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緑色の時計_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334
 


また、あるところに、としわかおとこがありましたが、毎晩まいばんのように、海岸かいがんいわうえへきては、うみなかからこる、かすかなふえいたのでありました。うみなかには、人魚にんぎょというものがすんでいるということだが、そのおとこは、このふえ人魚にんぎょくのでないかとさえおもったのです。
「なんという、いいふえだろう。」と、かれは、けるのもらずに、そのふえきとれていました。つきのいいばんには、そのふえちかくにこえてきました。くもったには、そのふえとおくになってかれました。そして、あらしのばんには、まったくこえないことすらもあったのです。
あるかれは、いつものごとくいわうえにたたずんでみみかたむけていました。あかるいよい月夜つきよなのにもかかわらず、ふえがきこえてきませんでした。どうしたのだろうと、かれおもっていました。そして、ただこえるものは、せるなみのひびきだけであって、ふえはきこえてきませんでした。おそらく、それは永久えいきゅうかれないもののようにすら、なんとなくおもわれたのであります。
このとき、すななかにうずもれているひかったものに、かれはとまりました。うみなかから、なみがそこにげたものでした。かれは、それがなんだろうとおもってひろげると、金色きんいろのかぎでありました。このかぎがはまがったから、ふえのやんだことを不思議ふしぎともおもいました。もしや、人魚にんぎょがこのかぎを自分じぶんさずけてくれて、なにかまだこの発見はっけんせられない、かくされたはこひらかせるためではないかとかんがえました。かれは、そのかぎをってうちかえりました。
にんおとこは、べつべつにかぎをって、このなかかくされているたからはこさがしてあるいたのであります。このうわさは、いつしか人々ひとびとくちはしにものぼりました。そして、三にんおとこが、ついにあるとき、あるところでちあって、自分じぶんっているおのおののかぎをしてみると、三つはまったくおなじかぎであることをりました。
「どうして、こうおなじものが三つあるのだろうか。」と、一人ひとり青年せいねんあやしみました。
「きっと、三つのかぎが、三つともつかるものでない。そのなかの一つが、このなかのこればいいと、はこぬしおもったにちがいない。」と、若者わかものこたえました。
「いや、三つのかぎのなかで、だれかそのかぎをひろって、いちばんはやはこけたものに、そのはこなかたからをやるということではなかろうか。」と、としわかおとこがいいました。
「きっと、そのはこなかには、たからがはいっているにちがいない。」
わたしも、そうおもう。」
「あるいは、わたしたちのおもっているような宝物たからものではないかもしれない。」
にんおとこは、おもおもいのことをいいました。しかし、そのたからのはいっているはこは、どこにあるものか、まったく見当けんとうすらつかなかったのであります。
わたしは、このかぎをむかし城跡しろあとからつけしたのだから、むかしのものにちがいないとおもう。」と、一人ひとりがいいますと、
「しかし、わたしは、わしのあしむすびつけられているのをったのだから、そんなにむかしのものであるはずがなかろう。」と、一人ひとりはいいました。
にんは、このかぎを、みやこってて、ある学者がくしゃせて判断はんだんをしてもらうことにしたのであります。
学者がくしゃは、子細しさいてこういいました。
「このかぎのかかる黄金こがねはこは、幾年前いくねんまえつちなかからされて、いま博物館はくぶつかんおさめてあります。しかし、わたしかんがえでは、そのなかになにもはいっているようすがなかった。とにかく、これから博物館はくぶつかんへごいっしょにまいりまして調しらべてみましょう。」
にんは、学者がくしゃ言葉ことばいて失望しつぼうしました。けれど、あるいは、このはこなかに、なにかはいっていはしないかという一筋ひとすじ希望きぼうちながら、かけてゆきました。

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