下
日曜の
午前でした。
空は、
曇っていました。どうしたことか、このごろは、
晴れたり、
降ったりして、おかしな
天気がつづくのでした。
光一は、
友だちが
遊んでいないかと
思って、
赤土の
原っぱへくると、あちらに
黒く
人が
集まって、なにか
見ています。ちょうどえびが
落ちていたあたりでした。
「なにを
見ているのだろうか。」と、
彼は、
走っていきました。そこには、
自転車を
止めた
職人ふうの
男もいれば、
小僧さんもいました。また
小さな
女の
子もいました。けれど、
自分の
知った
顔は、
一人もなかったのです。
光一は、なんだかさびしい
気がしたが、みんなの
中へ
入ってみると、おじいさんが
草の
上へ
店を
開いていました。一つのバケツには、かにや、かめの
子が
入っていました。のぞくと、むずむずと
重なり
合ったり、ぶつぶつとあわを
吹いています。
他の一つのバケツには、それこそ
奇妙なものが
入っていました。
真っ
黒い
色をして、かぶとむしくらいで、
頭が
大きく、
尾の
短い、
魚に
似て
魚でないものでした。この
奇妙なものは、バケツの
中で、たがいに
押しくらまんじゅうをして、バケツのまわりに
頭をつけています。
「おじいさん、こんな
大きなおたまがあるものかね?」と、
職人ふうの
男がきいていました。
「こいつのすんでいる
池は、そうたくさんはありません。これは
遠方から
送られてきたんですよ。
夜になると
鳴きます。」
「どういって?」
「ボーオ、ボーオといって、
鳴きます。」と、おじいさんが
答えました。
「
鳴くって、ボーオ、ボーオと、こいつがかい?」
今度は、
鳥打帽をかぶった
小僧さんが、きいて、たまげていました。
「まるで、
自動車の
笛みたいだな。」と、
職人ふうの
男は、
笑いました。
「なに、
薬品でも
飲まして、おたまを
大きくしたんだろう。」と、
小僧さんが、おじいさんのいったことを
真に
受けなかったようです。
小さな
女の
子は、
大人たちの
間から、おかっぱ
頭を
出して、バケツを
見ながら、
「これ、なまずの
子でないこと。」といっていました。
「いくら、なまずの
頭が
大きいって、こんな
大きいのはない。やはり、これはおたまだ。おたまにちがいねえが、おじいさん、
食用がえるは
鳴くというが、これは、その
子でないのかね。」と、
職人ふうの
男は、いったのでした。
おじいさんは、きせるに
煙草をつめて、マッチで
火をつけて
吸いながら、それには、
答えないで、
「なにしろ
珍しいもんでさあ。
坊ちゃんたちは、かにや、かめの
子には、
飽きましてね。」と、おじいさんはいったのです。
光一は、
早くお
家へ
帰って、お
母さんにお
金をもらってこようと
思いました。
「このおたまだけは、どうしても
買わなければならないものだ。」と、
心の
中で、
叫びました。おじいさんは、一ぴき五
銭で
売るのだけれど、きょうは
特別に三
銭に
負けておくといいました。
彼は、このあいだお
父さんから、お
小使いをもらったのを
大事にしておけばよかったと
後悔したのです。バッチンをしたり、
花火を
買ったりして、みんな
使ってしまったのでした。どういって、お
母さんに、ねだったらいいだろうかと
考えながら、
飛んで
帰りました。お
母さんの
顔を
見ると、
「ねえ、お
母さん、
鳴くおたまってありますか?」
いきなり
光一は、
質問を
発しました。ふいに、こんな
質問をされたので、お
母さんは、
「さあ、
鳴くおたまじゃくしなんて、まだ、きいたことがありませんね。」と、つい
話につりこまれて、なんでこんなことをいったのか
知らずに、おっしゃいました。
「それが、お
母さんあるんですよ。
日が
暮れると、ボーオ、ボーオって、
鳴くというのです。」
光一は、
自分も
驚いたといわぬばかりに、
目をまるくして、お
母さんの
顔を
見ました。
「なんか、きっとほかのものでしょう、かじかではないんですか。」
「
色が
真っ
黒で、
頭が
大きくて、
尾がちょっぴりついているんです。それは、かわいいのですよ。」
光一は、いいました。
「まあ、
気味の
悪いこと、おたまじゃくしのお
化けみたいなのね。」と、お
