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三、練習始動(4)
日期:2025-06-27 16:43  点击:299

「流して走るというのは、ゆっくり走るという意味ですか?」

  とムサが質問した。

「うん、体にあまり負担をかけない程度に走る、という意味だ。いきなり走りはじめた

り、走りやめたりするのは、故障の原因になるからね」

「練習をはじめるまえに一時間も走ったら、それだけでもうへとへとだよ」

  と、王子は絶望的な表情になった。

「王子は今朝、なんとか五キロを走ったじゃないか。そのうち慣れるから大丈夫だ」

  清瀬は力強く請けあった。「ちゃんと練習すれば、きっとモノになる」

  清瀬の言葉は、ハッタリというわけでもない。長距離を走り抜くためには、短距離選手

とは違う筋肉が必要とされる。一瞬のうちに爆発的な筋力を発揮するのではなく、一定の

推進力を長時間持続させなければならない。短距離は、選手の先天的な筋肉の質によって

ほぼ実力が決まるのに対し、長距離の場合は、日々の練習によって少しずつ実力をつけて

いくことが可能だ。

  逆に言えば、毎日じっくりと自分の体と向きあい、練習を積み重ねていかないかぎり、

長距離では大成できない。あらゆるスポーツで天分が必要とされるが、およそ長距離ほ

ど、天分と努力の天秤が、努力のほうに傾いている種目もないだろう。

  ひとけのない区営グラウンドで、一同は二つのグループに分かれてタイムを計測するこ

とにした。「タイムを計るまえに、一時間も流すことはできない」と訴える人々、つまり

走と清瀬以外の面々は、初回なので、とりあえずいきなり全力で五千メートルを走ってみ

ることになった。走と清瀬は、同じトラック上を一緒に流して走りながら、みんなのタイ

ムをとる。二人の体がほぐれるころに、たぶん王子も走り終わるだろうということで、そ

のあとに走と清瀬が全力で五千メートルに挑む段取りだ。

  流して走りつつ、全力で走っている一団を常に確認するのには神経を要した。気を抜く

と、何周目に差しかかっているのかがわからなくなってしまう。

「ニラがストップウォッチを押せたらいいんだけどな」

  グラウンドの隅で地面のにおいを嗅かぐニラを、清瀬は恨めしげに見やった。走は清瀬

と並んで、ゆっくり走った。

「ねえ、ハイジさん。王子さんが予選会出場レベルにまでなるのは、いくらなんでも

ちょっと難しいんじゃないですか」

  いまも王子は、ほかのものよりも大幅に遅れを取っていた。「周回遅れどころじゃない

ですよ、あれ」

「大丈夫だ」

  と清瀬はまた言った。

「その根拠は?」

「走、長距離に向いている性格って、どんなだと思う?」

「さあ……。いろいろでしょうけど、我慢強いとか?」

「俺は、粘着質であることだと思う。王子の蔵書を見ただろ?  あんなに漫画のことばっ

かり考えてるのは、尋常じゃない。王子は夜遊びも無駄遣いもせず、金と時間のすべてを

漫画に捧げている。あの情熱の持続力はすばらしいよ。ひとつのことをコツコツ極めるの

が苦にならないというのは、絶対に長距離向きの性格だ」

  走は、隣を行く清瀬をちらりと見る。清瀬は真剣な顔つきをしていた。どうやら本気で

褒ほめているらしかった。

  全員が五千メートルを走り終えたところで、走は計測したタイムを紙に記入した。

  走          十四分三十八秒三七

  ハイジ      十四分五十八秒五四

  ムサ        十五分〇一秒三六

  ジョージ    十六分三十八秒〇八

  ジョータ    十六分三十九秒一〇

  神童        十七分三十秒二三

  ユキ        十七分四十五秒一一

  キング      十八分十五秒〇三

  ニコチャン  十八分五十五秒〇六

  王子        三十三分十三秒一三

  住人たちは、輪になって用紙を覗きこむ。

「走、手抜きしただろう」

「してないですよ。そうそういつも、自己ベストで走れないです。ハイジさんこそ、本調

子じゃないんじゃないですか?」

「復調中なんだ。それにしても、ムサはさすがだな。やっぱり十三分台まで行けるよ」

「いえ、すでに限界を迎えています。心臓が壊れるかと思いました」

「とにかく、はじめてにしてはまずまずの結果が出た」

  清瀬は集まったものの顔を見渡した。「やはり、きみたちはすごく素質がある。いまの

段階でこれぐらい走れれば、練習次第でまだまだのびるよ」

  清瀬のお墨付きをもらい、双子と神童は喜んでハイタッチをかわした。しかしユキは、

自分のタイムに納得がいかないらしい。

「十七分台とは……フォームにまだ無駄があるんだな」

  と、その明晰な頭脳で早速解析をはじめたようだった。

「どうせ俺は十八分台だよ」

  とキングが拗すねる。

「あんた、汗がニコチンくさいですよ」

  とユキに指摘されたニコチャンは、

「そうか?」

  と腕をくんくん嗅いだ。

「キングとニコチャン先輩は、走るのに体が慣れていないだけだ。フォームには問題ない

から、これからどんどんタイムを縮められる」

  清瀬はぬかりなくフォローした。「さあ、アオタケに帰って夕飯にしよう」

  ジョージが、清瀬のウェアの裾を指先で引っ張った。

「ハイジさんハイジさん、一人忘れてる」

  トラックの片隅で、王子が倒れ伏していた。ニラが心配そうに鼻先でつついても、ぴく

りともしない。

「王子のタイムは」

「三十三分十三秒一三です」

  と、走が清瀬に教える。

「さすがにコメントが難しいな」

  清瀬はこめかみを揉んだ。「しかしまあ、あの漫画オタクが走りとおしただけでも立派

だ。希望は捨てないようにしよう」

  やっぱりあんた、王子さんのことをただのオタクだと思ってるんじゃないか、と走は

思ったが、黙っておいた。

「明日から、本格的な練習に入る。いまは五キロ走るのが精一杯だろうけれど、これから

絶対に、距離がのびてタイムは縮んでいくから、安心してついてきてほしい。以上、解

散!  あ、もちろんアオタケまで走って帰ること」


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06/29 01:20