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第五章の人々 倭ヤマト建タケルノ命ミコト
日期:2024-01-22 23:48  点击:270
【第五章の人々】
  倭ヤマト建タケルノ命ミコト
  草薙の剣を手に全国を平定するも非業の最期を遂げた英雄
 オホタラシヒコ(景けい行こう天皇)とハリマノイナビノオホイラツメの間に生まれた
のが、ヤマトタケルである。広く日本人に愛されてきた英雄的人物で、『古事記』ではそ
の生涯が劇的に語られている。
 天皇に荒々しさを恐れられ、クマソ征討を命じられたヤマトタケルは、策を用いて見事
クマソの長クマソタケル兄弟を斬る。クマソタケルは死の直前に恭順し、大和の国におけ
る猛き者といった意味の「ヤマトタケル」と名を奉じた。都に帰ったヤマトタケルだが、
すぐさま天皇は東征を命じる。伊勢神宮に参拝して叔母のヤマトヒメから、草那芸の剣と
「危急のときに開けよ」と袋を与えられたヤマトタケルは、相さが武む(相模)に至った
折、国くにの造みやつこに欺かれて焼き討ちに遭うが、草那芸の剣と袋の霊力で逃れ、国
造を滅ぼすことができた。
 だが、ヤマトタケルの苦難は終わらない。海を渡ろうとしたところ暴風雨に遭い、妃の
オトタチバナヒメが自ら海神の犠牲となるべく入じゆ水すいしてしまう。
 その後ヤマトタケルは陸む奥つに進んで蝦夷えみしを平らげ、甲か斐い、武む蔵さし、
信しな濃の、尾お張わりを経て大和に帰ろうとするものの、伊い吹ぶき山やまの神に敗
れ、ついに伊勢の能の褒ぼ野ので倭やまとを夢見ながら没するのである。その魂は白鳥と
なって、どこまでも飛んでいったという。
 比類なき英雄で知略にも優れ、東奔西走して国土平定を成し遂げるものの、父に遠ざけ
られ、故郷を夢見ながら倒れるというヤマトタケルの生涯は、物語としてもよくまとまっ
ている。
 だが、ヤマトタケルが実在の人物だったかどうかは、疑わしい。ひとりの人物が、実際
にあのような西征・東征を華々しく繰り広げたとは考えがたく、様々な人物の功績が、ヤマ
トタケルの姿を借りて語られていると思われる。また、ヤマトタケルの活躍はごく短い期
間、つまりオホタラシヒコの時代のこととして語られているが、「記紀」は大和朝廷が国
土統一を成し遂げてから成立したものである。もっと長い期間にわたる、様々な人物、
様々な伝説が、ヤマトタケルの物語としてまとめられた可能性が強いのである。各国の
「風ふ土ど記き」には大和の将軍たちが各地のまつろわぬ人々を平定する様子が記されて
いる。ミマキイリヒコ(崇す神じん天皇)からオホタラシヒコの時代にかけて、大和朝廷
の勢力は全国に広がっていった。ヤマトタケルの物語は、国土を広げるという朝廷の目的
を、ひとりの人物の姿を借りて語っているのであろう。それでも、ヤマトタケルには当時
の人々が理想とする人物像が投影されており、古代の人々の感情のありようを知ることが
できる。

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09/30 00:29