日语学习网
笑わない娘(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3475

 


あるところに、なに不足ふそくなく育そだてられた少女しょうじょがありました。ただ一人ひとりぎりで、両親りょうしんにはほかに子供こどももありませんでしたから、娘むすめは生うまれると大事だいじに育そだてられたのであります。
世間せけんにも知しられるほどの金持かねもちでありましたから、娘むすめはりっぱな家いえに住すみ、食たべ物ものから着きる物ものまで、ほかの子供こどもらには、とうていそのまねのできないほど、しあわせに日ひを送おくることができたのであります。
娘むすめは大おおきくなると、それは美うつくしゅうございました。目めはぱっちりとして、髪かみの毛けは黒くろく長ながく、色いろは白しろくて、この近隣きんりんに、これほど美うつくしい娘むすめはないといわれるほどでありましたから、両親りょうしんの喜よろこびは、たとえようがなかったのであります。
けれど、ここに一つ両親りょうしんの心こころを傷いためることがありました。それは、こんなに美うつくしい娘むすめが、いつも黙だまって、沈しずんでいて、うれしそうな顔かおをして笑わらったことがなかった。
「なぜ、あの子こは笑わらわないだろう。」
「まんざらものをいわないこともないから、おしではないが、いったいどうした子こだろう。」
両親りょうしんは、顔かおを見合みあわせて、うすうす我わが子この身みの上うえについて心配しんぱいしました。
なにしろ、金かねはいくらもありますから、金かねでどうにかなることなら、なんでも買かってやって、娘むすめの快活かいかつにものをいい、楽たのしむ有あり様さまをば見みたいものだと思おもいました。
そこで、町まちへ人ひとをやって、流行りゅうこうの美うつくしい、目めのさめるような華はなやかな着物きものや、また、飾かざりのついた人形にんぎょうなど、なんでも娘むすめの気きに入いりそうなものを、車くるまにたくさん積つんで持もってきて、娘むすめの前まえにひろげてみせました。
娘むすめは、ただ一目ひとめそれを見みたぎりで、べつにほしいともうれしいともいわず、また、笑わらいもしませんでした。両親りょうしんは、娘むすめの心こころを悟さとることができなかった。
「なにか、心こころから娘むすめを喜よろこばせるような美うつくしいものはないものか。いくら高たかくても金かねをば惜おしまない。」と、両親りょうしんは、人ひとに話はなしました。
そのことが、ちょうど旅たびから入いり込こんでいた、宝石屋ほうせきやの耳みみに、はいりました。すると宝石屋ほうせきやは、ひざを打うって喜よろこんで、これは、一ひともうけできると心こころで思おもいながら、その金持かねもちの家いえへやってきました。
「どんなに、気きの沈しずんだお嬢じょうさんでも、私わたしの持もってきた、宝石ほうせきをごらんになれば、こおどりしてお喜よろこびなさるにちがいありません。それほど美うつくしい、珍奇ちんきなものばかりです。」と、箱はこを前まえに置おいていいました。
両親りょうしんは、娘むすめさえ喜よろこんで、笑わらい顔かおを見みせてくれれば、いくらでも金かねを出だすといって、さっそく娘むすめをそこへ呼よびました。
しとやかに、娘むすめは、そこに入はいってきました。そして、両親りょうしんのそばにすわりました。
「お嬢じょうさん、これをごらんください。」といって、宝石屋ほうせきやは、箱はこのふたを開ひらきました。すると、一時じに、赤あか・青あお・緑みどり・紫むらさき、さまざまの石いしから放はなった光ひかりが、みんなの目めを射いりました。
両親りょうしんはじめ、平常ふだんそれらの石いしを扱あつかいつけている男おとこまでが、目めのくらみそうな思おもいがしましたのに、娘むすめの顔かおは、びくともせずに、かえって、さげすむような目めつきをして、冷ひややかに見下みおろしていたのであります。
「お嬢じょうさん、こんな美うつくしい石いしをごらんになったことがありまして?」と、宝石屋ほうせきやは、驚おどろきの目めをみはっていいました。
