお姫さまは移ることになりました。そして、お供のものもついてゆきました。
お姫さまの、歌をうたわれる声はたいへんに、よいお声でありました。また、たいへんに鳴り物をならすことがお上手でありました。琴や、笛や、笙を鳴らすことの名人でありました。だから平常、歌をおうたいになり、鳴り物を鳴らしておいでなさるときは、けっして、さびしいということはなかったのであります。
けれど、お供のものは、寂しい山の中に入って、毎日、つくねんとしていて、退屈でなりませんでした。そこにきました当座は、外に出て、山や、渓の景色をながめて珍しく思いましたが、じきに、同じ景色に飽きてしまいました。また、毎日、お姫さまのうたいなさる歌や、お鳴らしになる鳴り物の音にも飽きてしまった。それらを聴いても、けっして昔のように感心しないばかりか、またかというふうに、かえって、退屈を感じさせたのであります。
お姫さまは、この世の中に、自分ほど、よい声のものはないと思っていられました。また、自分ほど音楽の名人はないと考えていられました。そして、そう思って窓ぎわにすわって、山に出る月をながめながら、よい声で歌をうたい、琴を鳴らしていられますと、四辺は、しんとしてすべての草木までが、耳を澄まして、このよい音色に聞きとれているごとく思われました。
このとき、ふと、お姫さまはおうたいなさる声を止め、お鳴らしなさる琴の手を控えて、ずっと遠くの方に、耳をお澄ましなされました。すると、それは、自分よりも、もっとよい声で、歌をうたい、もっと上手に琴を鳴らしているものがあるのでした。
「はて、この山の中にだれが、歌をうたい、琴を鳴らしているのだろう。」と怪しまれました。そして、このことをお供のものにおたずねなされますと、
「いえ、だれもいるはずがございません。また、私どもの耳には、なにも聞こえません。ただ、聞こえますものは、松風の音ばかりでございます。」とお答え申しあげました。
「いえ、そうじゃない。だれか、きっとわたしと腕をくらべるつもりで、あんなよい声で歌をうたい、琴を鳴らしているにちがいない。」と、お姫さまは申されました。
お供のものは、不思議に思って、耳を澄ませますと、やはり、松風の音が遠くに聞こえるばかりでありました。
夜が明けて、太陽が上りますと、小鳥が窓のそば近くきて、よい声でさえずりました。お姫さまは、まゆをおひそめになって、
「ああ、やかましくてしようがない。もっとどこかさびしいところへいって、住まわなければならない。」と申されました。
お姫さまは、山はやかましくていけないから、今度は、だれも住んでいない海のほとりへいったら、きっといいだろうと思われて、荒海のほとりへお移りになりました。
お供のものは、まだいったばかりの二、三日は、気が変わってよろしゅうごさいましたけれど、じきにさびしくなってたまらなくなりました。お姫さまは、やはり、歌をうたい、楽器をお鳴らしになりました。すると、ある夜、海の上に、ふりまいたような星影をごらんなされて、
「ああ、やかましくてしようがない。ああ、毎晩、星が歌をうたったり、鳴り物を鳴らしているのでは、すこしもわたしは、自分の歌や、音楽に身が入らない。どうして、ああよい声が星には出るのだろう。」と申されました。
お供のものは、私どもには、ただ、さびしい、さびしい波の音しか聞こえません、と申しあげました。
姫さまは、もっとさびしいところがないものかと、お考えなされました。お供のものは、もうこのうえさびしいところへいったら、自分らはどうなることだろうと思いました。そのとき、お供のものの、二人の中の一人は、
「お姫さま、どうぞなんにもいわずに、私どもについておいでくださいまし。」と申しあげました。
お供のものは、お姫さまをにぎやかな街のまん中にお連れもうしました。お姫さまは、はじめはびっくりなさいましたけれど、もはや、そこでは、自分の歌のまねをするものもなければ、また、もっとよい声を出して、お姫さまと競争をして、お姫さまを苦しめるものはありませんでした。
お姫さまは、結局、気楽に思われて自分がいちばん歌がうまく、音楽が上手だと心に誇られながら、その町にお住みなされたということであります。