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一、竹青荘の住人たち(8)
日期:2025-06-27 16:37  点击:272

「僕が生まれたのは、山奥の村でね。帰省するのに二日かかるんだ。あ、『帰省』ってわ

かる?」

「わかります。でも二日もかかるというのは本当ですか。私が本国の家まで帰るときで

も、日本から飛行機に乗って一日ちょっとですよ」

「うーん、ムサの故郷より時間的には遠いところから僕は来たのか。改めてあの村の僻へ

き地ちぶりがわかったな。あ、『僻地』ってわかる?」

「それはよくわからない。田舎ということですか?」

「うん、そう。その村で僕は、『神童』と呼ばれていたんだ。まあ、あくまで地域限定の

神童なんだけれど。あ、『神童』っていうのはね、神さまの子ども、という意味で……」

  竹青荘の住人はほとんど、ムサにおかまいなしで早口の俗語をしゃべる。ムサはもとも

と中級以上の日本語の語学力があったが、俗語はお手上げだった。だが神童だけは、ムサ

がわからない俗語や難しい単語を、丁寧に解説してくれる。おかげでムサは、ますます不

自由なく日本語をしゃべれるようになった。それでも、紳士的な神童を見習って、覚えた

俗語はなるべく使わないようにしている。一階の住人のニコチャンはたまに、「ムサの言

葉づかいは、肩が凝っていけねえ」と笑う。

  ビールを飲みながら、ムサもしばらくクイズ番組を眺めた。

  竹青荘でテレビを持っているのは、キングと双子とニコチャンだけだ。ニコチャンの部

屋は煙害がひどいので、近寄るものはめったにいない。キングはクイズ番組ばかりを延々

と見ている。だから見たい番組があるものは、だいたい双子の部屋に行く。

  いまも、隣の双子の部屋からはテレビの音が聞こえてきていたが、話し声はしなかっ

た。どうやら今夜は、うるさい先輩たちに邪魔されることもなく、双子だけで静かに過ご

しているらしい。

  キングは飽きることなくティッシュの箱を叩いては、ブラウン管の外から解答しつづけ

た。そして番組がコマーシャルになったとたん、手元のリモコンで画面を早送りする。ビ

デオだったのか、とムサははじめて気がついた。

  コマーシャルをさっさと飛ばし、また番組が再開された。今度は早押し形式ではない

コーナーだ。キングはようやく、テレビから少し意識をそらした。

「なあ、ムサ。神童は黙りこくってクイズ番組を見るんだ。信じられないよな」

  なにを言われているのかよくわからず、ムサは首をかしげた。キングは、並んで座って

いるムサと神童に体ごと向き直る。

「クイズを見てたら、解答したくなるのが人情ってもんだろ。『ではウオヘンに青と書い

て……?』『サバ!』って感じにさ。なのにこいつ、黙ったままなんだよ。張りあいない

よな」

「キングさんは一人で見ていても叫びますもんね」

  ムサは、夜な夜な隣室から聞こえてくる、脈絡のない単語を叫ぶキングの声を思いなが

ら言った。

「あったりまえだよ。クイズ番組ってのは、そのためにあるもんだろ。地蔵みたいに硬直

して見るやつの気がしれないね、俺は」

  そうかな、とムサは思った。

「そうかな」

  と、神童は実際に声に出して反論した。「キングさんのほうが、少数派だと思うけれ

ど。なんで出場者でもないのにそこまで熱くなれるのか、僕にはわからないですよ」

「出場者として番組に応募してみたらどうですか?」

  ムサも口を挟んだ。キングはインターネットのクイズ関係のサイトをまわっては、日々

熱心にクイズの問題に取り組む。だれもが恐れる白煙地獄に踏みこみ、ニコチャンのパソ

コンを借りてまでクイズに熱中する。クイズにかけるキングの情熱を、竹青荘の住人たち

は遠巻きに見守っていた。

「画面の外から、名だたるクイズ王たちよりも速く、正確に、多く解答するのが、本当の

通つうの楽しみかたってものさ」

  キングは胸を張った。キングは図太いようで実は上がり性だから、テレビになど出られ

