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ヤマトタケルの出雲平定
日期:2024-01-22 23:48  点击:272
ヤマトタケルの出雲平定
 詐術を用いて決行された出雲勢力の平定
◆出雲の主をだまし討ちする
 クマソを平定したヤマトタケルは、直接大和へは帰らず、日本海側の出雲へと乗り込ん
だ。この地の首長イヅモタケルを討つためである。ヤマトタケルの知恵はここでもさえ渡
る。まず、彼は何食わぬ顔でイヅモタケルに近づいて懇意になり、友の契りを結んだ。あ
る日、ヤマトタケルはイヅモタケルを水浴びにと誘い、「太刀を交換しよう」と持ちかけ
る。何も知らないイヅモタケルは盟友の証あかしにと自分の太刀を渡し、交換に応じた。
だが、それがヤマトタケルの仕掛けた罠だった。太刀合わせを始めたものの、イヅモタケ
ルの刀は抜こうにも抜けない。それもそのはず。その刀はヤマトタケルがこっそり造った
木刀だったのだ。イヅモタケルが慌てる間にヤマトタケルは間合いを詰め、一刀のもとに
斬り殺してしまった。
 すると、ヤマトタケルはおもむろに歌を詠んだ。
  やつめさす 出雲建が佩はける太刀  くずさは巻き さ身無しにあはれ
 何とも無情な歌である。ヤマトタケルは嘘の友の契りを結び、だまし討ちにしながら、
「 を巻いて見事なものなのに中身がないとは」と嘲ちよう笑しようしたのである。当時
はそうした謀事や知恵も英雄には不可欠な要素だった。だから勝ち方は重要視されず、ど
んな手を使っても勝利の栄光を手にした者が英雄として称えられたのである。あざけりの
歌も勝かち鬨どきとしての役割を担っていたのかもしれない。
 ただし、殺害されたイヅモタケルが朝廷に反乱を起こしたという記事はない。『日本書
紀』には崇す神じん天皇の段で、出雲の神宝を管理する兄弟の話として類似の説話があ
る。それは無断で天皇の要請に応じて宝を献上した弟を恨んだ兄が、やはり木刀と刀をす
りかえて弟を殺すというものだ。宗教王国を築いていた出雲と朝廷との抗争が、こうした
説話に反映されたのかもしれない。

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09/30 00:32