母さんは、かわいいどころか、ぞっとするように、おっしゃいました。
「一ぴき三
銭に
負けておくって、ねえ、
買ってよ。」
光一は、お
母さんが
珍しいといってくださらなかったので、おおいに
当てがはずれたのです。
「どこへ、そんなものを
売りにきたんですか、
家へ
持ってこられると
困りますね。」
「ちっともこわくなんかないんだよ。ただ、
鳴くおたまなんだもの。」
彼は、
無理にも、お
母さんに
承知していただいて、お
金をもらわなければなりませんでした。それで、
家の
内をお
母さんの
後について
歩きました。そして、やっと三びき
買うほどのお
金をいただいたとき、
彼は、どんなにうれしかったかしれない。だが、
運が
悪く
雨が
降り
出してきました。
「
困ったなあ、おじいさんは、どっかへいってしまうだろうな。」と、
光一は、
気をもんでいたのであります。
「この
雨の
中を、いつまで
原っぱにいられるものですか。」と、お
母さんは、おかしそうにおっしゃいましたが、あまり
光一が
落胆するので、
後でかわいそうになって、
「じきに、この
雨は
上がりますよ。」と、やさしく、いたわるように、いわれました。しかし、お
昼のご
飯を
食べてしまっても、まだ
雨はやみそうもありませんでした。もうおじいさんは、とっくに、どこへかいってしまったものとあきらめなければならなかったのです。
晩方になって、やっと
雨が
晴れて、
空が
明るくなりました。ちょうど、その
時分でした。
「おたまがきた!」と
叫んで、どこかの
子が、
家の
前を
走ってゆきました。
光一は、はっとして、
耳を
澄ましました。
「あの、おじいさんがきたのだ!」
彼は、すぐに
家から
飛び
出しました。そして、
子供の
走っていった
方角を
見ましたが、なんらそれらしい
人影もありません。あちらの
煙突のいただきに、
青空が
出て、その
下のぬれて
光る
道を
人々が、いきいきとした
顔つきをして
往くのでした。
「おたまは、どこへきたんだろうな。」と、
光一はしばらく
往来に
立っていました。そこへ、お
湯から
上がって、
顔へ
白粉を
真っ
白につけたかね
子さんが、
長いたもとの
着物をひらひらさして、
横道から、
出てきました。
「
光一さん、
晩にチンドン
屋の
行列があってよ。」と、
知らせました。
「どこに?」
「
青物市場の
前に、もうじきはじまるわ。」
かね
子さんは、それを
見にいくらしいのです。
光一は、
市場の
方を
見ると、チン、チン、ジャン、ジャン、という
音がきこえてくるような
気がしました。おたまのことは、
忘れられないけれど、つい、
自分もかね
子さんといっしょにチンドン
屋の
行列を
見る
気になって、
道のくぼみの
水たまりを
避けながら、
二人は、
町の
方へ
向かって
歩いたのでした。
くる! くる! くる! いろんなようすをしたチンドン
屋が……
旗を
立て、
黒い
山高帽をかぶってくるもの、
兵隊帽子にゴム
長をはいてくるもの、
赤い
頭巾をかぶって、
行燈をしょってくるもの、
燕尾服を
着て、
鉦と
太鼓をたたいてくるもの……。
先のが、かぶとむし、つぎは、さいかち、そのつぎは、えび、そのつぎが、ボーオ、ボーオと
鳴くおたま、……
光一の
目には、みんな
虫になって
見えたのであります。
もう、
両側の
店には、
燈火がついて、
大空は、
紫水晶のように
暗くなっていました。
光一は、かね
子さんに、
昼間見たおたまの
話をすると、
「そんな、おたまなんかないわ。」と、かね
子さんは、すげなくいいました。
「あの、おじいさんから、おたまを
買っていたらなあ。」と、
光一は、
残念でなりません。
「かね
子さんさえ
信じないのだから、きょうのことを
勇ちゃんに
話したら、
勇ちゃんも、きっと、そんなおたまはないというだろう。そして、
光ちゃんは、またみょうな
夢を
見たといって
笑うだろう……。」
そう
考えると、
光一は、
頼りなく、さびしかったのでした。そして、この
世の
中には、
自分にだけ
信じられて、
他の
人には、どうしてもわからない、
不思議なことがあるものだということを、
彼は、しみじみと
感じたのでありました。