白鳥は、その
目に
見えない
細い
糸の、
切れては、また、つづくような、
悲しい
音色がどこから
聞こえてくるかと
翼をゆるやかに
刻んで、しばらくは
夜の
空をまわっていましたが、やがて、
広場から
起こることを
知りました。
白鳥は、
注意深くその
広場に
降りたのであります。そして、そこに、
一人の
少年が
草の
上にすわって、
笛を
吹いているのを
見ました。
白鳥は、
少年に
近づきました。
「どうして、こんなところに、たった
一人で
笛を
吹いているのですか。」とたずねました。
盲目の
少年は、やさしい
声で、だれかこうしんせつに
聞いてくれましたので、
少年は、
姉が
自分をここに
置いて、どこへかいってしまったことをありのままに
告げました。
「ほんとうに、かわいそうに。わたしが、
姉さんにかわってめんどうを
見てあげます。わたしは、
子供をなくした
白鳥です。これから、あちらの
遠い
国へ
帰ろうと
思っています。
二人は、
南の
国へいって、
波の
穏やかな
岸辺で
笛を
吹いたり、
踊ったりして
送りましょう。わたしは、いまあなたをわたしとおなじ
白い
鳥の
姿にしてあげます。
海を
越え、
山を
越えてゆくのですから……。」と、
白鳥はいいました。
ついに、
盲目の
少年は、
白い
鳥となりました。
夜のうちに、二
羽の
白鳥は、このさびしい、
暗い
広場から
飛びたって、ほんのりと
明るく、
空を
染めた
港を
見下ろしながら、その
上を
過ぎて、
遠くいずこへとなく、
消え
去ってしまったのであります。
後には、
空に
星が
輝いていました。
大地は
黒く
湿って、
草木は
音なく
眠っていました。
姉は、それから
程経て、
大尽の
屋敷からもどってきました。
思ったより、たいへんに
時間がたったので、
弟はどうしたろうと
心配してきたのであります。けれど、そこには、
弟の
姿が
見えませんでした。どこを
探ねても
見えませんでした。
星の
光が、かすかに
地の
上を
照らしています。そこには、いままで
目に
入らなかった
月見草が、かわいらしい
花を
開いていました。そして、これもいままで
見なかった、
姉の
青い
着物のえりに、
宝石が
星の
光に
射られて
輝いていました。
明くる
日から、
姉は、
狂人のようになって、すはだしで
港の
町々を
歩いて、
弟を
探しました。
月の
光が、しっとりと
絹糸のように、
空の
下の
港の
町々の
屋根を
照らしています。そこの、
果物屋には、
店頭に、
遠くの
島から
船に
積んで
送られてきた、
果物がならんでいました。それらの
果物の
上にも、
月の
光が
落ちるときに、
果物は、はかない
香りをたてていました。また、
酒場では、いろいろの
人々が
集まって、
唄をうたったり、
酒を
飲んだりして
笑っていました。その
店頭のガラス
戸にも、
月の
光はさしています。また、
港にとまっている
船の
旗の
揺れている、ほばしらの
上にも
月の
光は
当たっています。
波は、
昔からの、
物憂い
調子で、
浜に
寄せては
返していました。
姉は、あてもなくそれらの
景色をながめ、
悲しみに
沈みながら、
弟をさがしていました。けれど、
弟は、どこへいったのかわかりませんでした。
一
日、この
港に
外国から一そうの
船が
入ってきました。やがて、いろいろなふうをした
人々が、
港の
陸へうれしそうに
上がってきました。なんでも、
南の
方からきたので、
人々の
姿は
軽やかに、
顔は
日に
焼けて、
手には、つるで
編んだかごをぶらさげていました。それらの
群れの
中に、
見なれない、
小人のように
脊の
低い、
黒んぼが
一人混じっていました。
黒んぼは、
日当たりの
途を
歩いて、あたりを
物珍しそうに、きょろきょろとながめながらやってきますと、ふと、
町角のところで、うす
青い
着物をきた
娘に
出あいました。
娘は
黒んぼを、
物珍しそうに
振り
返りますと、
黒んぼは
立ち
止まって、
不思議そうに、
娘の
顔を
見つめていましたが、やがて
近寄ってまいりました。
「あなたは、
南の
島で、
唄をうたっていた
娘さんではありませんか。いつ、こちらにこられたのですか。
私は、あちらの
島をたつ
前の
日に、あなたを、
島で
見ましたはずですが。」と、
黒んぼはいいました。
姉は、
不意に
問いかけられたのでびっくりして、
「いえ、わたしは
南の
島にいたことはありません。それはきっと
人違です。」と
答えました。
「いや、
人違いでない。まったくあなたでした。
水色の
着物をきて、
盲目の
十ばかりになる、
男の
子が
吹く
笛の
調子に
合わせて、
唄をうたって
踊っていたのは、たしかにあなたです。」と、
黒んぼは
疑い
深い
目つきで、
娘をながめながらいいました。
姉は、これを
聞くと、さらにびっくりしました。
「
十ばかりの
男の
子が
笛を
吹いている? そして、その
子供は
盲目なんですか?」
「それは、
島でたいした
評判でした。
娘さんが
美しいので、
島の
王さまが、ある
日金の
輿を
持って
迎えにこられたけれど、
娘は
弟がかわいそうだといって、お
断りしてゆきませんでした。その
島には、
白鳥がたくさんすんでいますが、
二人が
笛を
吹いたり、
踊ったりしている
海岸には、ことにたくさんな
白鳥がいて、
夕暮れ
方の
空に
舞っているときは、それはみごとであります。」と、
黒んぼは
答えて、それなら、やはり、この
娘は
人違いかというような
顔つきをしていました。
「ああ、わたしは、どうしたらいいだろう。」と、
姉は、
自分の
長い
髪を
両手でもんで
悲しみました。
「もう
一人、この
世の
中には、
自分というものがあって、その
自分は、わたしよりも、もっとしんせつな、もっと
善良な
自分なのであろう。その
自分が、
弟を
連れていってしまったのだ。」と、
姉は
胸が
張り
裂けそうになって、
後悔しました。
「その
島というのは、どこなんですか。わたしは、どうかしていってみたい。」と、
姉はいいました。
黒んぼは、このとき、
港の
方を
指さしながら、
「ずっと、
幾千
里となく
遠いところに、
銀色の
海があります。それを
渡って
陸に
上がり、
雪の
白く
光った、
高い
山々が
重なっている、その
山を
越えてゆくので、それは、
容易にゆけるところでない。」と
答えました。
このとき、
夏の
日は
暮れかかって、
海の
上が
彩られ、
空は、
昨日のように
真っ
赤に
燃えて
見られました。