こうして、
草と
石とが
相慰め
合ったのも、
束の
間のことでありました。
草は、とうとう
枯れてしまったのです。
息子は、
草の
枯れたのを、どんなに
悲しんだかしれません。
「そのうちに、なにか、かわりのいい
草を
見つけてきて
植えてさしあげます。」と、
植木屋はいいました。
ある
日のこと、
植木屋は、バルコニーに
上がりました。そして、
枯れた
草の
鉢を
持って
降りてきました。なにか、それに
代わりの
草を
植えようと
思ったからです。
その
後のことでありました。
息子は、
夜床の
中にはいってから、
枯れた
草や、
持ってきた
石のことを
思い
出しました。せめてあの
石なりと
大事にして、
記念にしておこうと
思いました。そして、
夜の
明けるのを
待ってバルコニーに
出てみますと、いつのまにか、そこには
新しい
草の
植わった
鉢が
置いてありました。そして、もとより
枯れた
草も、
石も
影だに
見られませんでした。
「この
草は、どうしたのだ?」といって、
家内のものに
聞きますと、
「
昨日、
植木屋が、あなたのお
留守に
持ってきましたのです。」と
答えました。
息子は、
枯れた
草はしかたがないとしても、
石は、どこへいったろう。
植木屋に
聞いてみようと、さっそく、
植木屋を
呼びにやりました。
「あの、
草の
下にあった、
黒い
石でございますか。つまらない
石だと
思って、
捨ててしまいました。」と、
植木屋は
答えました。
息子は、これを
聞くとたいそう
驚きました。
「あの
石は、
私の
大事な
石だ。どこへ
捨ててしまった?」と
問いました。
すると、
植木屋は、しばらく
考えていましたが、
「たしか、ここからの
帰り
途に、あちらの
広い
空き
地に
捨ててしまいました。」と
答えたのであります。
その
空き
地は、もと
建物があったのですが、いまはなにもなく
草が
茫々として
生えていました。そして、
子供らはその
中に
遊び、
通行する
人たちは、
近道するために、その
空き
地を
横ぎったのであります。
息子は、どんなに、がっかりしたかしれません。どうしても、その
石を
忘れることができませんでした。すると、
黒い
石が、
夜露にしっとりと
湿れて、
広場の
中で、
月の
光に
照らされて
輝いている
夢を
見ました。
ふと
目をさましますと、
外は、ちょうどその
夢に
見たようないい
月夜で、
小さな
窓が
明るく
月光に
照らされていました。
彼は、さっそく、
起き
上がりました。そして、その
広場へ、
石が
落ちていないかと
探しにゆきました。
すっかり
秋の
景色となって、こおろぎが
鳴いていました。うすもやが一
面に
降りて、
建物の
間や、
林の
木の
間や、
広場の
上に
渦巻いているようにも
見られました。
息子は、あたりが、すでに
眠静まった
真夜中ごろ、
一人広場にやってきますと、はたしてさびしい
月の
光が、
草の
葉をば
照らしていました。
けれど、
黒い
石が、どこにあるか、もとより
容易に
見当てることができませんでした。
彼はあちらへゆき、こちらへさまよっていますと、うすもやの
中に、しょんぼりと
立っている
人影を
見いだしました。
「いまごろ、
何人が
立っているのだろう。」と、
怪しみながら、よく
見つめますと、それは、
美しい、
若い
女でありました。
彼は、
好奇心から、つい、そのそばに
近づいてみる
気になりました。
「いまごろ、あなたは、そこになにをしていられますか?」と、
彼はたずねました。
美しい
女は、ぱっちりとした、すずしい
目をこちらに
向けました。そして、
彼を
見ていましたが、にっこりと
笑って、
「わたしは、かんざしの
珠をさがしています。もう
幾十
年も
前のことでありました。わたしは、お
嫁にゆく
前に、ちょうどこのあたりであった
窓から、ある
日の
夕暮れ
方、かんざしの
珠をあやまって
落としますと、それがころげてどこへいったか
見えなくなったのです。それから、わたしは、いくら
探したかしれません。お
母さんからはしかられました。けれど、どうしても、なくした
珠は
見つからなかったのです。わたしは、
一生そのことを
忘れませんでした。
今夜も、また、わたしは、その
珠のことを
思い
出して
探しにきたのです。」と、その
若い
女は、
答えたのであります。
彼は、この
話をきくと、なんとなく
体じゅうが、ぞっとしました。
女の
姿を
見ると、
長い
黒い
髪は
結ばずに、
後ろに
垂れていました。
若い、
美しい
女は、いっしょうけんめいに、
足もとの
草を
分けて、
珠を
探していました。
彼も、また
草を
分けて、なにかそのあたりに
落ちていないかと、
熱心にたずねましたけれど、べつになにも
見あたりませんでした。
「どんな
色の
珠でしたか?」
こういって、
彼は、
顔を
上げて、もう一
度子細に
若い
女を
見ようとしますと、どこにも
女の
影は、
見えなかったのです。
不思議なことがあれば、あるものだと
思って、しばらく
彼は、
茫然として、たたずんでいました。
月は、
西に
傾きました。そして、
思いなしか、
東の
空は
白んで、どこからか、
暁を
告げるに
鶏の
鳴く
声が
聞こえてきました。もやは、いつしか
晴れて、
空は
青みをまして
頭の
上に
垂れかかっていました。