「俺たちみんなで、頂点を目指そう」
「……なんの?」
ユキが用心深く先をうながす。双子は怯えたように身を寄り添わせる。キングは、
「俺は前々から、ハイジがなにかたくらんでるとにらんでたんだよ」
とつぶやく。神童とムサが顔を見合わせた。
「十人の力を合わせて、スポーツで頂点を取る」
清瀬は高らかに宣言した。「うまくいけば、女にモテるし就職にも有利になるだろう」
「それは本当?」
双子が敏感に反応した。じりじりと円陣を狭め、清瀬のほうににじりよっていく。
「もちろん、本当だ。運動のできる男が女性にもてはやされ、かつ、大手企業にも歓迎さ
れるのは、明白なところだ」
とたんに、双子は相談をはじめた。
「女の子にモテるんなら、俺はやるけど。兄ちゃんは?」
「俺だって同じだ。でも具体的に、なんのスポーツで頂点を目指すんだ? 野球は九人だ
し」
「サッカーは十一人だしねえ」
「カバディじゃねえか」
とニコチャンが口を挟んだ。
「ちがいます」
と清瀬は言った。ユキが冷ややかな視線をニコチャンに送る。
「いまの日本でカバディをやって、就職活動を有利に運べるほど有名になれると、あんた
本気で思うんですか?」
「それに、カバディは七人でやるもんだしな」
と、キングがクイズで鍛えた雑学を披露した。ニコチャンと王子が即座に手をあげ、
「じゃあ、俺は下りる」
と言った。ニコチャンに皮肉を言ったわりに、ユキも一緒になって手をあげた。
「あとはきみたちで頑張ってくれ」
ムサが一同を見まわして、にこやかに報告する。
「ちょうど七人になりました」
「だから、カバディをやるわけじゃないんだ、ムサ」
清瀬は咳払いをした。「それに、ユキに下りる権利はない。俺は毎年、正月に帰省した
くないと駄々をこねるきみのために、特別におせちと雑煮を作ってやったよな」
「脅す気か、ハイジ」
ユキが抗議の声を上げたが、それはあまりにも弱々しいものだった。清瀬はひとの悪い
笑みを浮かべた。
「俺がいままで、なんのために毎日飯を作って、ここの住人の体調管理に努めてきたと思
う?」
いったい清瀬は、なにを言いたいのか。少なからず、清瀬の家事能力に恩恵を受けてい
る一同は、危険を察知して沈黙した。程良く肥えたから、さあ食べよう。包丁を研ぐ魔女
のまえに引きだされた、迷子の兄弟のようだ。
走の走りに興味を示し、自身も陸上をやっているという清瀬。今夜の歓迎会に、強引に
王子を引っ張りだし、竹青荘の住人を全員集めた清瀬。そして、十人でするスポーツ。
走は、「まさか」と思った。
「俺の目指すものが、まだわからないのか?」
清瀬は楽しくてたまらない、というように、居並ぶ住人たちをいたぶる。清瀬の視線に
射られたものはみな、出はじめの蚊みたいに遠慮深く、うつむいて首を振った。
「だれでも一度ぐらいは、目にしたことがあるスポーツさ。雑煮を食いながら、正月にテ
レビで」
「それって、もしかして……!」
神童が息をのんだ。清瀬は窓枠にもたれたまま、悠然と述べる。
「そう、駅伝。目指すは箱根駅伝だ」
双子の部屋に、怒号と混乱が渦巻いた。
無理だ。気でもちがったのか。なんで正月早々、短パン姿で襷たすきをかけて山を登ら
にゃならん。ハコネエキデンってなんですか。「駅伝」というのはね、「駅えき馬ば伝て
ん馬ま」制から採られた名前で……。だいたいここに陸上部員なんていないじゃない。な
どなど。
そのなかにあって、走だけは口をつぐんだままだった。
陸上をやるものには、「箱根」は特別な思い入れのある大会だ。それだけに、「箱根」
を目指すのがどれほど大変なことかわかっていた。清瀬の言いだしたことは、まったくの
夢物語だ。素人ばかりの竹青荘の住人が、目指そうと思って目指せるものではない。
清瀬はすっくと立ちあがり部屋を出ると、めずらしく音を立てて階段を下りていった。
「怒ったのかな?」
ジョージが不安げにつぶやく。
「俺だって怒っている」
ユキはいらいらとコップの酒を飲み干した。「ハイジのやつ、悪い冗談を言う」
どうなることかと、走が推移をうかがっていると、再び部屋のドアが乱暴に開けられ、
清瀬が戻ってきた。手には、竹青荘の玄関先にかけられていた大きな表札がある。その板
で殴られるのかと、だれもが思わず、亀のように首を縮めた。清瀬は円の中心に立ち、煤
すすけた表札をシャツの裾でぬぐった。
「これを見ろ」
清瀬は綺麗になった表札を印籠のようにかざし、周囲に座るものたちに見えるよう、ぐ
るりとその場で一回転した。
「な、なんじゃそりゃ!」
口々に驚きの声が漏れる。走も身を乗りだして表札に書かれた文字を読み取り、開いた
口がふさがらないとはこういうことなんだな、と呆然とした。
白木の板には、「竹青荘」と墨書きしてある。しかし、それだけではなかった。これま
で汚れで判読できなかったのだが、そのうえには小さな字で二列に分けて、
「寛政大学
陸上競技部錬成所」
と、たしかに書かれてあったのだ。
「聞いてないぞ、そんなこと」
一番の古株であるニコチャンがうめいた。新入りのジョータとジョージは蒼白になって
顔を見あわせる。ここに至って、清瀬が冗談でもなんでもなく、本気で箱根駅伝に挑もう
としていることがわかってきた。
「だいたい、うちの大学に陸上部なんてあったんですか?」
代官に年ねん貢ぐの引き下げを乞う農民さながらの哀れさで、神童が清瀬に問いただし
た。
「弱小部だが、あるんだ。俺も一年のときには大会に出た、と話したことがあっただろ
う」