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町の真理(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335
 

正に芸術の試煉期

小川未明


今度の震災の災禍が、経済上にまた政治上に、影響し、従って複雑な関係を個人生活の上にも生じた点が少くない。その中に於て、文学業者の生活は、元来が、一面社会的であると共に、一面は、全く個人的のものであったと言うことができる。
今日、私は、独り芸術とは限らないが、まず芸術に、それが危機にあると言い得るのは、その作者と立場との関係が、極めてデリケートに置かれているからである。
要するに、作者の人格をおいてこの問題は他にないには違いない。けれど、その個人的であると社会的であるとは、一にその人の素質にもより、傾向にもあることであって、これによって、すぐに人格について批評されないものもあるが、また一面から言えばその立場を明かにすることによってます/\その作家の素質と、作品の価値を定むることにもなるのである。
芸術の目的が人間の理想の追求であり、そして、この芸術的感激が現実に対する不充、反抗に他ならんとしたら、そこに、妥協されない何ものかゞなくてはならぬ。
社会的であること、言い換えれば人生的であること、個人的であることゝは、その目的に対する信念の相違であり、芸術をいかに見るかという、その作家の態度であり更に進めて言えば私は、これを良心の如何に帰するのである。
全く社会的であって、個人的であらぬものはないと言える如く、いかなる個人的であっても、全く社会的の要素のふくまれていないものはないとも言えるだろう。それ程、文筆に従事する者は、常にその時の調子一つで、その何れにもあり得るのだ。世間に妥協するも究極は功利に終始するも、蓋し表現の上では、どんなことも書けると言うのである。
ある者は、世間を詐わり、また自己をも詐わるのだ。真剣であるならば、その態度に対して、第三者は、いさゝかの疑念をも挾むことができないだろう。即ち、作家の態度が第一義に即しているならば、――独り作家に限らない、すべての思想家がまた、――それは、粛殺な気にみち、理想を追求し、信念に燃えているのである。この種のものに対して、私は、芸術が人生的であり真に社会的意義を有することを否定できない。
狡猾なる徒は、巧に良心をも詐わるであろう。そして、第一義の献身的、教化的精神に立つことを回避する。それには、困苦と闘争が予想されるからだ。芸術の権威は、彼等によって、すでに軟化される。そして、表現されたものは芸術本来の姿ではなくして、畢竟自己の趣味化された技巧の芸術となって、第一義の精神からは、変形された玩賞的芸術に他ならないのだ。
詩人や、芸術家が、真に、真理の愛求者である、美の讃美者であるなら、そうあることによって、はじめて、その存在が、この社会に、意義があるのでなかろうか。真理の真相は、死を見ることかも知れないが、科学者が真理の前に、決して妥協しないが如く、宗教家が人間愛のためには、何ものをも怖れてはならない如く、斯くして、また芸術家の存在は、何人によっても、無視することができないものとなるのである。
しかし、この信念と努力とを、何人にも要求して、しかも容易に得られなかった。少くとも既往に於てそうであった。文芸が、職業化し、作品が、いよ/\商品化するに至って本来の目的から、芸術はいよ/\遠ざからんとしていたのは事実であった。
ことに、このたびの震災は、さらに文筆業者の生活に分裂を来たし脅威することゝなった。出版圏内の限られたことと、この際、衆俗の意嚮いこうと趣味を無視することのできない資本主義から、ます/\作品の商品化をよぎなくするものがあるのを考えるからである。
尚お、他方には思想の性質上表現の自由を有しないものがある。是等のことは、人間生活を思念することから、即ち、社会のために民衆のために、我等理想のためにということから、はなれて自己満足のために、愛欲の生活のために若くは、自己韜晦とうかいのために、筆を採るというように、作家の意気を失墜するものがあると考えられる。たしかに、いまの場合がそれではなかろうか?
私は、以上の意味からして、一般に趣味が低下しないかと思う。そして、一方には、やるせなき思いを遣るために、デカダンの色彩濃厚なる芸術が現われるような気さえする。
けれど、決して、それのみでない。勇敢に清新な人間的の理想に燃える芸術が、百難を排して尚お興起するのを否むことができない。また、そうなくてはならない。
人間が生存する限り、生長が、社会のすべてに期待される。けれど、今日は、芸術――広く言えば文壇が、特に、私的生活と複雑な関係を有するだけに、単純に批判されないものがある。

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11/18 11:35