「兄ちゃんだよ」
「ジョージだよ」
「汚いぞ、兄ちゃん。罪をなすりつけるなんて」
「穴を広げたのは、おまえじゃないか」
「俺は兄ちゃんのあけた穴に、はまっちゃっただけだ」
声のトーンまでそっくりだ。清瀬は「黙れ」というように、軽く右手をあげて双子を制
した。
「玄関寄りの板間は、弱くなってるって注意しただろ?」
二〇一号室は畳敷きだったが、ちょうど玄関の真上にあたる位置だけは、床が板張りに
なっている。清瀬の小こ言ごとに、双子は同じタイミングでこくこくとうなずいた。
「気をつけてはいたんだ」
「フツーに歩いてたんだよ、フツーに。そしたらいきなりバキッと」
清瀬は、ふんと鼻を鳴らした。
「フツーに歩いたんじゃ、この床板は抜けるんだ。これからは細心の注意を払って歩け。
いいな?」
双子はまたこくこくとうなずいた。清瀬は慎重に板間に膝をつき、あいた穴を検分す
る。
「あのう、ハイジさん」
双子のうちの一人が、遠慮がちに清瀬に声をかけた。
「なんだ」
「あのひとはだれ?」
双子の視線が、戸口にぼんやりと立ちつくす走へ注がれた。
「ああ」
と、思い出したように清瀬も走を振り返った。「蔵原走。おまえたちと同じ、この春か
ら寛政大に通う一年生だ。今日からここに住む」
走は室内に足を踏み入れ、卓袱台の横に立って軽く頭を下げた。
「よろしく」
「はじめまして」
と、双子は声を揃えて答えた。
「走、こいつらは双子の城じよう兄弟。兄の城太じようた郎ろうと弟の城次じようじ郎ろ
うだ」
紹介された双子は順番に会釈した。立ち位置を変えられたら、もう見分けがつかなそう
だ。
「俺のことはジョージ、兄ちゃんのことはジョータって呼んで」
と、次郎のほうが人懐こく話しかけてきた。「みんなそう呼ぶから」
「あの穴、なにかに活用できないかなあ。なあ、走」
と、太郎のほうも気安い調子で話題を振ってくる。走は、「うん……」と口ごもった。
矢継ぎ早にしゃべる双子に、圧倒されていた。
清瀬が身を起こし、
「雑誌でものせて、ふさいでおくしかないな」
と穴を見下ろした。「床を踏み抜いたときに、脚に怪我はしなかったか?」
「それは全然」
双子は同じ速度で首を振った。清瀬がもう怒っていないと察し、明らかに安堵した表情
だ。
これだけ双子に畏おそれられているということは、と走は考える。どうやらハイジさん
が、この竹青荘の実力者らしい。古いアパートでの団体生活の先行きを思い、走は重いた
め息をついた。どこへ行っても、派閥や上下関係から逃れることはできないのだろうか。
「まだ走を、部屋にも案内していなかったのに。頼むからこれ以上、アオタケを破壊しな
いでくれよ」
清瀬はそう言い残し、さっさと二〇一号室から出ていってしまう。ジョータとジョージ
は、走を部屋の戸口で見送ってくれた。
「来た早々に、ボロい建物なのがばれちゃったな」
「実際に住んでみれば、静かでいいところだよ」
口々に言う双子に、「おやすみ」と挨拶し、走は階段を下りはじめている清瀬の背を
追った。
たしかに、竹青荘は静寂に包まれていた。あれだけ双子が騒ぎたてたのに、ほかの住人
は部屋を空けているのか姿を見せない。まわりに点在する雑木林の木々のざわめきと、時
折遠くを走る車の音だけが聞こえる。開け放したままだった玄関からは、ぬるみはじめた
春の夜風が、畑の土のにおいを乗せてゆるやかに吹き寄せていた。
走は土間に放置してあったスポーツバッグを手に取った。あいたばかりの頭上の穴は、
水着の女が表紙の雑誌によって、すでにふさがれていた。双子の部屋から射す明かりがな
くなったため、玄関は薄暗い。
ようやく走は、竹青荘の一階を落ち着いて見ることができた。二階と間取りはそう変わ
らないようだ。玄関からまっすぐ奥に向かって、廊下が通じている。
廊下の左側には、玄関から近い順に、台所、一〇一号室、一〇二号室と並んでいた。先
ほどの双子の住む二〇一号室は、ちょうど玄関と台所の真上に位置している。そのぶんだ
け、二階のほうが一室多い。清瀬が住んでいるという一〇一号室は、二〇二号室の下にあ
たるらしい。一〇二号室のうえは二〇三号室というわけだ。
一階の廊下の右側は、二階の間取りとすべて同じだった。階段の横には便所と洗面所の
ドアが二つ並び、一〇三号室と一〇四号室はその奥にある。それぞれ二〇四号室と二〇五
号室の下にあたる位置だ。
走は清瀬に案内されて廊下を進もうとし、ぎょっとして足を止めた。一階の廊下の奥
が、ただごとではないほど濃く白い煙で靄もやっていたからだ。
「ハイジさん、火事じゃありませんか?」
だが清瀬は動じた様子もなく、「ああ、あれ」となにやら説明しようとした。その途
端、廊下の左奥にある一〇二号室のドアが勢いよく開けられた。なかから人影が飛びだし
てくる。火事に気づいて出てきたのだろうと走は身構えたのだが、その人物は走たちのい
る玄関のほうにはやって来ず、そのまま向かいの一〇四号室のドアを乱暴に叩いた。
「先輩! ちょっと、ニコチャン先輩!」
振動で一階のすべてのドアが揺れるほど、乱暴に叩きつづけること十数回。ようやく一
〇四号室のドアは開いた。
「うるせえぞ、ユキ」
のっそりと大きな人影が出てきたようだが、とにかく煙がすごくて、走にはよく見えな
かった。二人の人影は、台所近くにいる走と清瀬には気づいていないようで、激しく口論
をはじめる。
「煙草の煙が俺の部屋まで入ってくるんですよ」
「買わなくても味わえていいじゃねえか」
「俺は吸わないんです! とにかく迷惑だから控えてください」