「私わたしは、毎夜まいよ、これよりも美うつくしい星ほしの光ひかりをながめています。」
と、娘むすめは平気へいきで答こたえました。
さすがに、自慢じまんの宝石屋ほうせきやも、この答こたえにびっくりして、そうそうに箱はこを抱かかえて、その家いえから逃にげ出だしてしまいました。
やがて、このことと、娘むすめが沈しずんでいて笑わらわないといううわさが、世間せけんに伝つたわりました。
あるところに、その話はなしを聞きいて、たいへん娘むすめに同情どうじょうをして、気きの毒どくがったおじいさんがあります。そのおじいさんは、もう頭あたまが真まっ白しろでした。そして、背せが低ひくく、いつも太ふといつえをついて歩あるいていました。
「私わたしの考かんがえるに、その娘むすめは、詩人しじんというものじゃ。宝石ほうせきより空そらの星ほしが美うつくしいとは、いまどきには、めずらしい高潔こうけつな思想しそうじゃ。平常ふだん、沈しずんでいるのも、ものをいわないのもよくわかるような気きがする。私わたしがいって、その娘むすめにあってやろう。」と、おじいさんはいって、独ひとりできめてしまいました。
おじいさんは、つえをついて、ある日ひ、その家いえをたずねました。そして、自分じぶんは娘むすめを救すくいにやってきたことを両親りょうしんに話はなしました。
両親りょうしんは、この老人ろうじんが、徳とくの高たかい人ひとだということを知しっていました。そして、そのしんせつを心こころから感謝かんしゃしました。
「どうしたら、娘むすめがもっと快活かいかつにものをいったり、笑わらったりするようになるでしょうか。」と、両親りょうしんは、老人ろうじんに問といました。
「性質せいしつというものは、そう容易よういに変かわらないものじゃ、けれどお嬢じょうさんは、金持かねもちの家いえに生うまれながら、衣服いふくや、宝石ほうせきなどよりも、空そらの星ほしを愛あいされるところをみると、たしかに詩人しじんになられる素質そしつがあるようだ。そういう人ひとを教育きょういくするには、物質ぶっしつではいけない。やはり音楽おんがくや自然しぜんでなければならない。感情かんじょう・趣味しゅみ、そういう方面ほうめんの教育きょういくでなければならないと思おもわれる。これから、私わたしは、お嬢じょうさんに、音楽おんがくを教おしえ、自然しぜんを友ともとすることを教おしえましょう。もっと生うまれ変かわったように、快活かいかつなお方かたとなられると思おもうじゃ。」と、老人ろうじんはいいました。
両親りょうしんは、これを聞きくと、たいそう喜よろこびました。そこで、この老人ろうじんに、娘むすめの教育きょういくを頼たのみました。老人ろうじんは、娘むすめに音楽おんがくを教おしえました。また広ひろい圃はたけにはいろいろな草花くさばなを植うえました。あるときはその花はなの咲さいた園そのの中なかで、楽器がっきを鳴ならしました。小鳥ことりは、その周囲しゅういの木々きぎに集あつまってきました。美うつくしいちょうは、ひらひらと飛とんできて花はなの上うえを舞まいながら、いい音楽おんがくのしらべに聞ききとれているように見みえました。こんな日ひが幾日いくにちもつづきましたけれど、娘むすめは笑わらいませんでした。笑わらわないばかりでなく、前まえよりもいっそう顔かおの色いろが青白あおじろく、やつれて見みえるのでありました。両親りょうしんはたいそう心配しんぱいしました。老人ろうじんは、不思議ふしぎに思おもいました。
「なんで、あなたは、そんなに憂うれわしい顔かおつきをしているのじゃ。」と、老人ろうじんは、娘むすめにききました。
すると、娘むすめは、目めにいっぱい涙なみだをためて、
「この真まっ赤かな花弁かべんに、晩方ばんがたの風かぜがかすかに吹ふき渡わたるのをながめますと、私わたしはたまらなく悲かなしくなります。音楽おんがくの音色ねいろも私わたしの心こころを楽たのしませることはできません。」と、娘むすめは答こたえました。
さすがに徳とくの高たかい老人ろうじんも、このうえ娘むすめを快活かいかつにする術すべを考かんがえることはできなくなりました。そして、暇いとまを告つげて、老人ろうじんはどこへか、つえをつきながら立たってしまいました。
