夕雲
小川未明
お庭の垣根のところには、コスモスの花が、白、うす紅色と、いろいろに美しく咲いていました。赤とんぼが、止まったり、飛びたったりしています。お母さんは、たんすのひきだしにしまってあった、浅黄木綿の大きなふろしきを出して、さおにかけ、秋の日に干していられました。ふろしきをひろげると、白く染めぬいた紋が見えました。
「お母さん、大きなふろしきですね。」と、もも子さんは、お縁側で見ていて、いいました。
「もう三十年も前になります。私がお嫁にきたときに、おふとんを包んできたのですよ。昔の木綿ですから、まじりがなくてじょうぶです。こんど、おまえがお嫁にいくときは、これにおふとんを包んであげますよ。」と、お母さんは、おっしゃいました。
もも子さんは、なんだかうれしいような、悲しいような気持ちがして、ぼんやりと日がほこほこと当たる、布をながめていました。
よし子さんや、かず子さんのお母さんは、まだお若くて、髪の色も黒くていらっしゃるのに、うちのお母さんは、どうして、もうこんなに白髪が多いのだろう。かず子さんのお母さんも、染めていらっしゃるときいたけれど。
「お母さん、髪をお染めにならないの。私、お母さんの若くおなりなさるの、うれしいんですもの。」
「ええ、染めたいと思いますが、いつもそんときには、お客さまがあって、汚い頭をしていて困りますから、もも子のお休みの日でもないと染められません。」と、お母さんは、いわれました。
もも子さんは、明日は日曜日だから、お母さんが髪をお染めになればいい、そして、ごいっしょに散歩につれていっていただこうと思いました。
「明日、私、どこへもいかずに、お家にいるわ。」
「じゃ、明日ばかりは、染めましょうね。」
日曜の日には、もも子さんが、きた人のお取り次ぎをしました。そして、午後のことであります。
「おかげで、さっぱりしました。もも子などは、これから大きくなって、世の中というものを知るのですけれど、お母さんのように年をとると、髪は白くなるし、肩は凝るし、目はかすんで、しかたがありません。きょうは、よく家にいてくれました。さあ外へいって遊んでいらっしゃい。」
「お母さん、こんど按摩さんに、もんでもらうといいわ。」
「きましたら、もんでもらいましょうね。」
もも子さんは、外へ出て、お友だちと、お宮の鳥居のところで遊んでいました。そばには大きないちょうの樹があって、このごろ吹く風に、黄色な葉が、さらさらと散って、足もとは一面に敷いたようになっていました。
「こんどの日曜に、もも子さんくりを拾いにいかない。」
「どこかに、くりの木があって。」
「すこし遠いけど、人の住んでいない荒れた屋敷で、大きなくりの木があるの。学校の帰りに、松野さんがつれていってくれたのよ。」
「お化け屋敷でない。」
「ほ、ほ、ほ、そんなものではないわ。」
お友だちとこんな話をしていると、一人のみすぼらしいおばあさんが、鳥居のところに立ち止まって、神社に向かって拝んでいました。片手に長いつえを持っていました。
「あ、按摩さんだわ。」と、もも子さんは、びっくりしました。
「お嬢さん、もう何時ごろですか。」と、盲目のおばあさんは、遊んでいる女の子たちにたずねました。
「そう、何時ごろかしらん、もう三時過ぎたのでない。」
「ちょうど、三時ごろよ。」
「ありがとうございます。」と、おばあさんは、いき過ぎようとしました。急に、もも子さんはお母さんのおっしゃったことを思い出して、
「おばあさん、うちのお母さんをもんであげてちょうだい。」
「はい、はい、ありがとうございます。」
もも子さんは、哀れなおばあさんを自分の家へつれていきました。そして、あとの話は、そのとき、お母さんと、もも子さんが、この按摩さんからきいたものです。
「おばあさん、いくつぐらいから、お目が見えなくなったのですか。」と、お母さんが、おたずねなされたのです。すると、按摩さんは、お母さんの体をもみながら、
「ちょうど、このお嬢さんぐらいの時分です。やはり秋の日のことでした……。
外で、お友だちと遊んでいました。男の子がてんでに竹の棒を持っているのが、林のように、原っぱの空に突っ立っていました。頭の上の夕雲が、絵の具で描いたようにみごとでした。私は、それまであんな美しい夕空を見たことがありません。子供たちは、遊びに夢中になって、家へ帰るのを忘れていました。私は、母親が、町の方へ歩いていく後ろ姿を見たので、みんなから別れて飛んでいきました。母親のたもとにつかまって、橋を渡り、坂道を上がって、お湯屋へまいりました。いつもいく、昔ふうの暗い湯屋でした。近所に旅籠屋があるので、いろいろの人がこの湯へ入りにきました。
このとき、借りた手ぬぐいがいけなかったのか、帰ると目が痛み出しました。そして、とうとう盲目になってしまいました。不思議なことは、いまでもあの最後の日に見た、美しい夕焼け雲の姿が、ありありと目に残っています。」
「まあ怖ろしい。手ぬぐいに毒がついていたのですね。」と、お母さんは、ため息をなさいました。
もも子さんは、またうらさびしい秋の日に、おばあさんからきいたこの話が、いつまでも忘れられないだろうと思いました。