ないのだ。それに気がついたムサは、もうなにも言わなかった。神童も、「そんなものか

な」と穏やかに相あい槌づちを打つ。

  キングが少し気まずそうだったので、ムサは新しい話題を提供することにした。

「アオタケに新しいひとが来たことを、お二人はもう知ってますか?」

「いつ来たんだよ!」

「どんなひと?」

  二人はとたんに身を乗りだしてきた。キングはテレビの音量を下げたほどだ。キングと

神童にとって、かなり興味のある話題だったらしい。ムサは勢いに押されるようにして、

風呂場で走と遭遇したことを語った。

「来たのは今夜だと思います。社会学部に入学する、とハイジさんが言っていました。ハ

イジさんはうれしそうだった」

「いやな予感がするぜ」

  キングがつぶやく。

「どうしてですか?  真面目でいいひとそうでしたよ、走は」

「キングさんが心配しているのは、新入りの人柄じゃないんだ」

  と、神童が説明した。「ムサも知ってるだろ?  ハイジさんが、一〇三号室が埋まるの

を熱望していたことは」

「はい。でもそれが?」

「それが重要なところだ」

  キングはあぐらをかいた足に肘ひじをつき、わざとらしく顎を掌てのひらで撫でた。

「ムサ、おまえもこの春から聞かされつづけたはずだぜ。ハイジが『番町皿屋敷』みたい

に、『あと一人たりない、あと一人……』ってつぶやいてるのを」

「バンチョーサラヤシキってなんですか?」

「それはね」

  と神童が教えようとするのをさえぎって、キングは断じた。

「絶対になにかある。ハイジはなにかたくらんでやがる」

「アオタケに十人入居することが、なぜハイジさんにとってそんなに重要なんだろう」

  神童は首をひねった。キングが厳おごそかに推理をはじめる。

「俺はここに住んで四年目だが、住人が十人……いまのはシャレじゃないぞ」

「わかってますよ。つづけて」

「十人いたことはなかった。なぜなら、ここには部屋が九室しかないからだ」

「それはそうでしょうね」

「ところが今年は違う。二〇一に双子が入ることに決まったからだ。そうしたら、ハイジ

が幽霊みたいに唱えはじめたんだよ。『あと一人』ってな」

「たしかに、ハイジさんは十人にこだわっているようでした」

  ムサもうなずいた。清瀬はふだん、あまり感情を表に出さず、竹青荘にどんな騒動が起

きても淡々としている。しかし今年、空いた一〇三号室に入居者があるのかどうか、とい

うことに対しては、わかりやすすぎるほど気を揉んでいるのが見て取れたのだ。ムサもそ

れがどうしてなのか、不思議に思うことはあった。

「いったい、十人そろうとなにが起こるのでしょうか」

「わかんねえ」

  キングは言いだしたわりにはあっさりと、疑問を放り投げた。「皿を数える幽霊でも出

るのかもな」

「『なにかある、なにかある』って騒ぎたてたんだから、もうちょっと考えたらどうで

す」

  神童は、会話から抜けてまたテレビに集中しだしたキングに文句を言った。だがキング

はもう、クイズに気を取られて曖昧な返事をするばかりだった。ムサと神童はしばらく、

清瀬の思惑について話しあったが、そのうちうやむやになって終わってしまった。

  二〇二号室にしばしの沈黙が落ちた。

  テレビまでもが、大げさな間を取ってクイズの挑戦者の解答を待っている。キングがぼ

そりと言った。

「なんにしろ、俺たちに悪いことが起きるんだとしたら、ハイジがちゃんと知らせてくれ

るさ。あいつは便所掃除をさぼるとネチネチ嫌味を言ってくるが、それ以外ではまあ、い

いやつだからな」

  そのとおりだ、とムサは思った。竹青荘の住人たちを陥れるようなことを、清瀬がする

はずがない。

  ムサは、「いやな予感」はしなかった。先ほど会った清瀬が、とてもうれしそうだった

からだ。ムサが去年、生まれてはじめて雪が積もるのを見たときと同じぐらいに。


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06/28 20:30