このうわさは、また世間せけんに広ひろがりました。
「だれか、あの金持かねもちの娘むすめを笑わらわせるものはないか。」と、人々ひとびとはいいました。
このことを、ある年としの若わかい医者いしゃが聞ききました。その医者いしゃは学者がくしゃでありました。そして、あまり世間せけんには顔かおを出ださず、いっしょうけんめいに研究けんきゅうをしているまじめな人ひとでありました。医者いしゃはこの話はなしを聞きくと、興味きょうみをもちました。
「その娘むすめは、一種しゅの精神病者せいしんびょうしゃにちがいなかろう。診察しんさつをして、できることなら自分じぶんの力ちからでなおしてやりたいものだ。」と思おもいました。
年としの若わかい、まじめな医者いしゃは、金持かねもちの家いえへやってきました。両親りょうしんは、医者いしゃの話はなしを聞きいているうちに、もしや自分じぶんの娘むすめは、精神病者せいしんびょうしゃでないかというような疑うたがいを抱いだきましたから、
「どうぞ、早はやくご診察しんさつをしてください。そして、あなたのお力ちからでなおることなら、どうぞなおしてください。」と、医者いしゃに頼たのみました。
医者いしゃは、娘むすめについて、いろいろ診察しんさつをしました。けれど、心臓しんぞうは正ただしく打うっており、肺はいは強つよく呼吸こきゅうをし、どこひとつとして狂くるっているところはないばかりか、すこしも精神病者せいしんびょうしゃらしいところも見みうけなかったのです。
「なぜ、あなたは笑わらいませんか?」と、まじめな医者いしゃは娘むすめにたずねました。
「私わたしには、どうしても笑わらえないのです。」と、娘むすめは答こたえた。
「なぜですか?」
「なぜだか、それが私わたしにもわからないのです。」と、娘むすめは答こたえました。
医者いしゃは、それは自分じぶんの研究けんきゅうすべき領分りょうぶんでないことを感かんじました。そして、頭あたまをかしげて、その家いえから去さってしまったのです。
そのころ、ちょうど旅たびから曲馬師きょくばしが、この村むらに入はいってきて、この話はなしを聞ききますと、
「若わかい時分じぶんには、そんなような性質せいしつの娘むすめさんがあるものだ。私わたしは、よくその娘むすめさんの気持きもちを知しっている。」といいました。
この年としをとった曲馬師きょくばしは、堅かたいしんせつな人ひとでありました。ある日ひ、娘むすめの家いえへたずねてきて、
「私わたしに、娘むすめさんをおあずけください。きっと快活かいかつな、愉快ゆかいな人ひとにしてあげますから。」と申もうしました。
両親りょうしんは、大事だいじな娘むすめを、旅たびの曲馬師きょくばしにあずけることを躊躇ちゅうちょしましたが、その人ひとがたいへんにしんせつな、正直しょうじきな人ひとだということがわかりましたものですから、娘むすめに聞きいてみました。
「私わたしは、遠とおい国くにの知しらない町まちを見みたいと思おもっていましたから、どうかやってください。」と頼たのみました。
曲馬師きょくばしは、両親りょうしんから娘むすめをあずかりました。娘むすめは、その人ひとたちの一行こうに加くわわって、故郷こきょうを出発しゅっぱつしたのであります。
それから、娘むすめは南みなみの町まちへゆき、あるときは西にしの都みやこにまいりました。そして、いろいろの人ひとたちに交まじわりました。春はるも過すぎ、夏なつもゆき、はやくも一年ねんはたちました。両親りょうしんは、娘むすめのことを案あんじ暮くらしていました。
ある日ひの暮くれ方がたに、不意ふいに娘むすめが帰かえってきました。両親りょうしんは、見違みちがえるように我わが子この美うつくしく、快活かいかつになっていたのに驚おどろいたのです。
「どうして、おまえは、そんなに生うまれ変かわったように、おもしろそうに笑わらうようになったか?」と問といました。
「だって、世よの中なかは、愉快ゆかいなんですもの。」と、娘むすめは答こたえた。


分享到:

顶部
09/29 03:48